白井健康元気村

千葉県白井市での健康教室をはじめ、旅行、グルメ、パークゴルフ、パーティーなどの情報や各種コラムを満載。

日台を俳句で結んだ藤原若菜⑤ 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(89)

2025-03-01 05:30:31 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(89)

日台を俳句で結んだ藤原若菜⑤

 

 

▲家族で緑島に遊ぶ

 

 俳人・藤原若菜の足跡を辿るこのエッセイは5回目を迎えた。俳句や台湾に興味のない方々にとっては退屈かも知れない、と自責とも不安とも思える感情に捕らわれ続けてきた。今回で一旦お仕舞にするつもりだったのだが、あと一回だけお付き合いいただきたい。それで、今も募り続ける遣る瀬ない思いに無理矢理区切りをつけるつもりだ。

 極めて私的な動機で始めた連載だが、何人かの読者から共感やこれまで知らなかった台湾の横顔に触れることができて嬉しかった等のご意見をいただき、細やかな喜びを感じることができた。更に、一俳句結社の同人誌に掲載されてきたに過ぎない彼女の俳句や文章に少しだけ陽の光を当てることができたのではないかという小さな自己満足の心持ちにも気付いた。

 これまで縷々記してきた若菜の台湾物語の集大成として、「蓬莱夢譚」と題する台湾を題材とした俳句30句をご紹介する。台湾に暮らしたことのある人間には、思わず顔が綻んでしまうような日常風景や湿り気を帯びた台湾の空気の感触や匂いさえ感じていただけるのではないかと思う。「蓬莱夢譚」に続き、春燈賞受賞に当たって寄せられた林紀夫氏と武田巨子氏の「藤原若菜論」も合わせて転載させていただく。

 ここに掲載した俳句の中には、浅学菲才の身には理解できない字句が結構あり、頭を悩ませた。読者への失礼を顧みず、また無粋であるのを承知の上で私が理解できなかった言葉に【 】で注釈をつけた。参考にしていただければ幸いである。

 

▲ランタン祭り(台北)

 

<春燈賞受賞作家・特別作品30句>
蓬萊夢譚
―台湾を蓬萊と古称したれば―

『春燈』2013年6月号より転載

 

黒潮の背に乗り夏の来りけり
わだつみに泛む万緑蓬萊島
夏暁や鳳凰木のささめきて
朝市の片言同士甜瓜
有気音無気音四声氷水
風薫る東方美人てふ銘茶
片陰や道問へば国問はれける
マンゴーのひとくちごとに夏深む
ラムネ抜く音に零るる昭和かな
夏蝶ややすらふ八田輿一像
親日派親日本語派パイナップル
天女花赫き神像廟に在す
夕焼や悲史秘め湾の水昏らみ
羅や更けて賑はひ増す夜市
蛇売りの笑顔は家に置いてくる
絵団扇の七彩吉祥文字舞へり
街明り海へなだるる露台かな
ドリアンを食ぶや真夏の夜の夢幻
瑠璃鳥に睡り醒まさる竹夫人【竹夫人:竹を編んで作った円筒状の籠。暑さを凌ぐために抱いて寝る寝具。夏の季語】
樹々の葉を叩く重奏驟雨くる
仙人を養ふ山の滴れり
懸崖の曾てうなそこ岩燕
青嶺なる襞より木霊還りけり
夏霧や神農の影紛れ行く
甘藍の逢魔が時を巻込みぬ
ガジュマルの生みだす涼や牛飼座
夢の扉や月下美人の開きたる
大鯰尾鰭もて時往なしけり
汝に一夜我に一生やタ蛍
蓬萊の空に歌ごゑ南風吹く

 

▲台湾の友人たちを自宅に招いて

 

春燈賞受賞作家・藤原若菜論
大きく羽撃け
林 紀夫

『春燈』2013年6月号より転載


 平成二十四年度の春燈賞は藤原若菜に決定した。若菜との出会いは、平成二十二年二月と記憶している。春燈誌の編集作業をしていた折、「編集のお手伝いをすることになりました、藤原若菜です」と、入室して来たのが若菜である。背の高く、超ロングヘアーの名前も源氏物語を思い出させる女性に驚かされた。今回、「藤原若菜論」を書くに当たり、俳句との出会いを語ってもらった。
 まず、生年は昭和二十七年。大阪府立春日丘高校に在学中に国語の教師から、文学への糸口を与えられた。高校時代は、エッセイや詩を書いていた。大学の卒論は上田秋成の「雨月物語」「春雨物語」。大学卒業後就職したが、一年程で寿退社。この頃短歌に興味をもつ。
 平成三年から七年まで、ご夫君の転勤に伴い、台湾に在住した。平成五年にご夫君の母上の依頼で、台湾滞在中の羽田岳水氏(当時「燕巣」主宰)に台北俳句会で挨拶をすることになり、その折に台北俳句会の黄霊芝先生にもお会いした。 此がそもそも若菜俳句の始まりである。たまたま、田辺聖子の『花衣ぬぐやまつわる…』を読み草城の「ミヤコホテル」に瞠目し、俳句にのめり込む。
 帰国後は子育てに追われながらも、「台北俳句会」へは投句を続けていた。また、高校時代からエッセイは時折書いていた。平成十七年十月東武デパートのカルチャー教室(俳句)で、当時春燈千葉支部長であった現主宰の安立公彦先生に巡り会い、十八年三月に「春燈」へ入会。ご夫君は現在ロンドン在勤中。 以上が、 藤原若菜像である。
 今回、「春燈」初登場の十八年四月号から二十四年十二月号までの掲載句を読み返した。八十一ヵ月の内、三句八回、四句四十五回、五句 (当月集) 二十八回、合計三四四旬である。この間「余言」に六回、「当月集を読む」に五回採られている。まさに階段を駆け上った感じである。
 十八年から二十一年と二十二年以降とで、句柄および句の内容が変わったように思える。前半は片仮名が多く、軽みの旬が多い、さらに短歌の上の句で終わってしまったような句が見受けられた。ただし、「わび」的俳句を払拭し、清心瀟洒なモダニズムを追求した、日野草城に影響を受けた心の一端を窺い知ることが出来る。

