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明かされた心理情報戦の実態 【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ②

2024-06-17 05:27:00 | 【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ

【特別企画】42年前のフォークランド紛争から学ぶ②

明かされた心理情報戦の実態

 

 アルゼンチン軍は1982年4月2日、英国が実効支配しているフォークランド(アルゼンチンは「マルビナス」と呼ぶ)諸島に上陸したことで、この紛争が始まった。英国のサッチャー首相は英サッチャー政権は島々を奪還するため軽空母を中心とする艦隊を紛争地に向かわせる。空爆やミサイルが飛び交う超近代戦に、世界中のマスメディアが注目したのは言うまでもない。英国機動部隊がフォークランド諸島に上陸した5月21日、筆者もブエノスアイレスでの取材を開始した。派手な火力戦の裏で行われていた心理情報戦の取材が中心である。そして、勝敗はあっけなく決着した。6月14日、アルゼンチンのガルチェリ大統領が敗北を認めたのである。この夜、カサロサダ(ピンク色の大統領官邸)前の広場に集まった群衆が怒りを爆発させた。官邸のバルコニーに向けて投石を始めたのだ。群衆の中には、インフレでほとんど価値のない硬貨を投げる者も。群衆を追い払おうと、警官隊が催涙弾を撃ちまくる。その場を取材していた筆者の側にも催涙弾が飛んできた。あのときの目の痛さを今でも思い出す。こうして筆者のフォークランド紛争取材は終わった。以下は、心理情報戦を中心にレポートした週刊ポスト(82年7月23日号)の記事である。(本ブログ編集人・山本徳造)

 

▲大統領官邸「カサロサダ」

 

■週刊ポスト(1982年7月23日号)

新聞が書かなかった近代戦争・従軍始末記

英ア戦争は「兵器消耗戦」というより「心理情報戦」だった

「戦勝写真を捏造」「イカ漁船をスパイ船」に徴用(アルゼンチン軍)「秘密結社で情報コントロール」「国営BBC放送の電波工作」(英国軍)

 

本誌特派/山本徳造(フリー・ジャーナリスト)

 

 

★心理・情報戦に敗れたアルゼンチン
漫画家が合成写真で大活躍

 英国の機動部隊がフォークランドに上陸した5月21日から、ガルチェリ大統領(当時)が敗北を宣言した6月15日まで、私は現地アルゼンチンで英・アの隠された情報戦の実態に追った。

 いま考えると、今回の英・ア戦争には"三つの顔"があったと思う。 一つは、フォークランド(アルゼンチン名=マルビナス)諸島とその周辺海域を舞台として繰りひろげられた、華々しくも愚かしい近代兵器戦の側面。もう一つは、そうした自国軍の闘いを、ある時は熱狂し、またある時は冷静な目で見つめていたアルゼンチン市民のしたたかな顔。彼らは、愛国"バッジ"を買い、"愛国基金"に募金する一方で、生活をエンジョイし、週末には一家そろって別荘へ向かった。

 そして、第三の側面が、これはほとんどのマスコミが報道しなかったが、近代兵器戦の裏で熾烈に展開された英・ア両国の心理・情報戦である。そこには、戦争を "ゲーム"としか考えない為政者たちの滑稽で狂気じみた姿が浮き彫りにされているのだ。

 

▲炎や煙を描き入れた"インビンシブル炎上!"の合成写真を大々的に掲載したアルゼンチンの雑誌

 

▲合成写真に、イラストに、心理情報戦では漫画家が大活躍した

 

▲一躍有名になっフランス製ミサイル「エグゾセ」

 

