高倉天皇が恋患いに沈んでいるのを慰めようと、皇后は【小督(こおう)】という女房を差し上げた。この女房は宮中一の美人で、琴の名手だった
冷泉隆房が恋していた女房でもあった隆房は小督に手紙を何回となく贈り、恋慕っていたが、小督がなびく様子もなかった。だがそれでもやはり隆房の熱心な情に心ほだされ、しまいにはなびいて恋仲になった
けれども今は、小督は天皇のお召しを受けて会えなくなった。隆房は、【飽きたのでもないのに別れねばならない辛さ】に、どうしようもなく悲しく涙が乾くこともなかった
それでも、隆房は遠くからでも小督を見かけることができるかもしれないと、いつも宮中へ参内していた
小督は、「私が天皇のお召しを受けたうえは、隆房さまがどんなに言っても、言葉を交わしたり手紙を見るべきではない」と思っていた
隆房は一首の歌を詠んで、小督のおられる御簾の中へ投げ込んだ
「思いかね、心は空に、満ちのくの、近のしおかま、近きかいなし」
(あまりの思いに耐えかねて、あなたを慕う心は空一杯になるほどです。すぐ近くにいるのに、そのかいもありません)
小督は「すぐに返事がしたい」と思ったが、天皇のためによくないと、手にとって見ず、側に仕える少女に与えて、中庭へ投げさせた
隆房は情けなく恨めしかった
「この世では好きな女に逢うこともできず、死んでしまいたい」とばかり願うようになった
清盛にこの三角関係が耳に入る
天皇も隆房も、清盛の娘婿であったので、小督に二人の婿を取られ憤慨し、小督を殺すことに決めた
小督はそれを漏れ聞いて「自分は殺されてもいい。だけどそんな事になったら天皇がお気の毒、、」と思って、姿を消した
しかし結局天皇は、小督が居なくなった悲しみで涙にむせび嘆いた
夜更けに天皇は、宿直の源仲国を呼んで尋ねた「お前は小督の行方を知っているか?『小督は嵯峨の辺りの家にいる』と申す者がいたそうだ。その家を捜してくれないか?」と、涙を流された
仲国はよく考えた
「そういえば、小督殿は琴をひかれた。この夜の月の明るさに、天皇のことを思われて琴をひかないことはない。その琴の音を聞き出して、家を探そう」と決めた
仲国は馬に乗り、どことも分からないが、あてもなくさ迷って行った
亀山あたり近く、松が一群立っている方で、かすかに琴の音が聞こえる。馬を急がせて行くうちに、ある家の内に、誰かが琴を心澄ましてひいておられた。まぎれもなく小督の琴の音である。楽曲は「想夫恋」。
仲国は腰から横笛を抜き出し、琴の音に合わせて吹いた。琴の音は消えた
仲国は門を叩き、告げた「内裏から仲国がお使いに参りました。お開けください」。中から「家間違いです。こちらは内裏からお使いなどいただくような所ではございません」と申すので、押し開けて中へ入った
仲国は言う「どうして、こんな所にいるのですか?天皇は思い沈んでおられ、命も危なく見えます」
小督はこたえた
「清盛さまが、私を殺すと申していると聞いたので内裏から逃げました。明日から大原の奥に行こうと思い立ちました。ですので今夜かぎりの名残を惜しんで、また過ぎ去った名残を懐かしみながら、手慣れた琴をひくうちに楽々と聞きつけられましたよ、、」と言って涙を流された
「明日から大原の奥に行かれるとは、尼になられるという事でしょう。なりませぬ。天皇のお嘆きを何となさるつもりですか?」
「この人を出さないで守っていてくれ」と伴に告げ、仲国は内裏に帰って、天皇に小督殿の様子を告げた
天皇は仲国に「お前が、すぐ今夜連れ参れ」と言われたので、回り回って清盛に伝わるのは恐ろしいが、天皇の御言葉であるから、小督をなだめすかして内裏の人気のない所に隠し住まわせた。そこに毎夜天皇が通っているうちに、姫宮が一人生れた。坊門の女院である
(治承元年(1177)範子内親王誕生、土御門天皇准母、1206年坊門院と号す)
清盛は漏れ聞いて、小督を捕らえ、尼にして追放した。小督は23歳で、濃い墨染めの衣をまとい、嵯峨の辺りに住んだ
このような、いろいろな事のために、高倉天皇は病気にかかり、亡くなられた