昨日は朝、救急車が奥へ入り40〜50分してから出て行きました。川成か岩倉の人が病院へ出たのでしょう。
私が朝から荷物の準備をし始めると、梅やんは何かを察したらしく、「どこへ行くんぞ?」と聞いてきました。10時半には自ら番号を押してチイ叔母に電話しておりました。「どこへ行くのやら知らんけんど、またいて来るわ」と。
11時に家を出る時、梅やんは言いました。「私ゃまだひとりで居れるのに、飯も炊けるし、時々モリが見に来てくれたらええ。」
多彩天ぷら丼と蕎麦です。梅やんはうまそうにほとんど9割を食べました。入所期間は8日間なのでしばらく外食は出来ません。食べ終わるまでに随分時間がかかりましたが待ちました。
11時に家を出る時、梅やんは言いました。「私ゃまだひとりで居れるのに、飯も炊けるし、時々モリが見に来てくれたらええ。」
何がひとりで居れりゃあ、3日で死ぬわ、と私は口に出さずに申します。
神山への峠道を越えて石井町の介護老人保健施設へ向かいました。曲がりくねった山道を下りながら、梅やんは「モリはなんぞ仕事しよんか?」と聞いて来ました。私が月末は井川で集金の仕事で忙しいんじゃと答えると、「仕事せな食うていけんわなあ!」と言いました。こうした車での移動の必要性を梅やんは何とか理解して居るようです。
途中の道の駅神山で昼食にしました。
多彩天ぷら丼と蕎麦です。梅やんはうまそうにほとんど9割を食べました。入所期間は8日間なのでしばらく外食は出来ません。食べ終わるまでに随分時間がかかりましたが待ちました。
昔は反対だったなあ!子どもの頃、親に連れられて坂州まで行って帰り道が遠かったこと、パーマ屋さんや診療所、鍛冶屋などは坂州まで出て行かなければならず、バスが通っていませんでした。中学を出て愛知県の毛織物会社に就職するときも母親と一緒に新幹線に乗って岐阜羽島駅まで同行してもらいました。母親は会社の人に「よろしくお願いします」と、頼んでくれていました。今は反対に親を連れて歩くようになりました。
1時半を少し過ぎて石井町の老健施設に着きました。セツ姉とも沖洲から先日の忘れ物を取りに来るため、待ち合わせていたので一緒になり、梅やんはセツ姉の顔を見ると安心して入所して行きました。
梅やんは9月30日の夕方までショートステイをいたします。途中で1回洗濯物を取りに行くだけで、コロナ対策のため面会は出来ません。
それでは今日はこの辺で。