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香港にも「けもの道」が、そして… 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(82)

2024-12-28 05:30:02 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(82)

香港にも「けもの道」が、そして…

 

香港(中国)、コルドバ(スペイン)、ロンドン(英国)


 

■無数にある香港の「けもの道」

 香港の古びた高層ビルの谷間には無数の「けもの道」が張り巡らされている。中には、陽も射さず、餐庁(レストラン)や小吃店(軽食堂)の換気扇から吐き出される油煙でネトネトギトギトする壁や路面、昼夜を問わず大きなネズミとゴキブリの天国と化したような「けもの道」もある。
 銀座のけもの道は、長いものでもせいぜい50メートルに満たない直線だが、香港では、100メートル以上のものも珍しくはなく、行き止まりや途中で枝分かれしていることもある。ちょっと大袈裟に言えば、一度入ったら、出られなくなるような気さえしてしまうことがある。
 スティーブン・スピルバーグやクエンティン・タランティーノといった監督が香港を題材にした映画をつくると仮定しよう。導入部分で、ヴィクトリア湾の豪華な夜景の後にそんな「けもの道」を登場させ、香港の持つ陰と陽の両局面を見事に映像化してくれるかも知れない。
 

▲1970年代の九龍城の路地。ここまでネトネトギトギトの路地は現代では珍しいだろう
 
 
 

▲▼高層ビルの谷間にある「けもの道」

 


▲高層ビルからヴィクトリア湾の夜景を望む。香港の「陽」の景色だ


 
 休日の散歩中に、何故か吸い込まれるように迷い込んだ「けもの道」は「陰」ではなく「陽」の気が漂っていた。木漏れ日が射し、落ち着いたその佇まいに心が和んだのだが、延々と続く路地を歩き進む内に「もし、ここで強盗にでも襲われたら、逃げ場がないな」などと急に小さな不安が脳裏をよぎった。
 

▲木漏れ日の射す「けもの道」。静かで心和む空気が漂う
 
 
■コルドバには「花の小径」が

 スペインのコルドバは紀元前にローマ帝国によって拓かれた街だが、8世紀初頭にイスラムの侵略を受け、11世紀までイベリア半島におけるイスラム勢力の中心地として栄えた。だから今も、イスラム文化の建造物が数多く残されている。
 巨大モスクの原型を残したままカソリックの大聖堂に転用された赤と白の縞模様のアーチが美しい世界遺産「メスキータ」をご存じの方も多いだろう。
 そして、忘れてならないのは、イスラム文化の特徴である迷路のような街並みの旧ユダヤ人街だ。銀座や香港の路地を「けもの道」と形容してきたが、コルドバの迷路のような小径を「けもの道」と呼ぶには抵抗がある。
 白壁の家々が連なる路地の壁やバルコニーには植木鉢の花が咲き乱れ、壁の小さな扉の奥に垣間見える花が溢れ、噴水の水音が心地よいパティオ(中庭)に心癒やされる。
 私は2010年、36年ぶりに出張でコルドバを訪れた。嬉しくて、パティオにあるレストランや路地裏のバルで、「青春時代にマドリッドの大学に留学したので、コルドバに遊びにきたことがあった」と告げたものである。
 すると、店の主人やたまたま隣り合わせた地元の人が、「それは素晴らしい。よくコルドバに帰ってきてくれた!」と言って一杯奢ってくれることが珍しくなかった。
 コルドバには、美しい花の小径がある。そこはかとない生活感が溢れていることも好もしい。アングロサクソンやゲルマンの国にも美しい小径は沢山あるが、生活臭が感じられないのとは対照的だ。

 

▲メスキータ大聖堂

▲花がこぼれる小径

▲パティオに続く通路にも花が溢れている

▲パティオを改造したレストラン 


 
 夜の散歩では、闇雲に歩きながら進んで道に迷うのもまた楽しい。そんな物好きが結構多いのだろう。小径の何カ所かに ‘Estoy perdido’(道に迷ってしまった!)と書かれたプレートが掲げられている。

▲夜の小径も風情がある。左の壁に埋め込まれたプレートには ‘Estoy perdido(道に迷ってしまった!)'の文字
 

■ロンドンの裏路地
 
 ロンドンの裏路地には三つの種類がある、というのが私の勝手な分類だ。一つ目は、重厚な歴史的建造物とガラス張りの近代的なビルが混在するシティ(The City)のイングランド銀行周辺に隠れ、まるで秘密の連絡通路のような素っ気ない外観の路地である。
 だが、そんな路地の奥には、小ぎれいなフラット(集合住宅)や歴史的な名店が潜んでいたりするので、シティーの路地巡りは滅法楽しい。

 

▲イングランド銀行。ドラマ『坂の上の雲』で、日露戦争の戦費調達交渉のために訪英した西田敏行扮する高橋是清がこの建物の前を歩いていた

▲路地の奥に突如現れる秘密(?)の館

▲ジャマイカ・ワインハウス(The Jamaica Wine House)。ワインハウスという名だが、1600年代にロンドン初のコーヒーハウスとしてオープンした。今は、パブとして営業している。シティーという場所柄、客のほとんどはスーツ姿のビジネスマン。たまに、ガイドブック片手に観光客も訪れる
 
 二つ目は、英国が産業革命と植民地支配により反映を謳歌していたヴィクトリア時代(1837 – 1901)の面影を残す路地である。繁栄の裏で労働者は貧困に喘ぎ、10歳以下の子供の重労働が当たり前だった頃の様子が染みついているような路地だ。歩いていると、憂鬱な気分に襲われる。
 

▲貧しさの記憶を残す路地。シャーロック・ホームズの映画に出てきそうだ

▲夜歩くのが躊躇されるような路地。100年前には糞尿が溢れて汚かったに違いない

 

 そして、三つ目は郊外の街にあるこぢんまりとしたオシャレな様子の路地。下の写真は、私がロンドン駐在の最初の2年間住んでいたハムステッド (Hampsted)の駅近くにある路地だ。
 路地の奥と周辺の小径には骨董品やアンティーク家具等の店、それにカフェ、パブなどが並んでいて、休日の午後をのんびり過ごすにはとても良い場所だった。
 

▲洒落た店が集まるハムステッドの路地

▲ハムステッドの路地裏にいてた黒猫
 
 2週に亘って銀座と世界の路地のことを書いてきたが、私が住む千葉ニュータウンには、残念なことに路地がない。美しい自然と公園には恵まれているのだが、街に奥行きを与える陰の部分が欠けている。無い物ねだりだろうか。

 

           

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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