【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(63)
美醜入り交じるパリ開会式を観てロンドンの格好良さを思い出す
ロンドン(英国)
ロンドンのセント・パンクラス駅(St Pancras station)からパリ往きの国際列車ユーロスターに乗ると、英仏海峡トンネルを通って約3時間でパリ北駅(Gare du nord)に到着する。
国際列車なので、英仏両国で飛行機を利用するときのようなパスポートコントロールと税関を通り抜ける必要があるが、新幹線で東京から大阪に行くような感覚に近い。
セント・パンクラス駅は、1868年に開業した壮大なまるで宮殿のようなヴィクトリア朝ネオ・ゴシック湯式の建物であるのに対し パリ北駅 舎もほぼ同時期の1865年に完成した壮麗な建築だ。同駅は、SNCF(フランス国鉄)最大の駅で年間利用者数も2億人を超え、欧州最多規模を誇っている。
▲セントパンクラス駅の偉容
▲美しいパリ北駅
しかし、落ち着いた雰囲気のセント・パンクラス駅に対し、パリ北駅とその周辺には、不穏な空気が漂う。危険な匂いが満ちているのだ。駅の外に出ると、四方八方から獲物を物色する怪しげな男たちの鋭い視線が突き刺さる。
そんな視線を掻い潜りながら、いつも長蛇の列でごった返すタクシー乗り場に向かうのだが、そう簡単には進めない。施しを求める(と言うより強要する)ロマ(ジプシー)の女たちに行く手を遮られるからだ。赤ん坊を抱いている者も多い。
彼女たちを相手にしている隙に、ひったくりにやられることだってある。やっとタクシーの順番が回って来ても、まだ安心はできない。
タクシーの助手席にペットの犬や猫が鎮座していることは珍しくないし、運転手のボーフレンドやガールフレンドが座っていることもよくある。そして彼(彼女)らがLGBTQであることも。
まぁ、そんなことは、フランスでは珍しいことではないので、目くじらを立てるつもりもないのだが、こちらが4人で行動しているときは、話が別だ。
助手席が占領されているせいで、一人取り残されてしまうからだ。そこで、次の車に乗ろうとすると、我々の直ぐ後ろに並んでいる人から、「イヤだ!」と言われて、揉め事になりかねない。
やっとタクシーに乗り込み、車が動き出してもまだまだ安心するには早すぎる。とんでもない回り道をされる恐れがあるので、Google mapでルートを確認し続けなければならないのである。
ヘイトスピーチだと誹られかねないのを承知で言うと、タクシー運転手の7、8割は移民であるような気がした。これは10年以上前のことだから、今ではタクシー運転手の移民比率はもっと上がっているに違いない。
オリンピックの話なのに、長々とこんな話をしたのは、ドーバー海峡を挟み、たった列車で3時間の距離なのに、英国とフランスが如何に違うかを最初に記したかったからだ。
パリオリンピックの開会式は、あざとさと外連味、そして毒に満ち、多様性を礼賛しながら他者への配慮を欠く演出も目立った。フランス人にとって、マリー・アントワネットを処刑したことは自由・平等・博愛への道を開く象徴的なイベントだったのかもしれない。
彼女は14歳の時に政略結婚で、オーストリアのハプスブルグ家から、15歳のルイ16世に嫁いだ。若い頃、贅沢と享楽に現を抜かす浅薄な女と見なされていたが、同時に知的で、芸術やファッションに情熱を持つ魅力的な女性だったとも伝えられている。彼女はフランス革命の波に飲み込まれ、不運にも悲劇的な結末を迎えることになったのではないかとも思えてしまう。
そんな側面を知った上で、改めて生首を抱えて歌うマリー・アントワネットの映像を思い起こすと、フランス人はあの衝撃的なシーンがオーストリア人の目にどう映るかなど絶対に慮ったりはしなかったに違いないと確信した。
前回のブログを読んだ友人の一人から、「雄介は、ホントにフランスが嫌いなんだな」と言われたが、そんなことはない。私は、フランスつての芸術、文化を尊敬しているし、理屈っぽいところだって面倒臭いとは思うけれどイヤではない。ただ、フランスにいると、自己主張のぶつかり合いに疲れ果ててしまうのである。フランス以外の欧州諸国で語られる有名なジョークがある。
「世界にパリほど素敵な街はない。フランス人さえいなければの話だが…」
さて、いよいよロンドンオリンピックの話をしよう。
2012年7月27日から8月12日の間、ロンドンはまるでお祭り騒ぎだった。開会式のコンセプトである「驚きの島(Isles of Wonder)」は、ウイリアム・シェークスピアの戯曲からの引用である。
英国の詩人ウイリアム・ブレイクの詩『ミルトン』の詠んだ産業革命以前の英国の農村風景や産業革命後の製鉄所の風景も朗読された。さらに『ピーターパン』『不思議の国のアリス』『101匹わんちゃん』『メアリー・ポピンズ』『チキチキバンバン』『ハリー・ポッター』なども登場した。
なんと健全で、おおらかであることか。それ引き換え、パリオリンピック開会式に登場した『Le Diable au corps(肉体の悪魔)』『Les Liaisons dangereuses(危険な関係)』『Les amants magnifiques (豪勢な恋人たち)』『Le triomphe de amour(愛の勝利)』等など……。。
こんな不倫、同性愛、身分違いの愛などを賛美するかのような作品群は、果たしてオリンピックという祭典に相応しいものだったのだろうか。改めて強い違和感を覚えてしまう。そして、文学作品の選択に於いて、英仏両国民の感性が如何に異なるかが浮き彫りなっているように思えた。
