マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

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甲斐武田・江戸幕府を支えた武士集団.武川衆

2017-12-23 19:26:25 | 日記
甲斐武田家を支え、滅亡後幕閣に加わるなどをして支えた武家集団がいた。
祖は甲斐武田家一族.一条忠頼を祖とする武川衆である。

甲斐源氏の勢力を警戒し源頼朝の策で没落し、忠頼は暗殺され。
甲斐武田家は没落、連座して甲斐一条氏も同じ道を辿る。
忠頼の甥で甲斐武田家2代目当主武田信光の子一条信長が登場。
信長は幕府に接近したり武田八幡宮へ大般若経を寄進。

孫の一条時信は甲斐守護となり、時信の9人の教来石氏(馬場氏)、柳沢氏、折井氏、山寺氏、横手氏、入戸野氏、山高氏、白須氏、横根氏、牧原氏らの一族を輩出し武川衆を形成し甲斐北西部の信濃国と接する国境警備を担当する。
甲斐一条氏の末裔だけではなく、馬場信春の実家教来石氏の美濃源氏土岐氏出身のような事例もある。

なお忠頼の子である一条行忠は甘利氏を名乗り子孫に甘利虎泰と自由民主党の議員で第2次安倍内閣で内閣府特命担当大臣を担当した甘利明がおりもう一人の息子の一条頼安は上条氏の祖となる。

戦国時代では馬場信春以外活躍していないが、武田一族.武田信豊の同心と見られる青木信秀・宮脇種友・横手満俊らの名前が登場しており。
青木主計頭・米倉丹後守・米倉彦次郎らが長篠の戦いで戦死したなど、記録に残されている。

武田勝頼が小山田信茂の造反で自害に追い詰められ事実上滅亡.織田信長が本能寺の変で倒れ、甲斐・信濃が政治的空白地域になり北条・徳川が争う天正壬午の乱が発生する。

武川衆の大部分は徳川家康側へ付き、折井市左衛門尉・米倉主計助の2名は残りの一族を勧誘し成功して家康に表彰されている。
江戸幕府が成立すると武川衆は旗本として存続する。

その中でも出世したのが米倉氏と柳沢氏である。
米倉氏は六浦藩藩主となり明治時代に子爵となり、柳沢氏は老中格、大老格と5代将軍徳川綱吉の側近として振るう事になる柳沢吉保を出しておりこちらも譜代大名となっている。

なお現在甲斐武田家=高家武田家の当主は柳沢氏の血筋であり。
そもそも高家武田家の設立に関与したのは柳沢吉保本人である。

青木尾張守時信
柳沢兵庫丞信俊
折井市左衛門尉(次昌)
折井長次郎次正
米倉六郎右衛門信継(米倉種継)
米倉左大夫豊継(種継の弟)
米倉加左衛門定継
曲淵彦正正吉
小沢善大夫
横手源七郎
青木弥七信安
折井九郎次郎次忠
コメント
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