――「インビンシブル炎上!!」
 5月31日のアルゼンチン各紙は、マルビナス諸島東方90マイルの地点で空母「インビンシブル」を、アルゼンチン海軍の「シュペール・エタンダール」戦闘機2機と同空軍の「スカイホーク」4機が攻撃し、大破させたと報じた。そして、甲板から朦々と黒煙を吹き上げて炎上する「インビンシブル」の生々しい写真をでかでかと掲げた。
 アルゼンチン統合参謀本部の発表によると、少なくとも「エグゾセ」 1発と500ポンド爆弾3発が命中した、という。
 ブエノスアイレス市内の各新聞スタンドはうれしい悲鳴を上げた。「インビンシブル炎上」の写真を載せた新聞が売れに売れたのである。
 ところが、結論からいえば、この写真は本物ではなかった。つまり、無傷の空母に黒煙と炎を描き加えた合成写真だったのだ。
 私に、最初にこの情報を提供してくれたのは、アルゼンチン軍の高官と密接なパイプを持つ人物・S氏である。
「今度の戦争で一番、忙しかったのは漫画家ですよ。彼らが煙を描いたり、炎を描いたりして大活躍したというわけです」
 いうまでもなく、合成写真の目的はアルゼンチン軍が優勢であることを示して、国民の戦意を高揚させることであるというのだから信じ難い話だ。が、これらの合成写真が意図された通りの効果を発揮したかというとどうも疑問だ。逆にアルゼンチン側が心理・情報戦でいかに劣っていたかを証明する結果となった。
 S氏はいう。
「国民の半数以上が、あの写真は合成写真だと気づいていますよ。その点、アルゼンチン人はオトナなんです」
 後日、私はこのS氏の情報について確証を得ることができた。
 ガルチェリ大統領が国民に向けて、マルビナスでの戦闘が終結した、と声明した翌日の6月16日、私はアルゼンチン陸軍の情報将校だったP退役中佐と会っていた。
 市内のメーン・ストリートであるコリエンテス通りに彼のオフィスがあった。マテ茶をすすりながら、中佐はつぶやくようにいった。
「合成写真を使ったのは危険な賭けだった。あれは軍とマスコミの共同作業で作成したものだ。いずれにせよ、今回の心理情報戦で、わがアルゼンチンはイギリスに完敗した……」
 歴史と伝統を誇る英国情報部にとって、アルゼンチン相手の心理・情報戦は赤子の手をひねるようなものであったという。彼らがどのような手段でアルセンチン国民の戦意をうちくだき、アルゼンチン軍の動向を察知したのか――取材を重ねていくうちに、興味深い事実が次々と明かされていった。

★巧妙だった英国の電波工作
国防省とBBCの"八百長"

 イギリス側の情報工作は徹底していた。情報の確かさと公正さで定評のある英国営放送BBCさえも、巧みに利用されたのである。
「一人でも多くのアルゼンチン国民にBBCのスペイン語ニュースを聞かせる」 というのが英国情報機関と国防省のテーマであった。アルゼンチン側が行なう"大本営発表”の宣伝効果を殺ぐことが、その目的である。
 そこで英国防省とBBCの "八百長試合” がセットされたという説がある。とすれば、BBCの名誉のためにいうならば、BBCも知らないうちに謀略に巻き込まれたのかも知れない。
 英機動部隊がフォークランド島奪還に燃えて、南大西洋に進路を向けていた4月下旬の段階で、英国防省はアセンション島からスペイン語のBBC放送を流すと発表。これに対してBBCは寝耳に水とばかりに、その発表を即座に否定した。
「国防省の発表にBBCは責任をもたない」とつっぱねたのである。
「このケンカは巧妙な謀略だった」と、前述のP中佐は述懐する。


▲エレクトロニクス機が積まれていたとされる英国軍ヘリコプター「シーキング」

 