その後も、ザ・フー、クラッシュ、マイク・オールドフィールド、ザ・ジャム、ザ・ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイ、クイーン、エリック・クラプトン、ユーリズミックス、ブラー、ピンク・フロイド、ザ・ビートルズ、とブリティッシュロックのスターたちの歌と演奏が続く。シリアスな顔で笑いをとるミスター・ビーンに扮したローワン・アトキンソンも真面目な顔で出演していた。
開会式冒頭の、エリザベス女王とジェームス・ボンドとの競演(?)は素晴らしかった。背の高い執事にバッキンガム宮殿の女王の豪華な執務室に通されたボンドは、美しいライティングデスクに向かって書き物をしている女王の背後に立つ。
そして、ロココ調の置き時計の針が午後8時半を指すと、控えめに小さな咳払いをする。女王は振り向き、「Mr.Bond.」と一言。そして、二人は、女王の愛犬2匹のコーギーに見送られながらバッキンガム宮殿の廊下を抜けてヘリコプターに乗り込む。
▲女王の背後に立つボンド
ロンドン上空を飛ぶヘリは、まるでピーターパンのように、バッキンガム宮殿、トラファルガー広場、ビッグベン、ウエストミンスターアビー、ロンドン・アイ、セント・ポール大聖堂、シティーの近代建築群の上空を飛行する。
夕闇に浮かぶタワーブリッジの下をくぐり抜けてスタディアム上空に差し掛かると、ボンドがヘリから身を乗り出して周囲の安全を確認する。すると、なんと女王が空中に飛び出し、ボンドが続く。ユニオンジャック模様のパラシュートが開く。
▲エリザベス女王がパラシュートで
▲貴賓席に姿を現した女王
▲ロンドン五輪の開会式会場
この光景に被さる音楽は007のテーマだ。曲がクライマックスに差し掛かったところで、女王陛下が貴賓席に登場し、威厳に満ちた表情で赤、青、白のユニオンジャックの色に染められたスタディアムを睥睨したところで、最初はフランス語、次に英語で女王の到着が告げられた。あまりの格好良さに思わず、「ヤラレタ!」と声が漏れた。
この時の女王の熱演に対し、英国映画テレビ芸術アカデミー(British Academy Film andTelevision Arts - BAFTA)から名誉賞が贈られ、「最も記憶に残るボンドガール」と讃えられたそうだ。
▲オリンピックマークを掲げたタワーブリッジと筆者
▲「オレは聖火を見たぜ!」の旗を筆者は記念に持って帰った
普段の英国人は、割といい加減なところがある。例えば、地下鉄には時刻表がなく、駅のプラットフォームには次の電車到着するかが表示される。しかし、あと3分が5分になり、10分になり、挙げ句の果てには運行中止、ということも日常茶飯事だ。
到着しない理由が説明されることなど殆どないが、文句を言う人はいない。英国人の誰もそんな説明を期待してはいないからである。水道が壊れて修理を頼んでも、明日の予定が1週間後になるのも珍しくない。
ロンドン暮らしの最初の頃は、日本では考えられないような英国人のいい加減なところにイライラした。が、慣れてくると、大多数の英国人のように、「まぁ、別に死ぬほどのことでもないし」と自虐的に受け流せるようになった。そうなれば、ロンドン暮らしも快適になってくるというものだ。
逆に几帳面すぎる日本流のほうがかえって息苦しくなったりもする。少し補足しておくと、几帳面な英国人は日本人よりも徹底していることがあるので、そんな「変わり者」の英国人との付き合いには注意が必要だ。
そんな英国人だが、開会式は、緻密に計算し尽くした演出を完璧に実行してしまった。これには、普段自虐的な多くの英国人が、「俺たちもやればできるんだ!」と妙な自信を見せているのが面白かった。
パリのように、政治的主張を振りかざすことなく、誰も傷つけず、みんなが安心して楽しめる開会式を造りあげたことに敬意を表さずにはいられない。
サッカー(英国ではfoot ballと呼ぶ)の聖地、ウエンブリースタディアムで女子サッカーの準決勝、日本対フランスの試合を観た。日本が2対1でフランスに勝利した素晴らしい試合だった。
私の隣にいたのは、フランス人の女性サポーターで、「アレ・アレ・ブルー!=‘Allez, allez, bleu!’」のかけ声で大変な盛り上がりようだった。これは、フランスチームのユニフォームが青色なので、「行け、行け、青!」という意味だ。
私たちは、「ニッポン、ニッポン!と声を張り上げる。時々、彼女たちが「ニッポン、ニッポン!と叫び、私たちが「アレ、アレ、ブルー!」と返す。サッカーの試合を生で見たのは初めてだったのだが、とても心地良い興奮に身を委ねることができた。
▲女子サッカー準決勝(日本対フランス)でフランスのサポーターとお友達に。筆者は手作りの日の丸扇で応援した
▲ロンドン市内を駆け抜ける女子マラソン
ロンドンの夏は涼しい。年によっては、夏が来ないまま秋になってしまったということもある。2012年の夏も涼しかった。あまり熱くなることないロンドンっ子たちは恥ずかしそうにはしゃいでいた。
ただ、平和の祭典の裏で英国政府は、テロ対策に万全を期していた。当初1万人と見積もっていた警備の人数を2万3000人に増員し、予算は2億8200万ポンドから5億5300万ポンドに増額した。
さらに、ロンドン近郊の会場には地対空ミサイルを配備、英国海軍最大の軍艦オスカーや、戦闘機のタイフーンなども待機させた。英国内で平時にこれほどの軍人が動員されたことは過去にはなかったのである。日本の警備体制を考えるとき、ミサイルや軍艦、戦闘機を待機させることなど、日本人の誰が想像できるだろうか。
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。