【連載】腹ふくるるわざ(59)
富士山を向く神社
桑原玉樹(まちづくり家)
鹿島神宮は富士山を向いている?
前のブログではレイラインについて書いた。この時、グーグルマップで富士山と鹿島神宮を線で結んでいたら、ふと気が付いた。
「あれ? 鹿島神宮の奥参道は富士山の方を向いている。社殿も富士山の方角に合わせて建っている!」
湖面に立つ一の鳥居(西)から楼門までの参道はわずかにずれて富士山の南にある愛鷹山の方角を向いている。しかし、楼門から先の奥参道は正確に富士山の方角だ。社殿も参道に直角に建てられているから、やはり富士山の方角に合っている。
▲鹿島神宮~奥参道と楼門。楼門の正面は富士山を向いている(googleストリートビューより)
▲鹿島神宮~奥参道は富士山を向き、社殿は直角に建っている(境内図は鹿島神宮HPより)
東国三社
「東国三社(とうごくさんしゃ)」というのがある。茨城県にある「鹿島神宮」「息栖(いきす)神社」、千葉県にある「香取神宮」の三社をまとめた呼び名だ。江戸時代には、お伊勢参りの後やお伊勢参りに行けなかった人々に「禊ぎの下三宮巡り」として大変人気があったらしい。
利根川沿いの木下(きおろし)から船に乗って物見遊山で出かけることもあったようだが、今では日帰りバスツアーも企画されている。
▲東国三社の拝殿~鹿島神宮、息栖神社、香取神宮(いずれもウィキペディアより)
古事記などによると、天照大神(アマテラスオオミカミ)は、国造りにあたって「大国主神(オオクニヌシカミ)が治めている葦原中国(アシハラナカツクニ、地上の世界)は、わが子が治めるべきである」と宣言して、高天原から2回も使者を派遣した。
しかし大国主神は一向に応じない。そこで、武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)、天鳥船神(アメノトリフネノカミ)、経津主大神(フツヌシノオオカミ)が派遣され、出雲の国譲りは成功した。これらの神々が祀られているのが、東国三社なのだ。
鹿島神宮:武甕槌大神
息栖神社:天鳥船神と久那戸神(クナドノカミ、葦原中国へ先導した)
香取神宮:経津主大神
創建はそれぞれの社伝によると、鹿島神宮が神武天皇元年、香取神宮が神武天皇18年、息栖神社が応仁天皇の代という。神代の時代だからあてにならないが、大和朝廷成立時に創建されていたのは間違いなさそうだ。いずれの神社も東国・蝦夷地平定の地政学的拠点だったようである。当時の海水面は現在より高く、この一帯には香取の海という広大な入り江の海が広がっていた。大和から船に乗ってやってきて東国・蝦夷地に向かうのに適地だったのだろう。
▲東国三社は香取の海に面していた
三社ともに一の鳥居は水中あるいは水辺に面している。鹿島神宮と息栖神社では参道を下っていくと、一の鳥居の間から遠く富士山が望める。古代には手前に広大な香取の海。その向こうに噴煙を上げていたに違いない富士山。古代の人々は畏敬をもって拝んでいたのだろう。
▲左から鹿島神宮・西、息栖神社(=鹿島神宮・南)、香取神宮の「一の鳥居」。いずれも香取の海に面している(googleストリートビューより)
東国三社も富士山も向いている?
さて、鹿島神宮以外の東国三社の参道や社殿も富士山を向いていないだろうか? 調べてみたところ、どんぴしゃり! 香取神宮は、旧参道が富士山を向いており、社殿はその方角に対して直角に建っている。そして、息栖神社は、参道、社殿ともに富士山を向いている。社殿は、伊勢神宮の式年遷宮のように頻繁に建替えが行われたものの、この原則は伝承されてきたのだろう。
▲香取神宮~旧参道は富士山を向き、社殿は直角に建っている(香取神宮HPより)
▲息栖神社~社殿も参道も富士山を向いている(息栖神社HPより)
残念! ほとんどの神社は富士山を向いていない
ところで、千葉市稲毛には浅間神社がある。かつて千葉市に住んでいたこともあり、子供や孫の七五三などで何度も参拝している。昭和30年代からの埋め立てで今は前面に海浜ニュータウンが拡がるが、埋め立て前は海岸段丘の上にあって東京湾に直面していた。
東京湾の向こうには富士山が見える。富士山信仰の浅間神社だけに参道や社殿は富士山を向いているだろう、と思って調べてみると、なんとあらぬ方向を向いている。30度も南の三浦半島を向いているではないか。
浮世絵の富岳36景に「登戸浦」がある。近くにある登戸神社の鳥居の間から富士山が見えるが、北斎も正面でないのを残念がっただろう。
▲葛飾北斎「富岳36景」登戸浦
さらにしつこく伊勢神宮、出雲大社、諏訪大社、鶴岡八幡宮、明治神宮などなど調べた。だが、どれも富士山の方角とは無関係だった。残念。
鹿島神宮からのダイヤモンド富士を
鹿島神宮の一の鳥居(西)の間からダイヤモンド富士が見えないだろうか? 近くの小高い城山公園からの写真はあるが、鳥居の間からの画像は出てこない。途中の橋やら段丘やらの標高を調べて視角を計算すると、見えそうに思える。どなたかのチャレンジを期待したい。
▲鹿島神宮一の鳥居(西)からの夕陽(鹿島神宮X〈旧ツイッター〉より)
【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】
昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシア総理府のクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、南山小学校区まちづくり協議会会長、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員、「ダーツの会」会長。