【連載】藤原雄介のちょっと寄り道㊻
調印式後の宴会で起きた「中台」論争
北京(中国)
日本の大都市の地下には、鉄道、電気、ガス、電気通信、上下水道などのトンネルや管路が縦横無尽に張り巡らされている。これらは、シールドマシン(掘削機)と呼ばれる機械により、作られたものだ。シールドマシンとは、鋼でできている円筒状の機械で、発発進場所に掘られた縦穴から地中に投入し、横方向に掘り進む機械だ。
シールドマシンの前面(切り羽)には超合金で作られたカッターヘッドと称する歯がついていて、それをグルグル回しながらモグラのように土を削っていくのだ。削られた土砂は、パイプやベルトコンベアによって地上に運ばれる。掘られた部分はそのままでは、崩落してしまうので、鉄筋コンクリート製のセグメントを組み立てながら進んでいく。
シールドマシンの名前は、掘削した部分が崩れないよう守り防ぐという意味のシールド「楯」に由来する。恐らく文章による説明では、イメージが湧かないと思うので、以下に写真と概念図を示そう。
▲IHI大口径シールドマシン
▲シールドマシンで掘削する様子と、セグメントで「シールド」されたトンネル
地下トンネルの多くは、公有地である道路の下にある。例えば、東京都内の場合、国道の地下には、道路1キロ当たり約33キロにも達する管路が複雑に折り重なり、錯綜しているのだ。
当然、新たに建設される地下鉄等は、これら既存の管路を避けて通さねばならない。だから、年々その深度が深くなる。そこで、平成13(2001)年に「大深度地下使用法」が施行された。
公共目的であれば地下40メートルよりも深いところにある空間(大深度地下)を土地所有権者に地上権設定料を払うことなくトンネルを掘ることが可能になったのである。
この法律の施行で、大深度利用はますます盛んになり、東京の地下は、巨大なダンジョン(地下室)と化していく。
初期に建設された地下鉄銀座線の最大深度は地下16メートル、丸ノ内線は17メートルだが、最新の都営大江戸線では49メートルにも達している。これで驚いてはいけない。外国に目を転じてみよう。
モスクワ地下鉄のパーク・ポベディ駅は地下73メートル、ウクライナの首都キーウにあるセリーナ駅は、なんと地下105.5メートルという深さだ。言うまでもなくこれらの駅は核シェルターを兼ねて建設されたものである。有事に際して何の備えもない東京とは事情が違う。
ところで、昔の映画や漫画で、巨大なドリルを装備した軍艦や戦車などが地中をグイイ掘り進んでいくシーンがあった。子供時代の私には、胸躍る光景である。
しかし、現実は違った。残念なことに、これらの素晴らしい機械たちは実際には全く機能しない。ドリルで土中に穴を掘っても、土圧により、掘った側から崩落して穴を埋めてしまうのだ。だから、面倒なシールド工法が必要になってくる。
「海底軍艦」に至っては、艦首のドリルで穴を掘っても、「艦橋部分はどうなるの!?」と突っ込みを入れたくなる。ま、そんな野暮は言いっこなしで、空想の世界に遊ぶのが正しい作法だろう。
▲1963年公開の東宝特撮映画『海底軍艦』に登場する轟天号は、陸に、海に、地底に、
天空を行く、マッハ2の万能戦艦で、少年の憧れだった
前置きが長くなってしまった。今回は、北京市で下水道トンネル掘削用のシールドマシン第1号機を受注したときの話をしたい。
1999年冬―。受注したのは、直径3.63メートルの泥土圧式シールドマシンだ。紫禁城の北北東約5キロの地点を1400メートルに渡って掘削する工事に使われるものである。
夕暮れの北京はマイナス10℃。しかも寒風が吹きすさぶ。私は北京駐在事務所を出て、お客様に指定された餐庁(レストラン)に向かった。ほぼ1年にも及んだ受注活動の結果、欧州メーカーとの激しい一騎打ちを制して、お客様の最高責任者との最終価格交渉にまでこぎつけたのだった。
当時、巷では法に触れるような危ないビジネスの駆け引きについての話しが溢れていた。が、私たちは、ガチガチのコンプライアンスに縛られているので、勿論法に触れるようなことはできないし、またしなかった。
