【連載】呑んで喰って、また呑んで(81)
フェリーに乗って上海へ
●大阪~上海
「あなたたち、上海行のフェリー乗場はご存じ?」
白人の中年女性がタクシー乗場にいる私とОカメラマンに近寄ってきた。
「そこに行くところですよ」と私がにこやかにほほ笑む。「よかったら一緒のタクシーで」
「あら、助かるわ」
そんなわけで、同じタクシーに。といっても、おばさんだけではなかった。彼女の夫も一緒である。フェリー乗場まで10分もかからなかったが、その間、おばさんは喋りっぱなし。二人はカナダ人で、上海に向かう娘を見送りに来たという。共産主義の国に行かせるのがよほど心配になったのかも。夫婦はこの後、ゆっくりと日本各地を旅行するらしい。
「娘はシャイだから、あなたたち、お友達になってあげて」
シャイな娘は誰に似たのか。母親は大阪のおばちゃんみたいだから、父親に似たのだろう。おばさんとは対照的にダンナは超が就くほど無口だったからである。タクシーがフェリー乗場に到着した。タクシー代は折半である。
「ビバリー、こっちよ!」
おばさんが大声で娘の名前を呼んで手を振った。
娘が恥ずかしそうな笑みを浮かべて両親のところにやって来た。
「この人たちも一緒に上海に行くのよ」とおばさんが私たちを紹介する。「よかったわね。お友達ができて」
ビバリーという名の娘が、さらに恥ずかしそうに頬を赤らめた。20代後半なのだろう。大柄の美人だ。黒色に近いブルーネットの髪を胸の下まで伸ばしている。その髪を黒人みたいにカールさせているので、否応にも目立つ。
さて、どんな旅になるやら。私たちを乗せた「鑑真」号が出港した。42年ぶりに就航した日中定期フェリーである。昭和60(1985)年の夏のことだった。この「鑑真」号に乗って上海を取材するのが、私たちの目的である。もちろん、船上でのことにも触れる必要があるので、ビバリーと知り合ったことも何かの縁である。記事に花を添える効果があるではないか。
昼食に彼女を誘った。彼女は上海経由で北京の外国語学院に留学するのだそうだ。日本人客が多いので、中華と言うより日本の定食みたいなメニューが。肉野菜炒め、ニラレバなどを適当に注文した。青島ビールが置いてあったので、それも1瓶ずつ呑むことに。あまり呑むと取材が出来なくなるからだ。正直言って、料理は不味かった。
昼食の後、ビバリーと別れて私たちは早速取材を。デッキで日光浴をする大学生もちらほら。4人部屋の1等洋室ではしゃぐОL3人組。貴賓室でくつろぐ横浜の老夫婦にインタビューしたところ、ご主人はかつて上海で青春時代を過ごしたとか。
「英国系ハイスクールで学んだので、その校舎をもう一度見たくなってね。ワイフを引っ張って来たんですよ」
戦時中、工兵隊員として上海郊外に駐屯していたという大阪の老人にも話を聞くと、
「45年前に別れた恋人を探しに行きますねん」
と、まるで映画のような話をしてくれた。
夕食もビバリーを誘う。相変わらずパッとしない料理ばかりだ。仕方なくビールで流し込むという感じである。船内にはバーもあった。バーと言うより「場末のスナック」に近い。カウンターの中には不愛想な中国人女性が。客は3人しかいなかった。
大阪港を出港して2日目の朝、私とОカメラマン、そしてビバリーを乗せた「鑑真」号が黄浦江をゆっくりと進む。船のデッキから上海の街並みが見えた。私が数々の古本で見た光景とほとんど変わらない。まるで戦前にタイム・スリップしたようである。
〽リール、リル、誰かリルを知らあないか♪
私の十八番である『上海帰りのリル』を思わず口づさみそうになった。
上海、シャンハイ、Shanghai。うーん、何て響きのいい地名なのか。私がこの街に憧れたのは、一冊の古本がきっかけである。大阪の大学を卒業して東京の出版社に入社したばかりの私は、暇があると神田の古書店に入り浸っていた。
ある日、「魔都」というタイトルの古本が目に入る。かなり古い。妙に気になったので、手に取ってみた。作者は村松梢風とある。ページをめくると、作者が上海を訪れたときのルポだとわかった。驚いたのは、発行された年である。なんと大正13年(1924)ではないか。
家に帰って、貪り読んだ。面白い。上海が「魔都」「冒険者の楽園」と呼ばれるだけあって、じつに刺激的な内容だった。一晩で上海に夢中になった私は、古本屋に行くたびに上海関係、すべて戦前の本を買いあさることに。自然と中華料理にも興味が湧いたものである。そして今、ずっと憧れていた上海が目の前に迫っているのだ。さあ、上海を満喫しようではないか。(つづく)