みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 電気炊飯器

2020-09-09 06:17:00 | 日記
昨日、お昼に坂州の社会福祉協議会に立ち寄り、来月のケアプラン原案を居宅介護支援事業所へファックスして貰うようにお願いしました。
そのあと私は、フミ叔母宅へユキ妹からの届け物を持って行った時、昔の話を聞きました。瀬津の中川家は梅やんたちの生家ですが、母コリンさんの代から旅館をしていて、その後の兄嫁の代の時、ロクロウ山から下駄や木簡モッカンを運び出す職人さんたちが泊まり込んでいたようです。その人たちは三好郡や美馬郡、阿波郡から働きに来ていたそうです。六郎山に古い山小屋があると聞きますが、良い木材があったのでしょう。ずいぶん遠くから人が来ていたものです。梅やんから聞いたのは旅館をしていた事までですが、フミ叔母は小さい頃の記憶が良い。学校で優等したことがあるそうです。


梅やんはデイサービスから4時前に送迎で帰宅しました。1人置いてはろくな事をしない梅やんなので連れて、今度はチイ叔母宅へユキ妹からの届け物を持って行きました。


黒滝山が目の前に見えます。


西三子山が左に見えます。


さらに左にシガキノマルと高城山が見えます。
六郎山のふもとにチイ叔母宅がありますから真後ろの山です。


チイ叔母から梨やプリンをご馳走になり、キュウリの漬け物を頂きました。
私は板や垂木たるきをもらって車に乗せて帰りました。
それから、梅やんが「ご飯を炊く」と言うので、2合のコメを容器に入れてあげると梅やんは水で洗いました。水の量も加減してやって電気炊飯器のスイッチを赤のオンにしてあげました。1時間後に見てみると、梅やんはスイッチを止めて保温の黄色にしたまま置き、ご飯は半炊き状態でした。これでは仏様に祀るわけにも行きません。


お前はもう2歳のどたましかない。寝でも死にでもせえ、こんな飯が食えるか!となってしまいます。私は日暮れまで外で仕事をしておりました。梅やんはその間に電気炊飯器をいじってしまい、メシをゴジャにしてしまうのです。
ケアプランの総合的な援助の方針は、住み慣れた自宅での生活を継続できるよう支援して行く、と言う事ですし、本人は「家でいるのが楽しい。息するんもしんだいようなし、せこいし、格別何じゃしようとも思わん、まあ、ここでええわ」と、利用者の生活に対する意向が記載されております。
認知症の在宅介護はどこでもこんなものでしょうか。チイ叔母に梅やんが言う事には、「ワシャどこに泊ったのやら、何処へ行くのやら、行先に布団はあるんやら、着物はあるんやら分からん!昨日そこでメシをもらって食べたんやらも分からん!」と言うそうです。
実家療法も治療効果が上がらなくなってきている事は確かだろうと思います。六郎山のふもとの瀬津で生まれ、姉妹と共に長寿を生きた梅やん。徳島の山と川の間を行ったり来たりの旅を今しばらく続けます。
それでは今日はこの辺で。