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アンソニー・トゥ回顧録⑤ 「水とアドバイスはタダ」?「後妻業」裁判へのアドバイス

2023-12-10 05:25:30 | アンソニー・トゥー(杜祖健)

2023-12-07 「The News Lens」
アンソニー・トゥ回顧録⑤

「水とアドバイスはタダ」?「後妻業」裁判へのアドバイス

 

杜祖健(Anthony T. Tu)

 

筆者紹介 

台湾出身の米国の化学者。コロラド州立大学名誉教授。1930年、台北市生まれ。 日本統治下の台湾で初の医学博士となった杜聡明氏の三男。台湾大理学部卒後、渡米。ノートルダム大、スタンフォード大、エール大で化学・生化学を研修。ヘビ毒研究を中心に毒性学および生物兵器・化学兵器の世界的権威として知られ、松本サリン事件解明のきっかけを作った。「毒 サリン、VX、生物兵器」(角川新書)など著書多数。


【注目ポイント】

日清戦争(1894~95)の結果、下関条約によって台湾は1945年まで約半世紀の間、日本の統治下に置かれた。戦前から戦後にかけて台湾医学の先駆者となった杜聡明氏の三男として生まれ、米国で世界的な毒性学の権威となった杜祖健(アンソニー・トゥ= Anthony Tu)氏。日本の松本サリン事件解決にも協力した台湾生まれ、米国在住の化学者が、その後も日本の犯罪捜査や事件解決に貢献したことなどを振り返る。

 

 

 

サリン事件解決への貢献で有名に

日本で起きたオウム真理教による一連のサリン事件。この日本中を震撼させた事件の解決に私が貢献したことが認められ、後に天皇陛下から旭日中授賞をいただくことになった。

その経緯を簡単に紹介すると、発端は松本サリン事件が起こった1994年に、日本の化学専門誌『現代化学』の依頼を受けて、「猛毒『サリン』とその類似体」と題した論文を寄稿したことだ。

その中の「土壌中のサリン分解物によるサリンの検出法」に注目した日本の警察庁科学警察研究所(角田紀子所長=当時)から接触があり、当時米陸軍の毒物研究に協力していた私は、陸軍からサリン分解物の、土壌の中での毒性や分析法などを解説した資料を入手し、これを研究所に提供した。

これを手掛かりに、日本の警察は山梨県の旧上九一色村にあったオウム真理教の施設付近の土の中からサリンの分解物を検出することに成功し、教団とサリンとを結びつけるきっかけのひとつとなって、一連の事件解決につながったのだ。

このとき私は日本の警察に具体的な提案をした。それは、「サリン自体は揮発性が高いのですぐに消えてしまう。だからサリンの地中での代謝物を検査するべきだ」ということだった。

これが奏功し、日本の警察はオウムがサリンを作っていること突き止めたのだ。

いずれにせよ、こういった経緯から、私のことが日本で有名になり、あらゆる毒物関連の相談が寄せられるようになっていった。

ただ、ほとんどの場合が無報酬で、米国での暮らしが長い私にとっては、「ああ、日本では水とアドバイスはタダなのだなあ」とつくづく実感したものだ。

 

©REUTERS

▲教祖麻原彰晃の肖像画の前で修業するオウム真理教の信者ら=1999年7月19日、足立区 ©REUTERS

 

 

「日本の常識」は「世界の非常識」

もちろんどのケースも、「日本や日本社会のためになることならば」と喜んでお手伝いをさせてもらった。私自身も、報酬があろうがなかろうが、公共のためにお役に立つならば、それでいいと思っているからだ。

ただし、これは戦前の台湾で日本式の教育を受けた世代だからこその感覚かもしれない。父はいつも私たちに言っていた。他人を手伝うときに報酬を考えてはいけないと。そういうバックボーンのない他の国の人に対しても、もし日本人がいまも同じような態度でいるのだとすれば、もう少し国際感覚を養った方がいいかもしれない。せめてお礼状のひとつくらいは、届いてもいいと思うのである。

少年時代を日本人として過ごした者の責任感から、交通手段や通信環境の発達で世界が狭くなったいま、あえて苦言を呈しておこう。

 

「後妻業事件」でもアドバイス

さて、私がお手伝いしたことについて一例をあげて説明しょうと思う。

それは2007年から2013年にかけ、大阪、京都、兵庫3府県を舞台に、女性が夫や内縁関係にあった高齢男性3人を青酸化合物を飲ませて殺害し、1人が青酸中毒になった「関西青酸連続死」事件だ。

女性が財産目当てで高齢男性に近づくというシチュエーションの類似性から小説「後妻業」(黒川博行)にちなみ、報道などでは「後妻業事件」とも呼ばれている。事件発覚当時は連日のように大きく報じられ、日本社会を震撼させた事件だ。

