その昔のE・EスミスのスペオペSF、レンズマンシリーズの初期の主人公で、幼い私が活字メディアで初めて、”ヒーロー”として認識したのがこの人です。ヴェランシア人(竜)のレンズマン、ウォーゼル、巨躯のオランダ人バスカーク、その他数限りない登場人物、異星人が銀河パトロールとボスコニアンの戦いに参集し、グレーレンズマン(独立レンズマン)となったキムが、とあるパーティで、その地味なグレーの出で立ち故に、かえって注目と尊敬の眼差しを集めるあたりは、私に中二病の前駆症状をもよおさせるに充分でした。
もっとも同世代の子供達にとっては、そんな銀河パトロール隊のことなど全く知らない興味ない面白くないのは、当然なので、手首に着けたレンズに対する熱い思いを語り、闘うことは無かったのでした。ジュブナイル世代を過ぎた後は、なんかレンズマンシリーズの設定や物語全てに気恥ずかしさを感じ、その後アニメ化されたときでも、どちらかというと避けてました。思い出多い作品とキャラクターなのにも拘わらず、思いだす度、懐かしさより気恥ずかしさが先に立つのはこのヒトだけで、当時の私が如何に強く影響を受けていたかが知れるのです。
もっとも同世代の子供達にとっては、そんな銀河パトロール隊のことなど全く知らない興味ない面白くないのは、当然なので、手首に着けたレンズに対する熱い思いを語り、闘うことは無かったのでした。ジュブナイル世代を過ぎた後は、なんかレンズマンシリーズの設定や物語全てに気恥ずかしさを感じ、その後アニメ化されたときでも、どちらかというと避けてました。思い出多い作品とキャラクターなのにも拘わらず、思いだす度、懐かしさより気恥ずかしさが先に立つのはこのヒトだけで、当時の私が如何に強く影響を受けていたかが知れるのです。