【連載】呑んで喰って、また呑んで(29)
あの鹿肉鍋をもう一度
●台湾・阿里山
誰にでも忘れられない味というのがあるだろう。私の場合、台湾の阿里山で食した鹿肉だ。あれは大学3年のときだから、今から半世紀前になる。随分と昔の話だが、今でもその味を鮮明に思い出す。というか、しっかりと舌に焼き付いている。友人の上野晴夫君と二人で2週間かけて台湾を旅することにした。上野君も私も20歳である。友人はともかく、私は自分でも惚れ惚れするような紅顔(けっして厚顔ではない)の美青年だった。
それはさておき、かつて台湾は日本の領土である。その当時、日本一高い山は富士山ではなく、台湾の新高山(3952m)だった。ちなみに日本軍が真珠湾攻撃を開始するときの暗号が「ニイタカヤマ(新高山)ノボレ1208」。大戦後は蒋介石の国民党に占拠されて中華民国になったので、私には初めての海外旅行である。新高山も玉山に改称された。
台北を起点に鉄道とバスを乗り継いで一周することになった。見るもの聞くものは当然、食べ物、飲み物も珍しいものばかりなので、退屈する暇などない。台中、高雄とそれぞれ1、2泊しながら列車で嘉義へ。
嘉義というと、昭和8(1931)年夏、甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会(今の高校野球大会)に初出場して準優勝した嘉義農林学校(現国立嘉義大学)を思い起こす。通称「嘉農」の大活躍を描いた台湾映画「KANOO~1931海の向こうの甲子園~」が2014年に台湾で公開されて大ヒット。その翌年には日本でも公開され、話題を呼んだ。
この嘉義から乗ったのが阿里山森林鉄道である。そう、阿里山に登るのだ。この阿里山から玉山のご来光を見に来る観光客が後を絶たない。森林鉄道は急な勾配をゆっくりと進むので、3時間半かって阿里山に着いた。ひんやりとした空気がすがすがしい。
私たちは日本統治時代に建てられたという旅館にチェックイン。部屋に入ると、なんと畳が敷かれている。まるで日本の旅館そのものだ。トイレは共同だったが、「個室」のほうは想像だにできない場所に設置されていた。
排泄物を落とす直径20センチほどの穴から覗くと、な、な、なんと、はるか真下に谷底が見えるではないか。つまり、排泄物が谷底に落下するという仕組みである。高所恐怖症の私が「ひえ~」と縮み上がったのは言うまでもない。こんな「恐怖のトイレ」を体験したのは、このときが最初で最後である。
さて、夕食の時間がやってきた。旅館の近くで食べようかと思っていたところ、急に襖が開いた。見知らぬ青年だった。その青年は部屋を間違えたらしい。が、私たちが日本語をしゃべっていたので、
「アー・ユー・ジャパニーズ?」
「そうです」
「これから私たちも部屋で夕食をとるところなんだ。君たちも一緒にどうだい?」
もちろん、断る理由はない。遠慮なく彼についていくことに。私たちの部屋の斜め向かいの部屋に入ると、私よりも数歳年上と思われる青年4人が座っていた。この部屋も畳なので、みんな胡坐をかいている。揃いも揃って知的な顔だ。
大阪の大学生だと自己紹介すると、彼らも名乗った。全員、名門の国立台湾大学を卒業したばかりで、財政部(財務省)に勤務する若手官僚である。明日の台湾を担うエリートたちだった。休暇を利用して阿里山に来たという。座卓には大きな鍋が置かれたガスコンロが。何やらぐつぐつ煮込んでいるようだ。うーん、いい匂い。空腹にこたえる。
「何の肉ですか?」
「鹿だよ、鹿」と、私たちを案内した青年が教えてくれた。「君たち、鹿を食べるのは初めてかい?」
「ええ」
「すごく美味いよ」
別の青年が肉を私たちの皿によそってくれた。
すぐに口に放り込む。初めて経験する味だ。それに驚くほど柔らかい。舌の上でとろけそうである。鹿肉と一緒に煮ているのは、玉ねぎと椎茸、それに見たこともない野菜が数種だった。味付けはすき焼きとふつうの鍋料理の中間ぐらいである。いずれにしても絶妙の味付けだった。
「さ、ビールで乾杯しよう!」
誰かが言った。私たちのグラスにも「台灣啤酒」が注がれた。当時、台湾でビールと言えば、「台灣啤酒」だけである。けっして美味いビールとは言えないが、鹿肉には不思議なほど合う。
乾杯が何度も繰り返され、お次は台湾産の紹興酒をすすめられた。阿里山の麓にある埔里でつくられる紹興酒で、世界的にも知られている。私たちが呑んだのは、5年以上熟成させた「陳年」である。ちなみに埔里は美食家たちを魅了する台湾ビーフンの産地としても有名だ。
鹿肉を堪能し、紹興酒にほどよく酔った。宴は深夜まで続いたが、このとき食した鹿肉ほど私の舌を大満足させたものはない。あれから何度も阿里山に足を運ぶ機会はあった。
しかし、あの台湾人エリートたちと一緒につついた鹿肉鍋と同じ味には未だ出会っていない。鹿肉そのものが変わったのか、それとも特殊な隠し味が加えられていたのか。彼らはもう引退したことだろう。いつかどこかで偶然再会し、あのときと同じ鹿肉鍋をもう一度再現してもらいたいものだ。ああ、あの鹿肉鍋をもう一度食べたい!