「つまり、BBCは英国防省とケンカするくらいだから、独立した公正なニュースを流すはずだ、という印象をアルゼンチン人にうえつけたわけだ。 実に巧妙な手口だ」
 紛争前にBBCを聴いていたアルゼンチン人は約五パーセント。もちろん、その多くはインテリ階層だ。そして、英国防省とBBCの "ケンカ" のあと、BBCを聴くアルゼンチン人は7~8パーセントにハネ上がったという。
 また、このBBC作戦に先立って実施されたのが、妨害電波作戦。4月2日、アルゼンチン軍がマルビナスに上陸し、領土回復を宣言して以来、アルゼンチンの各放送局は、「英植民地主義批判」と「マルビナス占拠の正当性」をくり返した。
 ラジオのニュースに雑音が入り出したのは、この頃である。ザーザーという雑音は、明らかに妨害電波によるものであった。「電波の発信地はオーストラリアだという説が、今のところ最も有力である。
 こうして、英国のアルゼンチンに対する電波工作は見事に成功したが、情報収集面でも英国は第三国の協力を秘かにとりつけていた。
 私がアルゼンチンに到着する2日前の5月19日、チリのブンタアレナス市(アルゼンチン国境近くの街)から18キロ離れた海岸で、英国軍のヘリコプター「シーキング」の残がいが発見されるという事件があった。
「偵察中に嵐に遭って不時着した」と、英国防省は発表したのだが、ヘリが発見されたのは、とりたてて偵察すべき地域ではないこと、パイロットがヘリを焼いていることなど、不審な点が多かった。
 当時、ヘリのミッションについて、二つの憶測がなされた。
 一つは、ヘリにレーダーと通信機を据えつけ、アルゼンチン本土からフォークランド諸島に出撃する航空機をキャッチして、通報する目的をもっていた。
 もう一つは、25人程度の兵員を乗せて、チリからアルゼンチンに秘かに侵入し、背後からアルゼンチン軍を攪乱するという " コマンド作戦 " に向かう途中だったというものだ。
 しかし、実際のミッションはもっと大がかりなものに関連していたという大胆な説が流れていた。
 フォークランドでの戦闘が終結してから、戦争秘話が英国から徐々に明かされて、ブエノスアイレスにも伝わってきた。
 それによると、英国はチリの海域を舞台に“エレクトロニクス・スパイ大作戦”を展開したという。
 どういう作戦だったのか。
 英国は、アルゼンチンと領土対立をつづけているチリ政府の合意をとりつけた上で、電子機器を用いた監視システムをアルゼンチンに隣接するチリの海域にバラまいた。実はチリ領内で墜落したヘリには、この電子機器が積まれていたのである。この監視システムは、アルゼンチン沿岸のウスマイア、リオ・グランデ、リオ・ガジェゴスといった主要軍事基地を偵察するのに大いに役立ったという。
 さらに、米国のスパイ衛星「ギャラクシー」もフルに利用された。「ギャラクシー」は、メネンデス将軍率いるマルビナス守備隊の兵員数、装備、部隊配置を的確にキャッチし、ロンドンに流していたというのである。

★大手漁業会社所長の証言
イカ漁船がスパイ船に変身

 一方、アルゼンチン側の情報収集工作は、実に初歩的で稚拙なものであった。
 その最たるものが、漁船を使英国機動部隊への監視である。
 日系人船長が乗り組んだ「ナルワル号」が5月9日、英国の設定した封鎖海域内で、英軍機に撃沈された事件は日本でも大きく報道されたが、その後の取材で、私はこの漁船がアルゼンチン軍に徴用されたスパイ船であったことを知った。
 6月2日、「ナルワル号」の乗組員は釈放されて、ブエノスアイレス港に戻ってきた。さっそく私はパラグアイ生まれの日系人船長・我田アステリオ氏に会って確かめた。
 ところが、我田氏はスパイ活動を全面的に否定した。
「英空母『インビンシブル』に収用されましたが、艦内での10日間、英軍将校からは尋問らしい尋問はされなかったですよ。ただ名前と所属先をきかれただけでした……」
 英軍機に攻撃された時の模様は詳しく語るのだが、英軍に収容されてからの出来事には、ロを固く閉ざす。

 

▲英国軍に撃沈された「ナルワル号」船長の我田アステーリオ氏(子供を抱いた中央の人物。ブエノスアイレス港にて)

 