当時の報道や状況をみると他にも多数の被害者がいたと容易に推定される。事実、犯人である筧千佐子死刑囚自身も逮捕されたのち、この他にも4人の高齢男性に対する青酸化合物による殺人を認める供述をしたのだが、いずれも有力な物証がなかったため不起訴処分となった。ただし本件では2021年に死刑が確定している。

現在彼女は刑の執行を待つ身だが、22年9月には本件の殺人罪の被害者の1人で内縁関係にあった男性の事件に関し、青酸中毒ではなく病死だとする医師の鑑定書を「新証拠」として提出し、京都地裁に再審請求している。

私はこの「後妻業事件」においてもアドバイスを求められ、多少の関りを持ったので、以下その経緯について記しておこう。

 

京都の弁護士から突然のメール

ある日、日本の京都の弁護士たちから「この事件について相談したい」というメールが唐突に寄せられた。

私はちょうどその時期に京都大学で講演する予定があったので、「では、京都にうかがった際に相談に乗りましょう」と応じ、後日京都に乗り込んだ。

私は当初、京大講演の終了後にその場で相談に応じるつもりだったのだのだが、講演会場に押し掛けた弁護士らは、「オフイスまで来てほしい。そこで話がしたい」という。別にかまわないと思って、一緒に彼らのオフイスに行った。

そこでいろいろな書類を次々に示されたので、「米国に戻ってから検討して返事をする」と話してその場を辞し、帰宅後に時間をかけてこの犯罪事実をじっくりと検討した。

筧死刑囚の犯罪が特異なのは、遺産などを目的に配偶者のいない高齢男性を狙ったことである。起訴状では4人の夫や内縁の男性に相次いで青酸カリを飲ませ、殺害、あるいは殺害しようとしたことになっていた。

私はその起訴状を詳しく読んで検討したうえで、自身の見解をまとめた報告書を作成し、この京都の弁護士に示した。

 

▲京都大学=2019年10月23日 ©Shutterstock

 

報告書を示すもそれっきり…

私の見たところ、4件のうち2件は被害者の体から確かに青酸カリが検出されていた。そのためこの2件は殺人に間違いないと判断した。しかし他の2件は青酸カリを検査、検出していないのではっきりと殺人だとは断定できないと判断し、その旨を私の結論だとして京都の弁護士に書面で示した。

私としては、精いっぱいの時間と労力を費やしたので、お礼状のひとつくらいは寄こしてくるものと思っていたが、そのまま何の音沙汰もなかった。

後でわかったことだが、筧死刑囚の弁護士は国選であり、「2件は確かに殺人である」という私の結論は、筧死刑囚を弁護するうえで望ましいものではなかったのだろう。

それでも弁護側は公判で、4件のうちの内縁男性の事件について「青酸は検出されておらず、病死や他の薬毒物が原因で死亡した可能性がある」などと主張し、22年9月には「病死」だとする医師の鑑定書の提出し、京都地裁に再審請求しているのだが…。

 

消費される「安い日本」と表裏一体か

私は米国だけでなく、他の国にも招かれて毒物関連の相談に乗ることが度々あるが、ほとんどの場合は相談の費用を用意しており、それとは別に航空券や滞在費も出してくれる。

助言や親切が日常生活にあふれている日本は、蛇口をひねればそのまま飲み水が出てくることと同様に、その幸福な環境が当たり前のことになってしまっているが、実は世界では極めてまれなことなのだ。

もちろん親切や助言にあふれた社会は素晴らしい。

しかしいま、円安で、世界中の観光客が日本を訪れ、彼らはそのサービスの質の高さと対価の安さに驚きをもって飛びついているのだが、少ない対価でも親切で丁寧が当たり前の日本の常識が、世界から一方的に消費されているという状況とも、表裏一体の問題なのかもしれない。

 

日本人よ、プロ意識と誇りを!

以下は蛇足ながら、苦言ついでに私が「後妻業事件」で相談を寄せられてつくづく思ったことを述べておく。それは、日本にもその道の専門家が数多くいるにもかかわらず、それを知らない、もしくは探し出そうとしない弁護士たちは不勉強なのではないか、ということだ。

私はたしかに一連のサリン事件解決で有名になったが、日本には私よりも犯罪に関する知識が豊富な専門家はたくさんいる。国選とはいえ、プロの弁護人ならば被告人のため最善のアドバイスを得るよう努めなければならない。日本の職業人は世界でも突出してプロ意識が強いものだと理解していたが、そうした面でも昨今の日本は変質しているのだろうか。

(2023-12-07 「The News Lens」からの転載)

 

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