【連載】呑んで喰って、また呑んで(57)
出版社で鍛えられた酒⑤
●日本・東京
編集の仕事は思っていたよりも、地味だった。パソコンが大活躍する今ではどうか知らないが、当時はすべて手作業である。とくに雑誌の編集となると、細々してじつに面倒な作業が多い。割付なんかも神経を使う。
1行や2行違っただけで、字数を増減しなければならないからだ。ノンフィクション・ライターの原稿だと勝手に改行したり、表現を変えたりできたが、名の知れた作家の原稿だと、そうはいかないので、割付をやり直すしかなかった。
執筆者からもらった原稿を印刷所に出す前に字や事実関係の間違いも調べなければならないのだ。今のように、パソコンでさっと調べるというわけにはいかない。腹が立つほど重い広辞苑を傍らに置いて編集作業をするのだが、肩が凝って仕方がない。 印刷所から初稿ゲラが届くと、今度は校正の仕事が待っている。原稿通りに印刷されているのか、見落とした部分はないのかを調べるのだ。しかし、こればかりやっていると、当然、目が疲れてくる。
この作業は夜になっても続くので、夕食も社内でとることに。出前で注文した力うどんやざる蕎麦をを急いで流し込む。それから休む暇もなく編集作業に戻る。「ワンカップ〇〇」をちびちびやりながら。そう、グラスに入った一合の日本酒だ。夏ならビールだ。
雑誌の編集だけではなく、単行本を扱う出版編集部も同じフロアにあったので、アルコールの匂い(臭いではない)が漂っていたものである。一通り仕事の目途がついたら、退社するのだが、そのまま家路にというわけにはいかない。副編集長のKさんに拉致されて、品川の小汚い呑み屋へ。そんな日々だった。
さて、校正は編集部の中だけではない。印刷所で行う「出張校正」というのがある。雑誌を印刷する前に、念を入れて最終チェックを行うのだ。徹夜の仕事である。このときには校正を専門にしているベテランに来てもらう。
私たちの雑誌の校正を引き受けていたのは、いつも眠そうな顔をしているYさんでだった。60代後半だったろうか、いや、もっと若かったかも知れない。でっぷりと太り、大儀そうに歩く。蝋燭色の顔には生気がいうものがない。
Kさんによると、かつては文学青年で、作家を目指していたが、妻子を養うためにプロの校正マンになったという。そうだったのか。夢をあきらめた中年男。その悲哀が体中からにじみ出ていた。
そんなYさんであるが、いざ校正の仕事に入ると、別人に変貌する。睡魔に襲われたような重い瞼がきりっと上がり、眼光も鋭くなるのだ。それだけではない。色素が失われたような顔に赤みがさしているではないか。
一体、何がYさんを変貌させたのかというと、「ワンカップ〇〇」である。そう、Yさんは無類の酒好きだった。とくに日本酒が。そんなわけで、Kさんと私は「ワンカップ〇〇」を2ダースほど購入し、神楽坂にある印刷所に行くのが恒例になった。私たちも一緒に呑むからだ。もちろん、スルメなどの酒の肴も忘れてはいけない。なにしろ、朝までの長丁場である。
Yさんは「ワンカップ〇〇」を舐めながら、真剣な目つきでゲラに目を通す。Kさんが、
「へー、当時、こんなことがあったんですか?」
などと生徒のように質問すると、Yさんがここぞとばかりに博識ぶりを披露する。私も傍で聞きながら、「よく知ってるなあ」と感心したものだ。アルコールの入ったときのYさんほど頼もしい助っ人はいなかった。
私のような若手編集者をからかうのもYさんの楽しみだったようだ。不思議なことだが、皮肉たっぷりに私の無知さを指摘されると、嬉しく感じたものである。心地よかった、と言い換えてもよい。尊敬する大学教授からマンツーマンで教えられているような気分になったのだろう。だから、毎月の出張校正が待ち遠しかった。
が、あるときから別の校正マンが。Yさんが体を壊したのである。呑みすぎて肝臓がおかしくなったらしい。Kさんも私も猛烈に反省した。呑みすぎには注意しよう、と。反省会は例の品川の呑み屋で行われた。いやあ、呑んだ、呑んだ。
それからしばらくして、勤めていた出版社は約3億円の負債を抱えて倒産した。編集部に移ってから1年後のことである。倒産したことを毎日新聞の社会面で報じていた。別に自慢するわけではないが、その記事を友人知人に見せて、呑んだような記憶があるのだが……。(終わり)