 しかし、「ナルワル号」がスパイ船だったという情報について、重要な事実を知っているという人物が現われた。日本の大手漁業会社のブエノスアイレス所長・A氏である。
 我田氏と会った5日後、私はA所長から「ナルワル号」に関する貴重な証言を引き出すことができた。
「うちの社は『ナルワル号」が所属しているベスケーダ・スード・アメリカ社からイカを買う契約を結んでいるんです。4月中旬でしたか、スード・アメリカ社から電話がかかってきて、『ナルワル号』が軍に徴用されたのでイカをとれないといってきた。そのあと4月末に『ナルワル号』の行方がわからなくなったという連絡が入りました。無線で連絡しても、全然、応答がないというんです。船会社の話では、どうも南の方にもっていかれたらしい、という。それから5月に入って、『ナルワル号』が沈められた、というニュースでしょ。ああ、やっぱりスパイ船として使われたのかと思いましたね」
 A所長は「ナルワル号」の他にも2隻の漁船が、スパイ船として徴用されたと証言した。
「アレングス社から『アレングス』、ペスケーダ・デル・アトランティコ社から『ウスルベール』という漁船が徴用されています。どれも船凍トローラーです。ふつうの漁船ですと、船底に魚探(フィッシャー・ファインダー)を付けて魚群を探しますが、それだと船の真下しか見えな
い。ところが、『ナルワル号』はソナーをもっている。ソナーだと周囲60キロは探知できます。もちろん潜水艦もキャッチできるわけですよ」
 英軍側はアルゼンチン軍が3隻の漁船を徴用してスパイ活動させているという情報を、いち早く入手していた。そして「ナルワル号」が英国の宣言した海上封鎖水域(フォークランド諸島から200マイルに入った時点で、英軍はこの"敵艦"を撃沈したのであった。
 ちなみに「ナルワル号」が沈没した水域には、イカはいない。そのあたりでとれるのは、ボラックというタラ科のまずい魚だけだ。
 また、ナルワル号事件当時、フォークランド周辺海域には、三か国の漁船がイカをとっていた。南緯42度の地点で日本船が11隻、ポーランド船が20隻、そしてソ連船が数隻。
 これらのボーランド船、ソ連船がアルゼンチに情報を提供したのかどうかは、いまだ不明である。ただ5月中旬にポーランド船1隻が英軍機によって撃沈されたという情報があることを、付け加えておこう。

★宣伝工作の唯一の成功例
「サッチャーの私欲戦争だ」


▲アルゼンチンの宣伝工作によって「マルビナス進出英国企業の大株主」というレッテルを貼られたサッチャー夫妻


「サッチャーの亭主はフォークランド・アイランド・カンパニーの大株主なんですってね」
 ブエノスアイレスに着いたその夜のことである。私は日系人花卉業者が数多く集まっていることで有名なエスコバール(ブエノスアイレスから北へ車で約一時間)で、日系一世のK氏宅の夕食に招かれた。
 そのときK氏の夫人がそういったのだ。私は初め何のことだかわからなかった。
「そのフォークランド・アイランド・カンパニーっていうのは、何ですか?」
 私は夫人に尋ねた。
 夫人は、そんなことも知らないのかという表情で私を見た。夫人の話はこうだ――。
 フォークランド諸島の大半はかつて英国の植民地経営の代行者として悪名をはせた東インド会社と同じようなフォークランド・アイランド・カンパニー(FIC)に所有されており、約3000人の英国系住民のほとん
どが、何らかの形で同社の下で働かされている。彼らは英国本土で使うポンド紙幣ではなく、同社発行の兌換紙幣を使って生活し、生存権を完全にコントロている。そして同社の大株主がサッチャー英首相の夫君、デニス・サッチャー氏だというのだ。 
 実はこの噂話も、アルゼンチ政府による宣伝工作の一環だったのだが、ともかく日本では、一行もそんなニュースは見ていない。私は翌日、ブエノスアイレスに戻った。
 ブエノスで私は『マルビナス――その植民地政策』というタイトルの政府刊行パンフレット(スペイン語と英語の二種類)が配布されていることを知った。
 そのパンフレットは、マルビナスを支配するFICがいかに住民から利益を吸い上げているか、ということを綿々と綴ったものだった。
 この政府刊行のパンフレットだけではなく、FICに関する記事は、地元有力日刊紙『クラリン』をはじめ、週刊誌にも大きくとり上げられていた。
 それらの記事を総合してみると、ポイントは2つに絞られる。まず第一は、FICに関するもので、同社は、東フォークランドの36.26パーセント、西フォークランドの11.09パーセント、合わせて47.35パーセント(面積にして5541平方キロ)の土地を所有しているという。
 第二のポイントは、「コアライト・グループ」という企業体に関するものである。フォークランドには、FICの他に8つ会社が進出しており、FICも含め9社のうち、資本金その他からみて最も有力な企業体が、このコアライト・グループだというのだ。そして、デニス・サッチャー氏ばかりではなく、サッチャー首相自身も、このコアライト・グループの大株主であると記されている。
 前述のK氏夫人の話からもわかるように、情報はかなり混同して伝えられており、また、どの資料をあたってみても、サッチャー夫妻の持ち株比率などの詳細は記されておらず、これらの情報は話の域を出ていない。
 ただ、アルゼンチン国民の間で、この宣伝が効果を発揮したことは、確かである。
「今度の戦争は、サッチャーの私欲がからんだ、汚い戦争なんだ!」
 ブエノスアイレス大学に学ぶ青年のひとりは、私に吐き捨てるようにいった。だから、アルゼンチン国民にとって、マルビナスの闘いは"聖戦"なのだ、と……。
 今から考えれば、これはアルゼンチンが心理戦で成功した唯一の宣伝工作だったといえる。