しかし、「人脈関係」(レンマイグヮンシと発音する)が鍵を握る中国ビジネスでは、関係者一人ひとりの氏素性、学歴、出身地、友人関係、趣味、関心事等を徹底的に把握して情報を集め、二重三重のチェックをする必要があった。
中国には、「自己人(ツーチーレン)」「外人(ワイレン)」という言葉がある。「自己人」とは、「自分の家族のように密接で非常に近い関係の人」を指し、「外人」はその逆、つまりその他大勢を指す。
日本人である私たち「外人」にできることはたか知れている。だから、営業マンには、相手方有力者や競合相手のキーパーソンに繋がる有力な「エージェント」を如何に探し出し、そのエージェントの情報の真贋を見極める眼力が求められた。
当時の私の手帳には、交渉の経緯や駆け引きについて詳細に書き留めてある。そのメモを元に、支障のない範囲で再現してみよう。
北京入りして6日目のことだった。X社(欧州メーカー)の安値攻勢に対抗する決め手を欠いたまま、ネゴ(交渉)最終段階の重苦しい空気と緊張感に神経はずっと張り詰めっぱなしだった。
しかし、世界で初めて土圧シシールドを開発したメーカーとして、技術では決して負けていないという自負の下にX社の技術的弱点を突き、経験に裏打ちされた当社の土圧シールド゙技術の優位性を説いてきた。
そして、一部にX社を擁護する勢力を残しながらも、なんとか評価委員会のサポートは得られた。客先の評価委員会は数時間以内にメーカーを決定するといい、指値が出てきた。
一方、客先トップからも直接会って話し合いたいとの申し入れが。「評価委員会とのやりとりは俺に任せろ」という北京事務所のО所長の声を背中に、客先トップとの直談判による即決に望みを託して、凍える北京の黄昏の中、指定された海鮮料理屋に向かう。
個室で待つこと小一時間、実務レベルとは明らかに違う物腰、眼光の客先トップが別の宴会を抜け出し、部屋に入ってきた。
ひとしきり中国市場の将来性に関する話題が続いた。そして、こちらでも指値が飛んできた。私は「少しでも値増し」をと粘る。しかし、相手も相手だ。
「貴社の実績に鑑み、X社の価格よりもいい値で発注すると言っているのに、何を躊躇うか。さっさと話しをつけて乾杯しよう」
と畳み掛ける。
頭の中を数字が駆け巡った。しばし沈黙した後、「好了」(OK)と答える。握手。そして白酒(57度の強烈な焼酎)の満たされた小さな杯挙げ、蛇料理の並んだ食卓を挟んで乾杯の応酬が繰り返された。しっかり酔っ払ってしまった。
翌日、酷い二日酔いを押して、これまで激しい交渉を続けてきた評価委員会の面々と調印式とお祝いの宴会に臨んだ。ほっとした気持ちで挨拶した。
「中国で初めてのシールドマシンを受注することができて、本当に光栄で嬉しく思います。私たちを選んでくれて本当にありがとうございます」
私の挨拶が終わると、お客様の共産党組織責任者も挨拶に立った。
「皆さんを選んで良かったと言えるよう、お互いに協力して今回の項目(プロジェクト)を成功させましょう」
そこまではよかった。しかしこの後、彼の口から予期せぬ発言が飛び出す。
「ところで、藤原先生は、『中国で初めて』とおっしゃった。しかし、これは間違っており、問題のある発言です」
相手は真面目な顔つきで続ける。
「あなたたちは、台湾に何台もシールドマシンを納入しているではありませんか。だから、初めて中国に納入する訳ではありません!」
うー、困ったものだ。「台湾は中国の一部」というのが中国共産党の主張である。だから「中国で初めて」という私の発言が気に喰わなかったのだろう。
せっかくの宴会である。ここで私が反論しても、場をシラけさせるだけだ。私は共産党の責任者に向かって礼儀正しく言った。
「これは大変失礼しました。『中国大陸に初めて』と訂正します」
拍手が沸き起こった。我ながら、絶妙の訂正だった。賢明な読者なら、もうお分かりだろう。「中国」ではなく「中国大陸」なら島国の台湾は含まれない。共産党の責任者が私の意図に気づいたのかどうか、今となっては不明だ。それはともかく、二日続けての二日酔いだったのは確かである。
▲調印式の筆者(右から2番目)
▲調印式の後の宴会は楽しく
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。