【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」(66)
「あんた、幾つになる?」「もう81よ」「若いでええなぁ」「で、あんたは幾つなん?」「82だよ」
こんな会話を聞いたのは、私が60代に入った頃、右足の踵が痛くて行った病院の待合室である。私は笑いをこらえるのに必至だった。見た目の二人は服装や顔つきが、いかにもお年寄りといった風情であったが、「たった1歳のことがそんなに大きな問題なのか」と笑う不遜な私がいたのである。
新年になって、私が所属している会のパークゴルフのプレーが終わってからのことだ。会の女性二人の会話に、少しぎくりとした。
「いつお迎えが来るか分からないからね……」
その後の言葉をはっきりと聞き取ることが出来なかったが、
「今年も頑張ろうね」
という意味が込められていたのだろう。パークゴルフ歴では先輩の私だが、二人共私より1歳若いと聞いている。でも、何かと体調に不安を抱えているようだ。
冒頭に記したが、何年か前に私が笑いをこらえた人の年齢に、自分もだんだんと近づいてきたことに、思いが走る。有名人の訃報ニュースに接してみると、年齢が自分たちとあまり変わらない人や、若い人もあり、考えてしまう。健康や体調には多少の年齢の差などは、全く関係が無いと思えるようになった。
身近な例を挙げてみよう。コーラスの練習の時は椅子に腰掛けてするのだが、実際には立って歌った方が声も出やすい。椅子に浅く座り背筋を伸ばすようにと、何度も先生から注意がある。時折立って歌うように指示が出るが、それらの動作が素早く出来て、しかも続けられる人は、年齢の差では計れない。
体調面の他にも、配られた楽譜の用意、先生からの注意の理解力など、認知が出始めると困難になる。私自身は、踵の痛さが治ったのも、立っていることが辛くないことも、今の元気さも、すべてパークゴルフを続けてきたからだ、と結論付けている。が、やがてはさまざまな事態が起きるかも。
パークゴルフのプレー中は、歩きや動作がのろのろとして遅い人を見かける。遅いだけではない。ちょっとした坂道も危なげなので、同じ組になった誰かにエスコートされる人もいる。それでも、プレーに参加することに意義があるのではないか。
私と同じ小柄なTさんは年齢が3歳上であるが、プレーも上手く元気だ。話を聞いてみると、飛距離が落ちたことに悩んでいた時、娘さんからアドバイスされ、ダンベル体操とウォーキングで汗をかくことを、毎日するようになったのだとか。彼女が偉いのは、それを素直に聞き入れ、続けていることだろう。
しかし、どんなに頑張っても、自身の体力の差が出始め、思いがけない病が出ることも。また、例を挙げてみたい。
パークゴルフの仲間で夫と同じ年齢ながら、車ではなく自転車で参加していて、一番元気だと思っていた人が、心臓に問題があるとかで、手術するとか、ステンレスなどの金属を用いて冠動脈を広げるステント治療をするとか。また、奥さんが入院することになった人もいた。家族に病人が出れば、それなりの対応に追われてしまうだろう。
さて、ゴルフにしてもパークゴルフにしても、参加するためには車の使用が不可欠である。免許の自主返納を考えねばならない時も来るだろう。誰かの車に乗せてもらわないと、それらの会への参加は不可能になる。
歩く筋肉と自転車を漕ぐ筋肉は、異なっていることに気付いてからは、今後の日常を考えて自転車に乗ることにして、体を慣らしてきた。住まいのコミュニティで実施している「楽トレ+脳トレ」にも参加している。
暑い時の体調の整え方も大事であるが、寒い冬の対策として、万病の元と言われる風邪を引かないように、日頃の生活を注意したい。予防注射も念のため秋に入ったら受けている。そして5年は有効とされる肺炎球菌ワクチンも、自己負担金が8000円と高かったが、これらは安心材料の一つと思っている。
他に、私に出来ることの体調の管理は、日々の食事に気を配ることだ。でも、簡単なようで、意外と大変である。結局、「易きに付く」ことになってしまう。取りあえず今は、家族の誰もが元気なことに感謝するしかない。