 

▲心理・情報戦に敗れたガルチェリ前大統領

 

★謎の組織「マッソネリア」
軍中枢に潜入した秘密結社

 

▲月刊誌『マッソネリア』

 

 今回の取材で、とうとう最後までその正体がつかめなかった、不可思議な組織がある。その組織の名は「マッソネリア」。秘密結社フリーメーソンのスペイン語読みである(★本ブログ編集部注=「石工」という意味だが、一般的にフリーメーソンを表す)
「今度の紛争で暗躍したのが英国のマッソネリアだった……」
 前出のアルゼンチン軍P中佐は、重い口を開いた。
「アルゼンチンは英国のマッソネリアに支配されているといっても過言ではない。大臣、政府高官、労組幹部、経営者、ジャーナリストなど、あらゆる方面に彼らの手がのびている。残念ながら軍部の中にも彼らが入っているのです。 私が軍の情報部で働いていたとき、私の上司がマッソネリアについて調査を始めたんですが、すぐには左遷されました。 よく調べてみると、彼の前任者も同様の調査をなっている最中にクビになっている。
 マルビナスの戦いにアルゼンチンは敗北したが、これはわが軍の動きが英国にほとんどれ洩れていたからです。マッソネリアは、アルゼンチンに進出していロイド・グルーブ、バークレ・グループ、ロンドン銀行といった英国の銀行を使って情報を収集した。つまり、アルゼンチン政府の高官に金を渡して、情報を入手していたんです」
 英国の情報工作の第一線でマッソネリアが暗躍していたというのだ。
 現に街の新聞スタンドで一番目につく場所に置かれているのが、「マッソネリア」というタイトルの月刊誌であった。不思議なことに、その雑誌だけが、バックナンバーをそろえているのだ。
「マッソリアは必要とあらば、ローマ法皇庁とも手を結びます。共通の利益のためです」
 P中佐は、ローマ法皇ヨハネ・パウロⅡ世のアルゼンチン訪問は、マッソネリアの計画の一環だった、とほのめかした。
 ヨハネ・パウロ世がブエノスアイレスを飛び立ってから数時間後に、フォークランドのアルゼンチン守備隊が白旗をかかげたのは、一体、何を意味しているのか……。
 西側のある駐在武官は、心理・情報戦での英国の圧倒的勝利を、当然のことと受けとめていた。
「アルゼンチンには約10万人の英国系住民がいるし、諜報機関も深く根をおろしている。それにマッソネリアが強力だ、アルゼンチンには到底、勝ち目のな戦争だったのですよ」
 アルゼンチンが敗北宣言を発表した6月15日、大統領官邸前の"五月広場"に集まった数千人の群来は、「軍政反対!」「ガルチェリ退陣!」と叫んで、機動隊と衝突した。
 しかし、翌日からブエノスアイレスは、いつもと同じ平静そのものの街に戻った。市民の多くは、スペインから送られてくるワールド・カップ(世界サッカー選手権)の実況中継にしか関心を示さない。
 巧妙で、いまなお謎につつまれた英国側の情報工作、片や、強引かつ強圧的でありながら、どこか間の抜けたアルゼンチン側の工作――。
 それら為政者たちの愚かしい謀略を、あざわらうかのように自分たちの生活をかたくなに崩さなかった、アルゼンチン国民たちのしたたかな素顔については、改ためて、レポートすることにしたい。

 

★次回は空母インヴィンシブルの行方、従軍して「英雄」となった英国王子の末路、その後のアルゼンチンに忍び寄る中国の影などに迫る!


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