楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

黄色い花

2011-03-21 22:53:47 | 季節の花
   
黄色は「光」のイメージがあって、何だか元気を与えてくれる気がする色である。
毎年“ビオラ”の苗を買ってきてプランタンに埋め込むのだが、必ず黄色は外さない。
“オキザリス”も春に陽が照りさえすれば、疲れを知らずにお喋りしている少女のようにさんざめいている。
“ミモザ”は花そのものより名前が文学的で気に入ってるが、これから道路脇でよくお目にかかるようになる“エニシダ”も気取りのない気持ちのいい絵姿で私達を楽しませてくれる。一面の“菜の花”はまさに光の園、日本の原風景だろうか。
つらい時、花の好きな人はそのイメージを頭に思い描いてみたらどうだろう。
「天に星、地に花、人に愛」
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義援金のこと

2011-03-20 22:54:15 | 身近な生け花

風邪を引いてしまった。
職場の人間がかわるがわる引いてたが、一人涼しい顔して「鉄の女」を気取ってたのに、気が付けばゴホンゴホン。
昨夜は布団に横になったらそのまま寝入ってしまった。
さてコメントはどうしても震災がらみになってしまうが、思うところをひとつ、ふたつ。
義援金。
有名人が庶民には縁のない巨額の義援金を出している。すごいなと思う。ありがたい話である。
売名行為だとか言う人間はクソ食らえ(失礼)である。たいていの人間は自分が大金持ちだったら、もちろん出すよと思ってるかもしれないが、大金持ちでも出さない人間は出さない。
自分で稼いだ自分の財産、人にくれてやる義務はないのである。
例え、純粋に「ああ、何とか手助けがしたい」という義侠心からではなく、ここでいい所見せとかないという不純な動機だったとしても、“ありがたさ”ということでは何ら変わりないのだ。
一方、日々の暮らしに汲々としている一般庶民にしても、なけなしの小遣いの中から尊い志を差し出すので「義援金」となるのであって、メーリングリスト仲間の「 死者の出た12都道県と長野・新潟・山梨・埼玉各県を除く31府県全国民に被災者復興義援金、1人100円を義務付けてはどうか?」という意見には頷けない。
強制はNGだと思うのだ。
実は職場でも「個人で寄付をした人もいるだろうけど、もし賛同してもらえるなら一人1000円給料引きさせてもらって、それをまとめて寄付したいと思うのですが・・」と声かけしたところ、一人何某に「個人で出さなくても、会社が出したらいいんじゃないか・・・」と言われ、(うっ)となった。
責めることは出来ない、あくまで自由意志なのである。
心の中で(だからこの人は・・・)と人格否定のブラック想念がもたげかかるのを抑え、少なくとも当然でしょという押し付けがましい物言いはしてないぞ、都合を伺う姿勢は示したつもりだし、と自分の態度を精査しなければならなかったが。
金額についても、最低自分の生活は守らねばならない。
一般庶民の捻出できる額はたかが知れてる。だからほんとに有名人の大きな額の義援金には勇気付けられるのだ。
もちろん、お金だけが全てではない。
自分のできることはいろいろあるはずだと思う。
天皇陛下がおっしゃってたように、長く心を寄せてその出来る事を考え続けて行くことが大事なんだと思う。
ところで、写真の菜の花を生けてある花器はいまだ使ったことのない食器(鉢二つ重ねてある)である。
考え直す必要があるだろうか、そうした食器の扱いについて。
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本日の春よ来い弁当

2011-03-18 13:06:06 | 本日のお弁当
 
・「菜の花」が名の通り花開いてます。食するには一向に差し支えありません。
 菜の花の色のきれいさを保つため、先に豚バラだけソテーして後から巻きました。
・微妙な調整、1個半のゆで卵に本日は“もろみ”を載せて。
・焼き鮭は味噌汁におけるわかめの如く、我が弁当の常連ネタ。
・キョーエイで買った10品目の野菜サラダ、色彩が明るいでしょう?
・リンゴもトマトも赤類で明るいでしょう?
ちょうど食後に「大粒いちご」が届きデザートにいただきました。「たかおちゃん」という名前だそうです。
のり玉のふりかけ振って、弁当には春が来てます。
被災地にも早く春が来ますように。
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引き続き考える

