【連載エッセー】岩崎邦子の「日々悠々」(71)
6、7人の集まりの場に、出席することになった時のことだ。そこにはお昼を持ち寄ることになった。まずはテーブルの上に紙パックの皿が置かれ、コンビニのおにぎりや、野菜の浅漬け、サンドイッチ、ポテトチップスやベビーチーズ、などが並べられた。
少し躊躇したが、私はプラスチック容器に詰めてきた手製の稲荷ずしに、紅生姜を添えて、それらの横に置いた。稲荷の油揚げはキッチンペーパーで挟んで油抜きをし、少し甘目に煮た。酢飯には、しらす干しとゴマを混ぜ込んだ、私のこだわり品だ。
「へぇ~、主婦業、やってんだぁ~」
と誰かが言う。
「………は?」
私は困惑しながら、食べやすくカットしてきたオレンジも添えた。
「まだ、ちゃんと主婦業してるなんて偉いね」
「えっ?………何?」
この日、集まった彼女たちは、私より10歳ちかくも若く、スマートな生き方をしているらしい。
昨今は何とも便利な時代となって、弁当でも何でも、スーパーやコンビニで、好みのものを手軽に買うことが出来る。ウォーキングの会やパークゴルフの会でも、昼の用意にはコンビニを利用している人が多い。
特にコンビニは営業時間もあまり気にしなくて良い。「おにぎり」なんて厳選されたお米が使用されていて、中に入っている具もあれこれと豊富である。私もそうしたことは知っているが、なぜか昼の弁当には、例えば週一のパークゴルフに出かける時でも、何とか冷蔵庫にあるものを利用して用意する。
夫は現職時代やゴルフ場での外食に飽きているからか、日々の食事に外食をあまり好まない。なので、ほぼ毎日手製の料理でのやりくりとなる。私が友人たちと出かける時くらいは、便利な世の中の仕組みを利用してほしいのだが……。夫も炊飯器でご飯を炊くことは出来るので、作り置きをした総菜か、カレー、牛丼など、簡単なものを用意してから行く。
とはいえ、日々の食卓の用意に関して言えば、時には意欲満々となって作ることもあるが、年を重ねた今は、「もう、何でもいいから、誰か食べさせて~」となることが、しばしばである。小旅行での「上げ膳据え膳」的なシステムは、主婦にとっての最高のもてなしと思っている。
ところで、今更のように「主婦業って何?」である。先の集まりで彼女たちの言う「主婦業」とは、どうやら料理のことを言っているようだ。きっと、掃除などはきっちりとしてきているだろう。「主婦」とは、家事・育児を切りもりする既婚女性で、主な「家事」とは、掃除・料理。今日では専業主婦より働く妻が増えているようだ。
結婚してからの若い頃の私は、外で働くことはなく、家事全般をする専業主婦をしていた。それが満足であったかというと、決してそうではない。社会の一員から取り残されているような、あせりにも似た感情を持っていた。
特に子育てが一段落した頃は、いつも心が葛藤していた。当時は外で働くには年齢制限も厳しく家での内職的なことをするしかなかった。それでも印刷会社の下請け的な仕事をしている時は、社会と繋がっていられる気になっていたものである。
会社人間であった夫の仕事で、海外転勤という生活環境の大きな変化を経験すると、自分の生き方云々より、環境になれることに必死でもあった。子供たちを学生から社会人へと無事に送り出し、それぞれが家庭を持ったことで安堵。今では自身の日々の暮らし方が大事であり、関心事でもある。
この度、ひょんなきっかけで、「主婦業」を考えてみた。家事とは、当たり前のことだが、料理だけではない。日用の雑多な買い物や、洗濯の他に掃除がある。それはトイレや風呂、部屋、ベランダ(庭)、それぞれ独特の方法がある。ガラス磨きとか、指定された日の、指定されたごみの捨て方もあって、うっかり出来ない。どうしてこんなにモノが増えるのか、捨て下手という問題もある。
家事と言えるかどうかだが、それぞれの友人や、親族との付き合い方も、考える年齢になってきている。我が家も決して順風満帆であったとは言えないが、毎日が日曜になってからの夫、家事の一端の掃除の部分をかなり、担ってくれている。そして私の主婦業には落第点が多々あることは認めざるを得ない。ま、互いに言いたいことを言って双方が元気でいられれば、良しとしようか。