【連載】腹ふくるるわざ㊶
夢のまた夢
桑原玉樹(まちづくり家)
落語「のっぺらぼう」
落語に「のっぺらぼう」というのがある。ご存じの方も多いだろう。ちょっと長いが、あらすじはこうだ。(落語あらすじ辞典 Web千字寄席 六代目三升家小勝 より)
小間物屋の、吉兵衛。今夜も商売かたがた、夜遅くまでザル碁を戦わせ、ごちそうにもなって、いい機嫌での帰り道、赤坂見附は弁慶橋のたもとにさしかかった。
提灯の明かりでふと見ると、年頃十七、八で文金島田、振袖姿のお嬢さん。堀の方へ向かって手を合わせているから、これは誰が見ても身投げ。
喜兵衛、そーっと寄って帯をつかみ
「まあまあ、お待ちなさい。なんだね若い身空で。どういうわけか話してごらんな」
「おじさん、こんな顔でも聞いてくれる?」
振り向いた娘の顔は……のっぺらぼう。
「ギャッ」
と、驚いた喜兵衛、夢中で逃げ出し、四谷見附のあたりまで一目散に走ると、ちょうど二八そば屋の灯が見えた。やれうれしやと駆け込んだ。
で、おやじに、これこれと話すと、
「そりゃあ、気持ちが悪うございましたでしょう。ところで、だんなのご覧になったのはこんな顔で?」
ひょいと顔を上げると、そば屋の顔も、のっぺらぼう。
喜兵衛、今度こそ本当に仰天し、
「ウウーッ」
と悲鳴を上げて、どこをどう走ったか、やっとこ、わが家に逃げ帰った。
ガタガタ震えながら、女房にまたかくかくしかじかと話をした。
「まあ、気味が悪いじゃないか。碁に夢中になって遅くなるからそんな変なものを見るんだよ。ところで、おまえさんの見たのっぺらぼうって、こんな顔じゃなかったかい?」
見ると、今度はかみさんの顔がのっぺらぼう。喜兵衛、気の毒にもう逃げる場がない。
「ウーム」
と一声、目を回してしまった。
「……ちょいとちょいと、起きなさいよ。どうおしだね。おまえさん」気がつくと、女房が肩を揺すっている。
顔を見ると、ちゃんと目鼻が付いている。ああ、悪い夢を見ていたか。夢でよかった、と安心して、聞いてみると、
「おまえさん、昨日は風邪を引いたと言って、一日中家で寝ていたじゃないか」
と言うので、喜兵衛は、では、やっぱりすべて夢、と、いよいよほっと胸をなでおろし、改めて一部始終を話した。
「なんだねえ、私の顔がのっぺらぼうになったって。つまんない夢だねえ。本当になったのかい? 私の顔が。ン、じゃあ、なにかい、こんな顔だったかい?」
と言うと、また、……のっぺらぼう。哀れ喜兵衛、また目を回す。
「……ちょいとちょいと、起きなさいよ。どうおしだね、おまえさん」
また起こされる。
これが、ぐるぐる回りで、ずーっと続く。
▲のっぺらぼう
最初の夢(大湊)
とまあ、こんな話だが、私も夢の中で夢を見たら、それも夢だった、ということを先日経験した。
私の上司が職場で私にこう告げた。
「悪いけど 大湊に転勤をお願いできないか」
大湊は、青森県下北半島にある僻地の小さな田舎町だ。私は昭和32~34(1957~1959)年、小6から中2の途中まで2年半住んでいた。北側に釜臥山、南に安渡湾と芦崎半島を望む、山裾一帯に細長く市街地が広がる風光明媚な土地だ。
半島の中にまた半島という地形を生かし、明治の昔から北の守りのため海軍の要衝であり、今も海上自衛隊の大湊地方隊がある。近くにある「恐山」は霊場として有名だ。昭和34(1959)年、田名部町と合併し、今は「むつ市」となっている。
さて、僻地への異動の話は普通なら左遷というところだが、私は
「もちろん 喜んで」
と二つ返事で快諾した。
すぐに引っ越しを終えて家の周辺を散歩した。
~あー、この家は二宮が住んでいた家。彼は大学で隣のクラスになって再会したけど、未婚のまま10年前に死んだなあ。
~この家は田嶋さんの家。彼女は中学時代はコロコロしていたけど、10年前のクラス会ではすっかりマダム風になったなあ。
~このバス道路、こんなに狭かったかなあ。子供時代の記憶は広く感じるからなあ。
~グーグルマップでは上の方にはバイパス道路ができて、中学校もそっちに移転していたなあ。そうだ、行ってみよう。
とバス道路を曲がって坂道を登り始めたら、通いなれた道に木戸が出来ていて通行禁止になっていた。
~あれ? 仕方ない。迂回しよう!
とバス道路に戻って左右を見渡したが、どちらにも迂回できる道路がない。
~あれ? 道路があったはずなのに……どうしよう!
▲大湊
2番目の夢(横浜の実家)
そこで目が覚めた。
横浜の実家での正月の集まり。昼間から飲みすぎてウツラウツラしていたようだ。テーブルには酒やら料理やらがまだ残っている。
~夢だったかあ。異動の話を受けたのは今年のはずなのに、大湊の風景は60年以上前そのまま。
~そもそも大湊には事業所も現場もなかったから異動なんてありえない。考えてみれば変だったな。
私は、下の弟と母に言った。
「今、大湊の夢を見ていたよ。」
下の弟が言った。
「へー、そう。ところで秀樹(上の弟)にカツラを買ってあげたのに忘れて帰ってしまった。どうするかな。まあ立て替えた金はもらったからいいけど」
私が寝ている間に帰ったようだ。私は自分の頭を探った。
「あれ、俺のカツラがない!」
焦った!
▲横浜の実家
3番目の夢(白井市の自宅)
そこで目が覚めた。今年の正月の集まりで飲みすぎて隣の部屋で横になっている時にちょっと寝込んだようだ。5人の孫たちがTVでスイッチのゲームに興じている。テニスゲームを4人でしているようだ。順番に手足をヒョイヒョイと動かしてキャーキャー騒いでいる。
~また夢だったかあ。今年の正月のはずなのに、既に解体して無くなった実家で飲んでいるし、母は6年前に、上の弟は4年前に死んでいる。思えば辻褄が合わないなあ。
~上の弟の髪はふさふさだからカツラの必要はない。そもそも俺だってカツラを着けていないし、着けようなんて思ったこともない!
~変な夢だったなあ。さあ起きるか!
▲白井市の自宅リビング
これも夢?
と手足を伸ばしたところで目が覚めた。布団の中だ。壁の時計を見ると6時。まだ外も暗い。当然、孫たちはいない。
~またまた夢だったか。
家内に、
「変な夢を見たよ。夢の中で夢を見たと思ったら、それも夢だった」
と言うと、家内は、
「疲れてんじゃないの」
と、まるで興味無さそうに言った。
~これも夢かもしれないなあ。
と不安がよぎった。良かった。もう夢ではない。確かに私の布団だし、つねるまでもない。まぎれもなく現実だ。1月11日の朝のことだった。
【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】
昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。