その昔、カメラ小僧だったころ、どこか遠くにいくと、必ず空を撮っていた。
いま、思い出しても鮮明に覚えている写真がいくつもある。
数十階調もの微妙なグラデーションの茜色に染まる夕空にそびえる黒いガントリークレーン。
紅葉の森から覗く、ディープスカイブルーの空をより透明に映す、とんでもなくきれいな青い色の梓川。
虹を貫く稲光。
今日、屋外で15分ほどの待ち時間に、じっくりと空を仰ぎ見た。
そこそこ風のあるなかで、雲はちぎれ、重なり、絶えず形を変え、勢いが衰えた陽光が めまぐるしく、荘厳に、彩る、そんな、過去に心打たれたどんな名画でも及ばない、刹那の芸術。
仰ぎ見る首を、仰け反りそうになりながら、90度方角を違えてみると、残光の饗宴など全く知らぬげに、空が、閑かに、ほんの僅かずつ、遠く、青くに落ちていく。
もう、ほんの少しでもちいさくなると聞こえなくなってしまう、ギリギリのかすかな音を立てて揺れている無数のススキが、まだ照らされ残っている高い雲の明るさと、お互いに、なにごとかささやき合っているかのような奇想。
かつて夢見たことのある、究極のプラネタリウム、
映像を投射されるドームスクリーンではなく、巨大なドームディスプレイの、まさにその中央に立って、首をめぐらし全天が見られる、
そんなものを造れたら、今日、私が見たものを、もっとよく描写できるのかもしれません。
いま、思い出しても鮮明に覚えている写真がいくつもある。
数十階調もの微妙なグラデーションの茜色に染まる夕空にそびえる黒いガントリークレーン。
紅葉の森から覗く、ディープスカイブルーの空をより透明に映す、とんでもなくきれいな青い色の梓川。
虹を貫く稲光。
今日、屋外で15分ほどの待ち時間に、じっくりと空を仰ぎ見た。
そこそこ風のあるなかで、雲はちぎれ、重なり、絶えず形を変え、勢いが衰えた陽光が めまぐるしく、荘厳に、彩る、そんな、過去に心打たれたどんな名画でも及ばない、刹那の芸術。
仰ぎ見る首を、仰け反りそうになりながら、90度方角を違えてみると、残光の饗宴など全く知らぬげに、空が、閑かに、ほんの僅かずつ、遠く、青くに落ちていく。
もう、ほんの少しでもちいさくなると聞こえなくなってしまう、ギリギリのかすかな音を立てて揺れている無数のススキが、まだ照らされ残っている高い雲の明るさと、お互いに、なにごとかささやき合っているかのような奇想。
かつて夢見たことのある、究極のプラネタリウム、
映像を投射されるドームスクリーンではなく、巨大なドームディスプレイの、まさにその中央に立って、首をめぐらし全天が見られる、
そんなものを造れたら、今日、私が見たものを、もっとよく描写できるのかもしれません。