法然の生きた時代は暗黒時代
栄枯盛衰のめまぐるしい時代
君臣背き
父子が争う
盗賊横行
疫病
地震
飢饉
兵乱
兵乱により街炎上
寺の焼き討ち
京都は修羅の巷
このような暗黒時代であったから「念仏は末法濁世の時代の目足(最も大事なもの)」と信じられた
人の心では反抗できない力があった
法然は凡夫、大衆の救済を目安にしていて、その着眼点がこれまでの宗派と違っていた
宗教とは数人の貴人の成仏だけを目的とするものではない。世界にみちみちている生にあえぐ大衆を救済することを目的としなければならぬと
法然の浄土宗はこれまでの諸宗に対して全く新しく革命的なものだった
【元歴元年、平清盛の四男重衡は捕らえられて死ぬ直前に法然のところで法を聞いている。重衡の孫である13歳の少年は、内密に法然のところに預けられている】