雨の3連休スタート。まあいいけど。
明日は町田エイサーに行きたいんだが。どうしてくれる。
金曜日は夕方に同僚と話し、
さらにTenでカウンターの皆さんと話し込みと
なんというか、ブレーンストーミングな週末の始まりでした。
最近よく考えることなのですが、
ひととひとは、望むと望まないにかかわらず
だれかとつながって生きている
そのなかで、自分の思いを伝えること
相手の思いを受け入れることのなんと難しいことよ。
自分の思いを、自分の形でぶつける人をたくさん見る。
それが、相手を傷つけることがあることに
気がついていない。
気が付いていても、
「それが自分のやり方」と言って、自分を肯定して
終わりにしてしまう。
受け取るほうは、一生懸命受け止めようと思うけど
心を守るためにガードしなければならない。
本当は内側にある、やわらかな感性を閉じ込めて。
そんな状態で、相手の思いをすべて受け止めることは難しい。
熱い心も、やわらかい頭も、封印しなければ
生きていけないのは悲しすぎる。
思いが伝わらない悲しさ、受け止められない悔しさ。
それをそばで見ているもどかしさ。
もう少し、もう少し考えれば、
何か見えるかもしれないのに。
そこまで深く考えるには、
今の時代はあまりに何もかもが早く動く。
何かおかしいと思うけど、考える時間がない。
そしてその思いは、重荷になっていく。
だれかが「その重荷を持ってあげるよ」
「考えなくていいから、ついておいで」といえば
その流れについて行ってしまって、大きな流れになる。
その流れがどこに行きつくかも考えないままに。
それはとても怖いことであることも気づかないままに。
でもみんながその流れにいるわけじゃない。
気がついたひとたち
何かがおかしいとおもったひとたち
それは大きな流れの中の
小さな石ころかもしれない。
でも、その石ころは流されない。
蹴飛ばされても、踏みつけられても。
それは組合屋の言い方で言う
「ごまめの歯ぎしり」ってやつかもしれないけど。
とりあえず、私は考えよう。
とりあえず、私は伝えよう。
ふにゃふにゃの心のままで。