  バリトンに眼閉ぢをり春隣
  若竹やユニフォームまだ草臥れず
  春光の千鳥ヶ淵の舟に添ふ
  初冬の議事堂ひろき空の下

 全体を通じて、動植物に題材を置いた句が実に多い。動物には、象・ゴリラからわらじ虫まで多様であるが、その内猫の句が八句ある。前半は動物の句が多く、後半になるに従い植物関連が多くなって来ている。

  行く秋や老いたる猫を身ほとりに
  褒められていよよ目を伏すかじけ猫【かじけ猫:寒さで縮こまっている猫。冬の季語】
  禅堂の茅葺き屋根や冬の鵙
  蛇の尾の暫し残れる葉群かな
  人疲れしたる夕べや青葱買ふ
  訥々と花の名言へり花野守
  瓢の実のいのちのうつろ鳴りにける

 母上を詠んだ句が十五句、ご夫君を詠んだ句が十六句ある。母上を詠んだ句は、直接「母」と言う言葉を使っており、母を思う心が切々と伝わって来る。夫君を詠んだ句には「夫」を表に出さず、心の内を詠み込んでいる。

  踏青や母のステッキ花模様【踏青:とうせい。新しく芽生えた青草を踏みながら野山に遊ぶこと。春の季語】
  たひらかな母の寝息や襖閉づ
  菜の花の向かうのきみを呼ぶタベ
  赴任地に夫着くころか草雲雀

  踏青や母のステッキ花模様【踏青:とうせい。新しく芽生えた青草を踏みながら野山に遊ぶこと。春の季語】

  たひらかな母の寝息や襖閉づ
  菜の花の向かうのきみを呼ぶタベ
  赴任地に夫着くころか草雲雀

 また俳句の出発点である台湾のことを忘れることはない。

  蓬萊の言の葉聞こゆ初詣
  旧正の緋色の賀状海越え来

 平成二十二年二月からは、編集スタッフの一員として、「春燈」の編集に携わっている。「この動詞の活用はこれでいいの?」「この季語は?」誰彼と無く問い掛けをすると、自分は別の投句ハガキのチェックをしているのに、「広辞苑」「歳時記」を繙き、立ち所に明解な答が返って来る。その行動力に助けられることが多い。

  文法の森に迷へり鉦叩【鉦叩:かねたたき。コオロギ科の昆虫。秋の季語】
  文法解釈踔厲風発日脚伸ぶ【踔厲風発:タクレイフウハツ。文章の議論が活発で、勢いが盛んな様子。或いは、才気に優れ、弁舌が鋭い様子】

 高校時代に、エッセイに踏み込んだだけに、簡にして要を得た文章を書く。「春燈」誌の平成二十二年七月号から九月号に掛け、「台湾俳句事情」を、二十三年十月号に「台北好日」を寄せている。読み応えのある文である。
 物事には息を入れることが必要である。これを機に、来し方を振り返り、先を見定め、大きく羽撃いて欲しい。

 

▲台北西門町の古い街並み

 
春燈賞受賞作家・藤原若菜論
鬱金香の花開く
武田巨子

『春燈』2013年6月号より転載

 

 春燈に入会して六年余りでの燈下集入集、しかも最高の結社賞である春燈賞を受賞されてのことです。そのとても速いスピードに誰もが瞠目されたことでしょう。そこには大変な努力があったと思われます。ご主人様の赴任先であった台湾で黄霊芝先生の薫陶をうけられ俳句を始められたとのこと。独学で習い覚えられたと聞く「台湾語」「北京語」を駆使しての俳縁は二十数年が経った現在も堅く結ばれているようです (春燈誌二十三年十月号の若菜記による「台北好日」参照)。

  蓬萊へつづく空なる初み空
  旧正や富士鴇色に明けそむる
  鬱金香ひとりの貌となる夜更け【鬱金香:うこんこう=チューリップ】
  蓬萊の空たぐりよせ半仙戯【半仙戯:はんせんぎ=ぶらんこ】