2011-03-17 21:10:48 | 日記
同時に色んなことを考えます。

・今回の地震の呼び方がYahoo!画面では「東北地方太平洋沖地震」となってますが、NHKのニュースなど見てますと「東北関東大震災」というテロップを出してますし、徳島新聞では「東日本大震災」と表記されてます。
いずれしかるべき時期には統一されるのでしょうか。

・いくつかの知り合いのブログでぱったりと更新が止まってるのを見るとやはり寂しい気持ちになります。
しばらく自粛するのなら応援メッセージを一言入れてからにしてくれたら何だか安心なんですが。

・買占めの自粛。例えばトイレットペーパー。確かに必需品なんですが、誰かが「必要以上に買い込まなくても足りなくなったら、何でも代用がきく、ティッシュでも、新聞紙でも、草でも・・・。」と書いてたのを見て、成る程と思いました。得てして人は自分の勝手さに気がつかないものです。余裕のない時には、もっと余裕のない人のことを忘れてはいけないですね。譲る余裕がまだある場合はとことん譲ろうと思いました。

・石原知事の「天罰」発言。
擁護というんじゃないのですが、言いたいことは分かるような気がします。
人間の驕りに対する共通認識としての反省、あるいは自然に対して現代人が忘れかけているように見える「畏れ」の感覚の呼び戻し、そういった事を考えてみるべきでは・・・ということだったんじゃないでしょうか。
物書きとして、一人歩きするコントロールしにくい言葉に対しての用心が足りなかったと言うことかも知れません。

・今日の徳島新聞の「読者の手紙」に徳島市の築地堅一郎さんが「今後組まれると思われる震災対策の補正予算の財源は、安易に国債に頼らないで貰いたい。現行の新年度予算のうち不要不急の歳出を大幅に削減し、補正の財源に充ててほしい。まずは子ども手当てを全廃し、震災対策に切り替えてほしい。~以下略」と投稿を寄せていました。賛成です。

・今は被災地の方たちに何が出来るか、復興に向かって何が最優先されるべきなのか、一人一人が真剣に考えて支援を惜しむものではありません。しかし、人類全体が未来に向かって如何に生きていくべきなのかという大所的な視点も忘れてはならないと思います。

・混乱に乗じて悪さする人間も少なくはないのが世の常です。
ファッショ的にならず、検証をし、平衡感覚を保ちながら、辛抱強く結果を出してゆかねばなりません。

・多くの人が応援してます。多くの光が被災地の皆さんを包んでいます。明けない夜はありません。
共に頑張りましょう。
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考えること

2011-03-16 12:44:26 | 日記
   
まず写真は本日支店出社しましたら、支店の男子社員からまたバレンタインのお返しが・・・。感謝です。
個人で物資を送ったりすることが迷惑でないなら、これをこのまま送って差し上げたい気持ちですが、当然NGですよね。
さて、自分のブログの在り方なんですが、更新をストップして事態が落ち着くのを待ってから再開するという選択もある訳ですが、わたしは不謹慎なコメントでない限り出来るだけ通常と同じように続けたいと思ってます。
一言でいえば「元気を届けたい」という気持ちからです。
これは多分現在のブロガーに共通の気持ちじゃないかと思います。
中には「この時期によくランキングのバナーを貼り付けてられますね、そんなに順位が欲しいんですか?」なんてひどいコメントを送りつけてる勘違い人間がいますが、多くの人は「そうじゃないよ」ということは分かってると思います。
「くるねこ大和」さんが“ランキングポチ”をはずしてるのは彼女のポリシーであって、当然すべてのブロガーが真似すべき行為という訳ではありません。
「祈る」ことが何になると毒づく人もいますが、まず祈る、願うことが出発点だと思います。
無関心という病気の人にはなす術がありませんが、自分が何も出来ないからとだだをこねてるとしたら、ちょっと大人げないですよね。
困ったときには助け合う、人間として当たり前のことです。
しかし、世の中いい人ばかりじゃないということも事実。
ヒステリックにならず、自分の身の丈で出来ることをこなしていくしかないんじゃないでしょうか。
こうした機会に普段は甘やかしていた自分に少し厳しくしてみる、これも悪くないと思います。
先日のコースター、湯飲みに敷きましたが、少し小さくて、地味でしたかね?
 
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