楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

義援金のこと

2011-03-20 22:54:15 | 身近な生け花

風邪を引いてしまった。
職場の人間がかわるがわる引いてたが、一人涼しい顔して「鉄の女」を気取ってたのに、気が付けばゴホンゴホン。
昨夜は布団に横になったらそのまま寝入ってしまった。
さてコメントはどうしても震災がらみになってしまうが、思うところをひとつ、ふたつ。
義援金。
有名人が庶民には縁のない巨額の義援金を出している。すごいなと思う。ありがたい話である。
売名行為だとか言う人間はクソ食らえ(失礼)である。たいていの人間は自分が大金持ちだったら、もちろん出すよと思ってるかもしれないが、大金持ちでも出さない人間は出さない。
自分で稼いだ自分の財産、人にくれてやる義務はないのである。
例え、純粋に「ああ、何とか手助けがしたい」という義侠心からではなく、ここでいい所見せとかないという不純な動機だったとしても、“ありがたさ”ということでは何ら変わりないのだ。
一方、日々の暮らしに汲々としている一般庶民にしても、なけなしの小遣いの中から尊い志を差し出すので「義援金」となるのであって、メーリングリスト仲間の「 死者の出た12都道県と長野・新潟・山梨・埼玉各県を除く31府県全国民に被災者復興義援金、1人100円を義務付けてはどうか?」という意見には頷けない。
強制はNGだと思うのだ。
実は職場でも「個人で寄付をした人もいるだろうけど、もし賛同してもらえるなら一人1000円給料引きさせてもらって、それをまとめて寄付したいと思うのですが・・」と声かけしたところ、一人何某に「個人で出さなくても、会社が出したらいいんじゃないか・・・」と言われ、(うっ)となった。
責めることは出来ない、あくまで自由意志なのである。
心の中で(だからこの人は・・・)と人格否定のブラック想念がもたげかかるのを抑え、少なくとも当然でしょという押し付けがましい物言いはしてないぞ、都合を伺う姿勢は示したつもりだし、と自分の態度を精査しなければならなかったが。
金額についても、最低自分の生活は守らねばならない。
一般庶民の捻出できる額はたかが知れてる。だからほんとに有名人の大きな額の義援金には勇気付けられるのだ。
もちろん、お金だけが全てではない。
自分のできることはいろいろあるはずだと思う。
天皇陛下がおっしゃってたように、長く心を寄せてその出来る事を考え続けて行くことが大事なんだと思う。
ところで、写真の菜の花を生けてある花器はいまだ使ったことのない食器(鉢二つ重ねてある)である。
考え直す必要があるだろうか、そうした食器の扱いについて。
コメント
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