【連載】呑んで喰って、また呑んで㉚
「現代のマルコ・ポーロ」がやって来た(その1)
●日本・東京
「これ、店から持ってきたよ」
赤坂の事務所に入るなり、髭もじゃのセルジュが嬉しそうに紙袋からボトルを取り出した。
「おー、ブランデー?」
「ノルマンディーの『カルヴァドス』だ。美味しいよ」
そういえば、セルジュもノルマンディー出身だった。彼がバイトをしている六本木のフランス料理屋で貰ってきたのだという。
「夕飯はまだでしょ。ケーキも貰ったから、みんなで食べないか」
彼はその店でデザートを担当していたから、勝手に持ってきたに違いない。時計の針は午後6時を過ぎている。もう呑んでもいい時間だ。ま、いつも友人が訪ねてくると、近所の居酒屋で3時頃から呑み始めていたが…。
当時、私は日本ではまだ珍しい軍事専門誌の専属記者をしていた。事務所とは、その雑誌の編集部。あ私も含めて3人の男が残っていた。うちひとりのHは下戸で、まったくアルコールを受け付けない。呑めない。が、もう一人のSは大酒のみである。Sも私と同じ専属記者で、ミャンマーで政府軍と闘うカレン民族解放戦線を取材するため、ひんぱんにタイ・ミャンマー国境を訪れていた。
あるときSが髑髏盃を事務所に持ってきたこともある。人の頭骸骨でつくった盃だ。浅井久政とその息子の長政は織田信長に討ち取られたが、信長が部下に命じて二人の髑髏に漆と金箔で装飾させ、宴会で披露したという。Sも豪傑ぶって髑髏盃に日本酒を注いで呑んでいたものである。私もすすめられたが、気持ちが悪いので断った。
さて、髑髏盃の話はさておき、セルジュに再び登場願おう。その数カ月前のことである。当時、私が住んでいた高田馬場の安アパートにバイクに乗ったフランス人が転がり込んだ。それがセルジュ・トランピュである。なんでも2年前にバイクでフランスのノルマンディーを出発して世界一周の途中らしい。
タイのバンコクに寄ったときに英字紙『バンコク・ポスト』の取材を受け、「現代のマルコ・ポーロ、バンコクに来る」と大々的に報じられたという。同紙はいい加減な記事が多いことで外国人ジャーナリストの間で評価が低かった。それはともかく、なぜ、その男が私を訪ねてきたのか。
「ピクンという女性にもインタビューされたんだけど、私が次に日本に行くと知って、『だったらヤマモトという親切な男がいるから、訪ねなさい』と言われたんだ」
この連載にもたびたび登場する女性だ。ピクンめ、余計なことを言いやがって。けど、せっかく来たんだ。それもタイから船で横浜に着き、横浜からバイクで高田馬場まで直行したというではないか。
仕方がない。ひとまずバイクを安アパートの前に停めさせ、大きなリュックを私の部屋に放り込む。夕飯時だったので、近くの居酒屋、それも日本で一番安い居酒屋チェーンに連れて行った。
「カンパーイ!」
とにかく、まずはビールで乾杯である。
「日本にいつまで居るつもり?」
「東京にしばらく滞在するつもりだ」
しばらく滞在するのは勝手だが、一体所持金はいくらあるのか。
「うーん」とセルジュは神妙な表情を浮かべた。「あまり持っていない。100ドルしかないんだ」
「ほとんど持ってないじゃないの。仕方がない。しばらくうちに泊まりなよ」
それを聞いて元気が出たのか、セルジュは刺身のツマ、つまり千切りの大根を美味そうに頬張った。それも醤油もかけずに。刺身のツマをこんなに美味そうに食べる男を見たのは、そのときが最初で最後である。倹約していたので、ロクなものを喰っていなかったのだろう。
こうして「現代のマルコ・ポーロ」は、わが安アパートに居候することになった。1週間ほどしてから、事務所に行くと、下戸のHが朗報をもたらす。彼の友人に独身の作家がいる。だだっ広い一軒家に住んでいるので、タダで一部屋貸してくれるというのだ。結局、セルジュはその家に住むことになり、六本木のフランス料理屋にもバイトの口を見つける。仕事にもようやく慣れたときに、差し入れ持参で赤坂の事務所を訪ねてきたというわけだ。
カルヴァドスはリンゴ酒である。セルジュが言うように、確かに美味い。ブランデーよりもコクがある。冷蔵庫にチーズとスルメがあったので、それを肴にしてSと私がぐいぐい。セルジュはあまり呑めないが、あっという間にボトル1本が空になった。酔った、酔った。ケーキは甘党のHが独占したのは言うまでもない。
それから数週間後、セルジュが「ご馳走したい」と言うので、巣鴨のバーで呑むことになった。珍しくウイスキーを何杯もお代わりするではないか。そして、急に泣き出した。
「ど、どうしたの?」
「くくっ、うー、じ、じつは君に言ってないことがあるんだ」
「何?」
一体、何なのか。(つづく)