法然の9歳からの目的は生死を超えて、安心立命を得ること
そして往生要集に導かれて、善導和尚の「観無量寿経疏」を読んで、真信打発した
法然が「往生要集」を読んだのはこれが初めてではない。師の叡空とも往生要集について議論しているし、26歳のときは関白藤原忠通の前でこの書を説いている。しかしこの時の法然はまだ心境に余裕があり、充分貧しくなっていない。まだ智にたのんで、智に絶望していない。
「まだ、どうにかなる」とかまえていた
43歳の時には法然は焦りに焦り、観念や智では到底生死を超えられない、これまで行った如何なる方法も自分の機ではない。他人はともあれ、自分はそれらでは往生できない、、絶望し切った
今生での現実の日々の意義がわからない!わからないまま自分は日々老いていく!