【特別寄稿】
月面着陸と頤和園の「一歩」
小野敏郎 (千葉県テニス協会・前会長)
昭和23(1948)年、大分市生まれ。昭和46(1971)年に九州大学を卒業後、日本航空に入社。平成19(2007)年、出向先の役員を最後に日本航空を退社する。在職中の平成13(2001)年から千葉県テニス協会の役員を務め、平成22(2010)年に開催された第65回国民体育大会(国体)のテニス競技(柏市)では千葉県の責任者として関わる。平成25(2013)年6月から令和元(2019)年6月まで千葉県テニス協会の会長を務めた。
あまりにも有名なアームストロング船長の言葉
20歳の夏も今日と同じくらい暑い熱い日々でした。ときは1969年の夏休み。大学生のうちに車の免許をとろうと、下宿先から自転車で20分くらいのところにある自動車学校に通っていました。何しろ初めて乗る自動車です。クラッチ、ギヤ、アクセル、ブレーキ…どれも訳も分かりません。
しかも、あまり空調の効いていない車の中です。ひたすら冷や汗をタラタラ流しながら、何度もなんどもエンストを繰り返すので、隣に座っている教官から急ブレーキをかけられ、叱り飛ばされながら頑張ったものです。
そんなとき、アメリカから衝撃的なニュースが飛び込んできました。日本時間7月21日午前、宇宙船アポロ11号が月面着陸を果たした、というではありませんか。乗組員はニール・アームストロング船長(2012年死去)、飛行士のバズ・オルドリン、マイケル・コリンズの3名。
先ごろ開かれた月着陸50周年記念式典でペンス副大統領は、「30世紀になっても多くの人々の記憶に残るだろう20世紀の出来事は、これだけだ」と讃えました。オルドリンは「歴史的な機会を与えられ、務められたことを誇りに思う」と述べ、コリンズは「宇宙から地球ははかなく見えた」と思いを訴えました。
ここでアームストロング船長のあの有名な言葉に触れましょう。そうあの一言です。
That’s one small step for (a) man, one giant leap for mankind.
(一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である)
蛇足ながら、原文において括弧を付してある (a) は本人が発音(表現)するのを忘れた、もしくは電波の状況が悪く音が漏れた、もしくは機器の性能のせいで音を拾えなかった、などと言われています。
ただし、アームストロング船長自身は (a) の発音をしなかったと認めたうえで (a) で表示するのを好んだということですのでそれに倣うことにしましょう。ペンス副大統領の「20世紀の出来事はこれだけだ」は多少大げさかもしれませんが、科学技術だけではなく、文化や、思想の面で大きな足跡を残したといえるでしょう。
北京・頤和園トイレでの驚き
さて、時移り2007年2月11日、私は北京・南三環中路を西に向かう車の中にいました。もともと北京に来た目的は、テニスのデビスカップ国別対抗戦を観戦することでした。日本対中国が開かれるということで北京駐在の知人Y氏から声がかかり、応援に駆けつけたのです。試合が早めに終わったので、Y氏に「どこか観光しませんか?」と誘われ、数年ぶりに頤和園(いわえん)に連れて行ってもらうことになりました。この時点では頤和園で驚きの光景を目にするとは想像だにしていませんでした。
頤和園は北京市内の北西部にある風光明媚な庭園です。当初は清漪園と呼ばれており、1153年に行宮が置かれて以降、貯水池の造営、寺の建立などが行われ、1750年には乾隆帝による山の造営、貯水池の拡張が実施されました。その後、国力の衰退に伴って清漪園も荒廃し、英仏連合軍と清の間で起こったアロー戦争によって、1860年に清漪園は破壊されてしまいます。
しかし、光緒帝が西太后の隠居後の居所とすべく命じたので、1884年から再建が始まりました。清漪園から頤和園と改称されたのは、再建途中の1888年のことです。1998年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
そんな頤和園ですから、早く着きたい、早く見たい一心でした。ところが、幹線道路の渋滞がひどく、なかなか到着しません。北京の中心部から14.5キロですから、ほんの30分もあればとっくに到着できるはずですが、約1時間もかかってしまいました。北京市内のインフラ整備の遅れとモータリゼーションの急速な進展という極端なアンバランスのせいでしょう。
ようやく到着したときには、駆け込むようにしてトイレに行く羽目になりました。用が済んでほっとしたのと同時に、はっと気が付いたことが二つありました。一つはトイレがとても綺麗なこと。もう一つは何かというと、ちょうど目の高さのところにあった張り紙に書かれていた「向前一小歩」という文句です。日本のトイレにもよく見られる「一歩前進」とか「前に進んで」という意味ですが、日本人からすると、さわやかな漢詩風に感じるかもしれません。
が、その次に書かれていた文句を見て、私は思わず「あれっ、これはあれではないか!?」と声を上げました。一体何が書かれていたのかというと、「文明一大歩」です。何やら認知症の人にありがちな指示代名詞を並べた言い草ですが、まさにアームストロング船長が月面で言葉にしたone small step, one giant leap ではありませんか。
「向前一小歩 文明一大歩」を書いた「北京の詩人?」はアームストロング船長の「一歩」を多分知らなかったでしょう。しかし、船長も「詩人」も時空を超えて、いみじくも「小さな一歩」が「偉大な一歩」になることを見抜いています。
しかも「詩人」は対句の技法まで駆使して、気宇壮大な文明に触れています。そして、こんな真面目なことをさりげなく頤和園のトイレに残すなんて、なんとユーモアにあふれた奥ゆかしい人なのだろうと思うことしきりでした。
初出場の北京デ杯で勝利した日本人の「一歩」
書き始めると長い文章になりそうですから、中国のトイレ事情についての話はやめましょう。頤和園のとても綺麗なトイレは腑に落ちました。察するところ、1998年の世界遺産登録にあたり、中国政府が面子をかけて立派なものにしたのでしょう。
もう一つ、今回拙文を寄稿するにあたり、頤和園のトイレ内で見た五言詩の字句が正しいかどうか自信がありませんでした。そこでダメもとで「頤和園、トイレ、一歩」で検索してみました。するとどうでしょう、この五言詩に触発された人が他にいることが分かりました。
私の発見から遅れること2年、2009年7月の写真付きの投稿です。アームストロング船長の「一歩」には触れていませんでしたが、この御仁は「たかがオシッコのことで文明を担ぎ出す文明度(文化度?)の高さにオドロキました」と述べていたのです。
最後にもう一つ、私も観戦した2007年の北京でのデ杯で初出場ながら勝利、しかも最年少勝利をあげた選手がいました。2005年に柏で開かれたインターハイテニス競技でも優勝した杉田祐一選手です。
この杉田選手、国内ではあまり有名ではないですが、2017年にウインブルドン選手権の前哨戦であるアンタルヤ・オープンでATPツアー初優勝を飾り、世界ランク自己最高の36位まで上り詰めました。あの錦織圭選手をして、「孤高の仙人」と呼ばしめた男です。勝手な想像ですが、彼の最初の「一歩」は、私の目前で初勝利を飾った北京でのあの1勝だったのかもしれません。