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旅と出張 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉟

2023-12-30 05:32:19 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㉟


旅と出張

世界

 

 私が退職したのは2019年9月のことだった。67歳と5カ月でのリタイアである。当然、それ以降の出張はない。というか、コロナのせいで、旅はおろか自由な行動もままならないままで、半径50キロ圏内での生活が4年余りも続いている。
 退職後、「グローバルから(超)ローカルへ」と生活が一変した。幸い地元の友人達に恵まれ、地域社会との接触が密になった。定年退職後、会社以外に友人、知り合いがいない人が多い中、幸せなことだと思っている。

 しかし、満たされない。出張にも旅にも出かけず、一カ所に縛り付けられるような生活はそろそろ限界だ。糸の切れた凧から海底の藻に絡みつかれた錨に変身したような気分である。「ああ、どこか遠くに行きたい。飛行機に乗りたい。船に乗りたい。見知らぬ土地を訪ねてみたい」
 ふとした瞬間、そんな妄想にとりつかれることがしばしばある。

 というわけで、旅と出張について考えてみた。といっても考えてみたのは、今から12年も前のことだ。当時駐在していた英国の「在英日本商工会議所」の会報『てーむず』に載せるということで「旅の話」というテーマの原稿を依頼された。2011年春のことである。その時の原稿をここに再現しよう。 

 

                    
《古くは家を離れることを総て旅といったそうです。であるならば、私たちの毎日は小さな旅かもしれません。筆者は旅という言葉から、自由、感動、解放、発見、拡散、未知、といった肯定的な連想をします。一方、旅はその非日常性故に、不安定、不確実で偶然に満ちています。

 そして、出張とは広辞苑によると「戦場に出て陣を張ること」とあります。英語のbusiness tripや中国語の「出差」という無味乾燥な表現と比べ日本語の「出張」は奥深い言葉ですが、我々が普段出張というときには、「特定の目的達成のために普段の職場以外の場所に出向く」という意味で、常に義務と束縛があり、自由や解放とは無縁です。従って、旅と出張は区別して考えていました。
 ところが、例えば、交渉事を伴う出張ではあらゆる可能性を想定して準備をしても、偶然や運に翻弄されることは避けられず、正に精神的冒険の色彩を帯びてきます。好奇心と感受性をどこかに置き忘れてさえいいなければ、平凡な出張でさえ、味わい深い旅とすることができるかも知れません。

 さて、最も心に残っている旅の話をします。十九歳の春、大学を一年休学し、スペインに遊学しました。インターネットも携帯もない時代です。手に入れることができる現地情報は非常に限られており、郵便による確認もままなりません。マドリッド、サラマンカ、バレンシアの何れかの都市の気に入った大学に潜り込むという荒っぽい計画で日本を飛び出しました。

 その時の体験が冒頭に記した筆者の旅に対する思いの原点です。バックパックひとつで、横浜港からソ連の貨客船ジェルジンスキー号でナホトカに向かい、そこからシベリア鉄道で九日ほどかけてヘルシンキに辿り着きました。宿も決めぬまま、夕暮れ迫る中、粉雪の舞うヘルシンキ中央駅に一人降り立つと孤独感と不安が思いがけない激しさで押し寄せて来ました。

 それから一ヶ月の放浪の後、幾つかの冒険のおかげで少しは逞しくなって、マドリッドの安ペンションに落ち着きました。今にしてみれば、無謀な旅でした。しかし、気分と風任せの貧乏旅行は、移動手段も宿も全て予約済みで出かける現在の旅と比べ、なんと刺激に満ち、贅沢でああったことか。来週の東京出張詳細日程表を前に、久し振りに思い出す日曜の朝です。》


                     
 以上だ。ところで、旅の醍醐味の一つに、いろんな人達との出会いがある。印象的だった何人かをご紹介しよう。

 

▲アブダビの友人

 

▲ロンドンの友人 

 

 

▲プラハの友人・その1

 

▲プラハの友人・その2

 

 今回は、年末のドタバタで手抜き原稿になってしまいました。そろそろ原稿のネタが尽きそうなのですが、ない知恵を絞りながらもう少しこのブログを続けてみようと思いますので、来年も引き続きご愛読いただければ幸いです。

 皆様、どうぞよい年をお迎えください。

 

 

                                 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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