みなみの梅やん介護日誌/とくしまの山と介護福祉

アルツハイマー認知症になった母親・みなみの梅やんが12年目を迎えての物語。とくしまの山の暮らしと地域包括ケアを書く。

みなみの梅やん介護日誌 梅やん、木頭ゆずチューハイを飲む

2020-07-15 05:57:00 | 日記
昨日、私は梅やんより先に出て吉野川市での会議に出席し、梅やんはいつも通り木沢デイサービスへ行きました。私の昼食は鴨島のイチロー寿司で軽く食べました。新型コロナウイルスの影響で減っていた客が回復しつつあります。


その後、石井町にある介護老人保健施設に寄り、来月からのショートステイ利用の契約をしました。5日間の利用ですが、今のところコロナ感染予防のため入所中は家族の面会ができないそうです。また入所中にベッドから落ちて骨折したり、せん妄状態になる事もよくあるので了解の上で承諾書にサインするように求められました。
石井町にはまだ田園が残っていました。ここは神山から出てきてすぐの所なのです。


行きも帰りも土須峠を越えました。朝は激しく降っていた雨は午後には上がりました。剣山スーパー林道がありますが40キロ先は通行止めとの看板が有ります。


地下足袋王子のファガスの森の食堂は今日も営業していますとの看板もあります。


実家に来てみると、梅やんが先にデイサービスから帰りくつろいでおりました。外に出てきて木頭ゆずのチューハイを飲んでいます。


こりゃあ美味い。


梅やんが何を思っているのか、背中のバストバンドは衣服の下でうまく着けられております。


けれども夜になると勝手に外して放ったらかしていました。認知症になるとこのような装具やマスクをすることや、入れ歯をつけることを忘れてしまいます。


昨夜の梅やんは腹が痛いとは言わずに、また徘徊もせずに大人しく寝ておりました。
今日も梅やんはデイサービスに行きます。
それでは今日はこの辺で。










みなみの梅やん介護日誌 梅やん肋骨骨折

2020-07-14 00:59:00 | 日記
4時間半ほど眠ると既に日付が変わっています。しんどい夢を見ていたのですが、梅やんがやっと寝ようとしているところでした。この時間まで何をしていたのでしょうか。


昼間の梅やんはデイサービスの後、上那賀病院へ行き胸部レントゲンとCTを撮りました。若い医師が見てくれて次のように言われました。肋骨が折れているようでズレているように見えるところがある。詳しくは専門の先生に見てもらってから木沢診療所へ紹介状を書いて送ります。中の方の気胸の心配はありません。取り敢えず20日分の痛み止めの薬を飲んでバストバンドをしていてと。



病院前の薬局で薬をもらうと5時15分でした。雨が降り続いておりました。
老人の骨は本当に折れやすいものです。肺が破れたり血が出ていなくて良かったです。今後は気を付けて介護をしましょう、と自分に言い聞かしながら帰宅しました。
先程、明日の朝のご飯を仕掛け、梅やんの紙パンツを替えました。これからまた眠りましょう。
明日はまたデイサービスです。それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 小雨、介護だけの1日

2020-07-13 08:21:00 | 日記


昨日は雨の日曜日でした。朝食を作り、梅やんの大便をした後の糞を流し、風呂で尻を洗って、昼食を作りました。畑にハメがいたのでカナ付きで押さえて取り、梅やんの脇腹の打撲の後に貼り付けました。しかし、梅やんは理解ができずに直ぐに剥がしてしまいます。また夕食を作り、風呂に入らせてから脇腹に湿布を貼り、ハメ焼酎を塗り、早めに寝させました。


昼間に私はヤギの世話をした以外は他にすることもなく、ほとんどの時間は梅やんの世話でした。
ヤギは、日本ザーネン種で那賀町朝生の農家がもうヤギのアイスクリーム作りを止めるので、要らなくなった子2匹を譲り受けたものです。この秋からは家の周囲の草刈り用に活躍してもらいます。


梅やんは一日中、病人のように休んでおりました。
今日はデイサービスです。私は三好市井川町でお葬式があり行ってきます。
それでは今日はこの辺で。




みなみの梅やん介護日誌 介護の失敗

2020-07-12 07:02:00 | 日記


雨は大したことがなくて、昨日午後に梅やんは木沢へ帰って来ました。途中の長安口ダム資料館でトイレ休憩する頃には青空が見えていました。
飼っている動物たちは腹を空かせていましたが皆元気でした。
梅やんは、左の脇腹が痛いと言ってセツ姉宅で湿布を貼ってもらっていました。木曜の夜に寝床に引きずった時にあばらを痛めたようです。昨夜はハメ焼酎を塗り湿布して寝させましたが、今朝も「腹痛い」と言っております。以前処方してもらっていた痛み止めと胃薬を飲ませました。
長く親の介護をしていると失敗もあるものです。もともと私と梅やんは馬が合わず、私が50歳になっても上から目線でものを言われて、たまに実家に様子を見に帰っても2日目には喧嘩になっていました。それが認知症になりボケて来たら尚更になります。安定剤を飲ませて介護をするか、迷う今日この頃です。
今日は日曜日です。家で梅やんを見ることにします。
それでは今日はこの辺で。



みなみの梅やん介護日誌 サンダル工場の街

2020-07-10 09:59:00 | 日記
昨日は午後2時半に梅やんを連れて木沢を出て、徳島市の沖洲へ向かいました。市内の福島橋を渡るとき、私は梅やんに、昔、兄弟がこの近くの新南福島の街のサンダル工場で働きながら城東高校夜間定時制に通っていた事を話しました。梅やんは「そうか、それでシゲフミは今はどこへいとるんぞ?」と聞いてきました。どこへもいとるまいと言うと、「死んだんか」とやっと梅やんの記憶が戻ってきた感じでした。あの頃の母は、夜間に行われた高校の入学式や卒業式にわざわざバスを乗り継いで山から出てきて保護者の席に座っていてくれたのでした。梅雨空の下、港沿いに車を走らせ沖洲に居る長女セツの家に向かう間に私は、長い歳月が経ったものだと思いました。


私は、夕食をセツ姉宅でよばれて、徳島自動車道を西へ、美馬インターで降りて自宅へ帰りました。剣山方向の端山の辺りの妙な形の山が霧の中に際立って見えました。大雨にならなければ良いのですが。
それでは今日はこの辺で。