【連載】呑んで喰って、また呑んで⑭
タイの田舎町にあった「マキシム」
●タイ・アランヤプラテート
▲カオイダン・キャンプで難民の子供たちを世話する犬養道子さん
タイ・カンボジア国境の街、アランヤプラテート。カンボジアからの難民が大量にタイ側に流出していた頃の話である。私は当時、タイのバンコクに住んでいた。ある日、親しい特派員に、「犬養道子さんが難民キャンプに行くために、バンコクに来たんだ。私もこれから彼女に会いに行くけど、君も一緒に行かないか?」と誘われた。
犬養道子さんと言えば、5・15事件で青年将校に暗殺された犬養毅首相の孫娘である。戦後はアメリカやフランスに留学し、1958年に出版した『お嬢さん放浪記』がベストセラーに。その後、フランスを拠点にして聖書研究をライフワークに、『旧約聖書物語』『花々と星々と』『私のヨーロッパ』『ラインの河辺 ドイツ便り』『西欧の顔を求めて』など数々の著書を生み出した評論家だということは知っていた。
毎日暇を持て余している身である。断る理由はまったくない。こうして市内のホテルで犬養さんに会ったのだが、なぜか初対面のときから気に入られたようで、「あなたも一緒に難民キャンプに行ってくれるわよね」と強く要望された。気の弱い私なので、断るなんて、とてもとても。そんなわけで、翌日から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が運営するカオイダンの難民キャンプへ。私は孤児担当で、犬養さんは食事分配をすることに。
1週間ほど難民キャンプで働くことになったのだが、キャンプでの仕事が終わると宿舎に戻って、それから夕食のために外出するのが日課となる。このアランヤプラテートの街で唯一冷房の効いている料理屋があった。「マキシム」である。マキシムと言っても、あのフランスの高級レストランのことではない。快適さを求めて世界各国のジャーナリストやボランティア関係者が夜ごと集まるので、いつの間にか客が勝手に「マキシム」と呼ぶようになったというわけ。
もちろん、フランス料理ではない。タイ華僑に多い潮州人がオーナーだったので、タイ料理と潮州料理が半々だ。犬養さんと私もこの店が気に入って夕食をとった。鴨のローストが美味い。健啖家の犬養さんは肉料理がお好きだったように記憶している。料理は美味いが、お酒を召し上がらないので、こちらも冷えたビールをぐいぐいというわけにはいかない。
そんなときの救いが、知り合いのジャーナリストと店で鉢合わせしたとき。なにしろ、みんなアルコールに目がない人たちである。テーブルを同じにして遠慮なくタイ国産のシンハー・ビールを何杯もあおったものだ。キャンプで汗を流した後のビールは格別に美味かった。そして、マキシムのタイ料理と潮州料理も、上品な私にふさわしい上品な味付けだった。
マキシム。この名を耳にするたびに懐かしい思い出が、昨日のようにふっと蘇る。犬養さんはその後、「犬養道子基金」を設け、イエズス会の難民支援組織と連携しながら、インドシナをはじめ、アフリカ、ボスニア、クロアチア、そして中東など世界各地で展開した。その犬養さんも2年前に鬼籍に入られた。異母妹にエッセイストの安藤和津さんがいるが、彼女がテレビに出るたびに、元気な犬養さんを思い出す。