【連載】呑んで喰って、また呑んで(62)
連夜のパーティーに幽霊も
●日本・東京
真夏の怪談話というのがある。ぞっとして涼しくなるからだろう。が、まだ残暑が厳しいので、ちょっとばかり怖い話をしたい。
私が高円寺に住んでいた頃のことである。確か9月だった。それまで住んでいたマンションから出ていくことになった。近くの物件を探していたところ、不動産屋のお兄さんから、
「お客さん、いい物件がありますよ」
と、あるマンションに案内された。五階建ての古びたマンションの1階である。床はフローリングで、12畳ほどのワンルームだが、一人で住むには十分な広さだ。おまけに駅にも近い。それに何と言っても家賃が相場よりもかなり安いではないか。もう心の中では決めていた。よし、ここにしよう!
そう思ったときである。不動産屋が不思議そうにつぶやいた。
「ん、何だ、これ!?」
流し台に近い床に50センチ四方の戸があることに気づいたのである。床下収納だろう。それを不動産屋が開けると、なんと10畳ほどの地下室が。下はコンクリートで固められている。
「お客さん、よかったですね」と不動産屋が目を輝かせた。「私も地下室があるとは知らなかったですよ」
うん、よかった。こんな広い地下室だと本が一杯収納できるので有難い。私も子供のようにキャンキャン喜んだものである。荷物なんかほとんどないので、その日のうちに引っ越しが終わった。地下室が気になったので、さっそく下へ。懐中電灯で照らす。すると、コンクリートの壁に何やらシミのようなものが。ようく見ると、人間の影のようではないか。いや、気のせいだろう。
さてとコーヒーでも飲もうか。ポットに水を入れようと水道の蛇口をひねった。ブルブルッとけたたましい音と同度に水が激しく出てきた。しかし、よく見ると透明の水ではない。茶色い、いや赤い液体が。まさか、血か! いや、気のせいだろう。しばらくして、透明の水に変わった。
引っ越しで、よほど疲れていたのか。コーヒーを半分も飲まないうちに激しい眠気に襲われた。もう夕食どころではない。急いで布団を敷いて倒れ込む。それから数分後なのか、数時間後なのか、私は金縛り状態になった。必死で起き上がろうとするが、まったく体が動かない。
そうこうするうちに、玄関のドアがスーと開いた。そして誰かが入ってくる気配が。頭がかろうじて動いたので、玄関のほうを見ると、白い浴衣姿の男が近寄ってくるではないか。角刈りの中年男だった。鮨屋の板前か。うっそー、一体誰なんだ! 来るな! 来るな!
そんな私の願いもむなしく、男は私に馬乗りになった。そして、あろうことか、私の首を両手で絞め始める。く、苦しい! 激しく抵抗するが、男は手の力を緩めない。もう万事休すである。私は目覚めた。うー、夢だったのか。それにしても、気持ちの悪い夢である。
次の夜―-。またしても金縛りになり、再び「予期せぬ客」が。今度は女性だった。彼女も白い浴衣のようなものを着て、私に近づいてきた。30代後半か。顔面は真っ青である。そして、あの男と同じように私の首に。ギャー!!
自分の悲鳴で、私は飛び起きた。全身汗びっしょりである。何かある。この部屋には何か秘密がある。そう私は確信した。地下室があることを不動産屋が知らないわけがない。もしかしたら「事故物件」であることを隠していたのか。この部屋に誰でもいいから入居させようと、地下室を見せて喜ばせたのかも。
3日目、私は近所に住む友人数人を呼び、宴会をすることに。怖くて、一人ではいられないからである。それまでの不思議な出来事を話すと、友人たちは面白がった。が、地下室も見せると、さらに面白がった。
「何かが漂っているな」
「あのシミ、ほんとに人の形をしてるよ」
「誰かこの地下室で殺されたのでは……」
「よくこんな不気味なところに住めるなー」
結局、全員が泊まった。幽霊を見たいたために。しかし、幽霊は現れなかった。
次の日も、また次の日も、顔触れは変わっても、数人が連日のように泊まっていった。多いときには20人も私の部屋に来ただろうか。誰もが酒とつまみを持ち寄って。いつしか私の部屋は友人たちのサロンとなった。みんなフリーライターやカメラマンといった自由人というか暇人ばかり。
しかし、嬉しいことに、仕事で世界各地を回っているので、舌だけは肥えている。彼らが持ち寄る料理も、乾きものやスルメではない。カツオのたたきやTボーン・ステーキ、クジラの刺身は序の口である。鹿の刺身、カスピ海のキャビア、あるときはベネチアで買ってきたポルチーニ茸……。
酒も年代物のワインをはじめ、アルメニアのブランデー、ノルマンディーのカルヴァドスと、何でもありだ。そんなパーティーが連日連夜、それも朝まで開かれると知って、行きつけの新宿ゴールデン街のママも、女子大生も。まさに「呑んで喰って、また呑んで」の日々である。
ある日、私が恐怖で凍り付くようなことが起きる。まさに宴たけなわの夜中の2時ごろだった。突然、玄関からピンポーンという音が。こんな夜中に誰だ! 非常識にもほどがある。そう怒りながらドアを開けると、幸薄そうな中年女性が呆然と立っていた。恨めしそうな眼付きで私を睨む。出たーっ! 夢ではない。幽霊だ! その幽霊が声を絞り出した。
「あのー、隣の者ですけど、今、何時だと思ってるんですか。静かにしてくださいよ!」(つづく)