【連載】呑んで喰って、また呑んで(80)
007が愛したカリブの島で
●バハマ/ナッソー
「わー、やっと来たぞ!」と私は胸の中で叫んだ。「ここがボンドが愛したナッソーなのか。なんて色彩が鮮やかなんだ!」
マイアミを出港したクルーズ船がカリブ海に浮かぶバハマの首都ナッソーの港に近づく。船のデッキから早朝のナッソーの街を、私は興奮しながら眺めた。ボンドとは、ジェームズ・ボンド。そう、あの007シリーズの主役である。
下船した。太陽が眩しい。しかし、何だろう、この鮮やかな色彩は。いままで見てきた世界とはまるで違う。異次元と言ってもいいだろう。クルーズ船の到着に合わせているのか、港近くの飲食店はすでにオープンしていた。私は一軒のレストランに飛び込み、さっそくビールを一気呑み。興奮して熱っぽい喉に冷たい液体が心地よい。
さてと、落ち着いしたところで、カリブの島々で定番のラム酒だ。なにしろ度数40度以上の強い酒なので、朝からストレートはきつい。炭酸で割って生ライムを絞る。ボンドならどんなカクテルにするだろうか。
ラム酒の酔いが回って来たのか、時空が私を中学時代に戻していた。そこには友人に借りた007の本を読んでいた私がいる。
「へえー、こんなカクテルもあるのか」
主人公のジェームズ・ボンドがジンかウォトカを加えたトマトジュースに生卵を2個放り込んで呑む場面を読み、「わー、カッコいいな。さすがボンドだ」と感動した。カクテルを呑んだこともない中学生の私だったが、心はすでにいっぱしの呑兵衛である。
スクランブル・エッグがボンドの好みだということも、その本で知った。その夜、さっそくスクランブル・エッグをつくったものである。想像力を働かせて。美味くもなんともなかったが、美味いと思い込ませた。けなげな中学生ではないか。
ボンドならスクランブル・エッグをつまみによく冷えたシャンパンを呑むところだ。が、両親がいる手前、さすがにシャンパンは呑まなかったが、「大学生になったらカクテルをつくるぞ! シャンパンも呑むぞ!」と固く決意するのであった。
さて、原作者のイアン・フレミングの小説ではなく、シリーズになったショーン・コネリー主演の映画を観たのは、高校生になったばかりのことである。『ロシアより愛をこめて』(1963)と『ゴールドフィンガー』(1964)を立て続けに観て、すっかりジェームズ・ボンドの世界に浸ったのは言うまでもない。
自分も将来、あんなスパイになってみたい」、と。それにしても、ボンド役のショーン・コネリーはカッコよかった。女性にはモテるし、酒も腕っぷしも、めっぽう強い。アストン・マーチンを運転させても、プロのレーサーも真っ青である。カジノで遊んでもギャンブルで負けはしない。美人相手に放つ辛口のジョークも文句なし。タキシードを着させても、さまになっている。そして、あの胸毛。男なら誰でも憧れるではないか。
映画でショーン・コネリーの胸毛を見た高校生の私は思った。胸毛を生やそう、と。かといって、毛生え薬を買うカネなんてない。そこでお袋の鏡台にあった乳液が目に入った。直感が働く。唾液もついでに加えたら効果があるかも。乳液と唾液を胸に塗りたくった。
願いは叶うもんだ。2週間も同じことを続けていると、胸に産毛が生えてきたではないか。それから半年もしないうちに、私の胸はショーン・コネリーになっていた。嘘のような話だが、本当の本当である。
ところで、ボンドのモデルは、原作者のイアン・フレミングではないかと言われている。政治家の息子としてロンドンで生まれたフレミングは陸軍士官学校を卒業したものの軍人にはならず、なぜか銀行に勤める。
その後、ロイター通信のモスクワ支局長に。第2次大戦中は諜報員として活動した。戦後はジャマイカに移り住み、スパイだった経験を生かして007シリーズ第1作の『カジノ・ロワイヤル』を執筆し、映画化もされた。しかし、1964年に心臓麻痺で死去。56歳の若さだった。
ボンドと同じく、美女をこよなく愛し、趣味は高級車とギャンブルだったという。美食家で大酒呑みだったが、ボンドほどのこだわりはなかったようだ。小説の中のボンドがカクテルを注文するとき、必ずこう言う。
「ドライ・マティーニだ。かき混ぜないで、シェイカーで振ってくれ」
バーテンダーの世界では、マティーニはかき混ぜてつくるのだが、ボンド流はシェイクするのだ。ボンド・ファンなら、これを「ボンド・マティーニ」と呼ぶ。しかし、ボンドと違って、フレミングはジンさえあれば満足だったらしい。ジャマイカではジンのボトルを毎日1本空にしていたという。
それだけでも健康に悪いのに、チェイン・スモーカーだった。平均して3箱、つまり60本は吸っていたというから不摂生極まりない。案の定、53歳のときに心臓発作で倒れ、その3年後に再び倒れて帰らぬ人となった。
ショーン・コネリーは007シリーズの7作に出演している。バハマのナッソーとその周辺海域でロケしたのは『サンダーボール作戦』(1965)と『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983)の2作だけだが、なぜかボンド=ナッソーの印象が強い。だから、初めてナッソーの土を踏んだとき、ジェームズ・ボンドの世界が頭の中で広がったのだろう。
ボンド役で有名になったショーン・コネリーも、ナッソーがいたく気に入ったのか、俳優業を引退してから終の棲家としてナッソーを選ぶ。そして2020年10月31日、家族に看取られながら安らかに旅立った。享年90歳。フレミングよりも34歳も長生きしたというわけだ。ナッソーにお墓があるなら、もう一度ナッソーに行きたい。
私はそんなに長生きしたくはないが、ショーン・コネリーのようになりたいと日々思っている。鏡で自分の顔を見ると、中年になってからの彼みたいに髪の毛がかなり少なくなってきた。うん、いいぞ、いいぞ。渋さというか、円熟味も増したようである。もう少しでショーン様に近づくかも。先日、ショーン・コネリーのファンでもあった妻に尋ねてみた。猫なで声で。
「どう、ショーン・コネリーに似てきたでしょ?」
すると妻は、吐き捨てるように言った。怒った口調で。
「ふんっ、どこがーっ! 顔がぜんぜん違うでしょ!! 似てるのはハゲてるとこだけよ!!!」