 台湾を除いては若菜俳句は語れないような気がします。初み空を見上げては蓬萊つまり台湾の空を思い出し、その空をたぐりよせようと半仙戯をこいでいます。そして旧正月はとりわけ賑やかで楽しかったのでしょう。チューリップではなく鬱金香と詠んだところなど台湾での暮しに馴染みそれを懐かしむ気持が溢れています。また、

  風信子己が重さに倒れける【風信子:ヒヤシンス。春の季語】
  褒められていよよ目を伏すかじけ猫

などの句は、川柳との両刀遣いで「俳諧」のような作品が多く見受けられる台北句会の影響かもしれません。恥ずかしがり屋の自分を上手く猫に託して詠んでいるところなど句の拡がりを感じます。

  蛇の尾の暫し残れる葉群かな
  大花野分け入らば尾の生ゆるやも【歳時記に花野の例句として掲載】
  母の切る花のかたちや白障子
  秋の日や娘と並ぶ婚約者

 これらの旬はどれも写生句です。前二句は写生句の真髄ではないかと思えます。見たままをしっかりと詠みきっています。その景の中に作者の存在を感じさせられ、若菜さん特有の鋭い感覚が活かされています。後二句は日常どこにでもあるような景ですがやはり作者の愛情に溢れた句で好感が持てます。深くて広いのが若菜ワールドと言えるのでしょう。春に入会されてからの進歩と同化に目覚しいものを強く感じます。

  鞦韆や珠とし抱く恋ひとつ【鞦韆:しゅうせん。ふらここ・ぶらんこの意。春の季語】
  柊の花や決まらぬ贈りもの
  菜の花の向かうのきみを呼ぶタベ

 「向かう」とは勿論ご主人様が赴任中のロンドンのこと、「きみを呼ぶ」という極々素直な言葉が「夕べ」にかかるとなれば尚更に思いは深くなります。燈下集欄初登場第一句目の<初夢に詰襟のひと立たまほし>に大きな愛と深い感謝の気持を託されたのでしょう。細やかに詠まれた句が随所に見られ、思いの深さを感じさせられました。長い御髪はご主人様のお好みなのでしょうか。

  青芝に押し返さるるたなごころ
  稗田に山の陰りの被さり来
  磯遊びいつしか沖を見つめをり
  瓢の実のいのちのうつろ鳴りにける
  春霖を透きくる鉦の間合かな【春霖:しゅんりん。3月から4月にかけて菜の花が咲く頃に降り続く長雨。春の季語。春霖の例句として歳時記に掲載されている】

 まだまだ基本となるような佳句が次々と出てきます。よく見ることによる発見、そして見慣れた景の中にも沢山の素材が待っていてくれるようです。大景も小景もごく自然に悠々と詠んでいけるのが若菜俳句なのでしょう。

  ひとり飲む白湯のあまさや松明けぬ

 万感胸に迫るものがあった筈の今年の松の内です。編集部にあっては妥協の許されない厳しい作業に携わり、家庭においては子を守り、遠隔地のお母様を、そしてご主人様を気遣う中での我が身の晴舞台を無事に終えることができたのです。<老猫を抱いてゐる役煤払>にご主人様の労いに対する感謝の気持をさりげなく詠んでいます。受賞式となった春燈新年大会での晴着はお母様の着付によるものと聞いています。「白湯のあまさや」から諸々の安堵の思いが伝わってきます。

 編集業務ではすでに「編集」「校正」の力となって活躍中の若手のお一人です。爽やかで、何事にも努力を惜しまず、人に尽くすというお人柄はこれからも大いに期待されるところです。そして何よりも春燈賞、燈下集というものに甘んじず、更により高いものを目指してチャレンジ精神を持ち続けて句作に励んでいただきたいものです。「春燈の抒情」を守りつつも同時に時代の新しみを取り入れながら進んでいただければと願っております。

 

▲台南への家族旅行

▲信仰篤き台湾の人たち

 

 林紀夫氏、武田巨子氏、お二人とも春燈における若菜の大先輩であり、玉稿では彼女の数多くの作品の中からテーマ毎に何句かを選り分け、若菜個人の私的背景まで斟酌しつつ、論評していただいた。恥ずかしながらお二人のおかげで、「あっ、そういう意味だったのか」と初めて真意を理解できた句もあった。この場をお借りして篤く御礼申し上げたい。

 合わせて、これまで若菜がお世話になった第5代安立公彦主宰、第6代鈴木直充主宰、そして多くの春燈俳友の皆様にも心から感謝申し上げる。そして今回の一連の若菜の記事の連載にあたり「春燈」の記事転載許可取得にご尽力いただいた若菜の親友、俳友、そして妹のような存在でもあった大平さゆりさん、ありがとうございました。

 次回は、若菜の没後「春燈」に寄せられた彼女への追悼文と追悼句をご紹介して、このシリーズを終えることとしたい。(つづく)

                 

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新幹線とパワー半導体 【連... | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道」カテゴリの最新記事