【連載】呑んで喰って、また呑んで(91)
仏人医師の夫人はカレン族
●東京・阿佐ヶ谷/新宿
「そういえば、フランソワ、どうしてるのかなあ」
テレビのニュースを聞きながら妻が独り言ちた。
「うん、今でもミャンマー国境で診療所をやってるとしたら、忙しくしているんじゃないの」
アウンサン・スーチー女史を逮捕・拘束して、ミャンマーの軍部が再び政権を掌握した。ヤンゴンやその他の都市では反軍部のデモが相次ぎ、死者も500人以上も出ている。当然、西側をはじめとする国際社会からの風当たりも強い。
しかし、軍部は一向に軟化するつもりはないようである。それどころか、政府軍がカレン州を空爆した。空爆の対象となったのが、カレン族の武装勢力が支配する村落である。
タイとの国境地帯を支配するカレン民族同盟(KNU)によると、約3000人のカレン族が政府軍の空爆から逃れようとサルウィン川を渡ってタイに入ったが、タイ軍などに約2000人が強制的に追い返され、森の中で生活しているという。
白井に住み始める前、私たち夫婦は東京・杉並区の阿佐ヶ谷に3年ばかり暮らしていた。以前の新高円寺のマンションからも、JR阿佐ヶ谷駅からも、歩いて10分もかからない場所である。
ある日、東南アジアの紛争地帯で傭兵をしていたK君が、フランス人医師とその夫人を我が家に連れてきた。医師は30代半ばで、「国境なき医師団」に属していたという。二枚目俳優にしてもおかしくはない男だった。それがフランソワである。私よりもハンサムなので、妻はいつになく上機嫌だったのを今でも思い出す。
夫人はというと、ビルマ(当時は「ミャンマー」なんて言わなかった)の少数民族のカレン族だというではないか。タイからミャンマーにかけて居住しているカレン族は、カレン系言語を母語とする山地民の総称で、その数約300万人と推定されている。
さて、せっかく遠方からやって来た来客である。夕食をご馳走したい。しかし、数時間前にK君から連絡があったばかり。外食だと、カネがかかるので、夕食は簡単な鍋料理と決めた。
この夫婦の共通語はフランス語だ。しかし、二人とも英語とタイ語が少しできる。K君もタイに長く住んでいたのでタイ語がかなり話せるので、自然と会話はタイ語になった。
夫人はカレン族には珍しく大柄な女性だ。政府軍と戦闘が絶えなかったカレン族だが、彼女は国境を越えてタイに逃れ、ビルマ国境で診療所を開いていたフランソワと知り合ったらしい。
一緒に食事をしてわかったが、この夫婦の力関係は夫人が圧倒的に上だった。フランソワが夫人のことを温かく見守っているというより、怖がっている様子である。堂々とした夫人の召使といってもよい。「うーん、何とも微笑ましい」と言いたいが、わが家と同じではないか。フランソワに同情するしかなかった。
「鍋料理、どう?」
とフランソワに尋ねると、
「うん、美味しいよ」
しかし、夫人のほうは、苦虫を嚙みつぶしたような表情で、何も言わない。フランソワが気にして、
「美味しいよね」
と助け舟を出すのだが、夫人には逆効果だったようだ。
「味が薄いわ」と吐き出すように言った。「私、もっと辛いほうが好きなの。日本料理はスパイスが効いてないから、あまり好きではないわ」
はっきり言う女性だ。私の妻とよく似ている。フランソワが気まずそうにそわそわし始めた。お気の毒に。こころから同情した。ま、「同病相憐れむ」である。
翌日か、翌々日だったか、K君がフランソワ夫婦と私にご馳走したいというので、新宿のふぐ料理屋に行った。ふぐ料理のコースである。紙みたいに薄く切ったふぐ刺しを何枚も重ねて豪快に食したいところだが、すぐになくなる恐れがあるので、一枚ずつちまちまと口に入れた。美味い!
フランソワも美味そうに食べる。が、カレン族の夫人は手をつけなかった。
「私、生ものは食べないの!」
その一言で、しばし会話は中断した。
空気が読めないというか、社交辞令が皆無というか、そういうところも私の妻とまったく同じである。
ふぐ鍋が出た。弾力のあるふぐをポン酢につける。いい匂いが鼻腔を刺激して、もうたまらない。口に含む。優しく噛むと、ふぐの風味が口中に広がった。ああ、幸せ。夫人は唐辛子をこれでもか、これでもかと振りかけている。せっかくのふぐの味が台無しではないか。ま、好きなようにしてください。
ただ一つ気になったことが。私が口に入れたふぐが、半煮えだったのである。ま、いいか。気にしない、気にしない。しかし、どうも唇がしびれてきたような。帰宅してからもしびれが続く。ふぐ毒に当たって死ぬかも知れない。
あれは確か私が小学校2年生のときだった。夜半に隣の家の奥さんが血相を変えてわが家に駆け込む。当時はどこの家庭にも電話があるわけではなかった。
「うちの人、ふぐで、ふぐで死にそうなんや!」
奥さんがわが家の電話で救急車を呼び、ご主人が病院に搬送された。しかし、時すでに遅し。隣家のご主人は翌朝に亡くなった。何でも行きつけの小料理屋でふぐの肝を所望したという。肝は毒が含まれている可能性が強いので、店側は断った。が、何度も頼まれたので仕方なく肝を出したらしい。
そんな思い出があるので、私は覚悟した。
「ひょっとしたら、ふぐの毒で死ぬかも」
そう妻に訴えたのだが、
「あ、そう」
そう言い残して寝室に消えた。数分後、けたたましい妻の鼾が。私は死ななかった。あのしびれは気のせいだったのかも。ああ、なんて気が小さいのだろう。同じく気の小さなフランソワは今、どこで何をしているのか。もらった名刺を紛失した。K君はそれから数年後、マラリアで帰らぬ人に。なので、フランソワに連絡しようにもできない。相変わらず夫人に気をつかって生きているのだろうか。