本日の茶菓子は小松島の阿瀬川菓子店の「きな粉団子」と「ういろう」。
うすかわ饅頭も有名で、みんな安くておいしい。
さて、本日の賢木、塗籠に押し込められてた源氏はそろそろと抜け出し、藤壺の御几帳まで押し掛けてしまうんですね。
現代のように本人の目の前に立ちはだかるというのではなく、そっと御衣の褄を引き動かすというものですが、源氏の香の匂いで一瞬でそうと悟った藤壺は絶望的な気持ちになる。
そして、源氏から逃げようと召し物を脱ぎ滑らせて、いざり退こうとするのだが、思いがけず、髪が召し物と一緒に掴まえられるという場面では(これも宿縁なのか)と心底情けない気持ちになってしまう。
しかし、源氏は拒まれれば拒まれるほど半狂乱になって泣きながら恨み言を言う。
こういった場面は一方では悠長優雅な印象も持つが、一方ではやはりエロチックで非常にビジュアルなシーンではないかという気もする。
裸=エロスではない。プロセスが必要なのだ。
現代とは恐らく時間の流れる速度が違っている。しかし、源氏の世界を異文化とは感じないのではないかと思う。
日本人には日本人の感覚が綿々と受け継がれてきているという気がするのだ。
洋楽が日常に溶け込み、おばさんのワタシでもレディガガやビヨンセを(何てカッコイイんだろう)と認める感覚は持ち合わせているが、(いかにもそれを想起させる)セクシーなダンスは日本人の意識に決して同化することはないように思うのだ。
それは日本の皇室とイギリス王室を比較した際に感じるものにも通じている。
源氏物語を読むと1000年変わらぬ本来の日本人の美意識というものが今も生き続けているのではないかと感じるのだ。