【連載】呑んで喰って、また呑んで(58)
ビアホールで心を読まれた
●ドイツ・ミュンヘン
猛暑がやってきた。うだるような暑さはつらい。そんなときは、キンキンに冷えたビールをグイッとやりたい。それも大ジョッキに入った生ビールに限る。生ビールと言えば、大阪で過ごした学生時代を思い出す。
夏になると、友人たちと毎週のようにビアホールに通ったものである。行く店は決まっていた。大阪・梅田の曽根崎商店街にある『ニュー・ミュンヘン』だ。サッポロビールの生を扱うビアホールである。昭和33(1958)年の創業というから、歴史は古い。
生ビールもさることながら、ソーセージも美味かった。茹でたてのソーセージを食べやすい大きさに切り、口に放り込む。香ばしい肉汁が口中に広がる。スパイスの効いた豚肉の美味さが弾け飛ぶ。それを大ジョッキで遠慮なく、豪快に流し込むのだ。大ジョッキを少なくとも3杯は呑んだろうか。
「いつかは本場のミュンヘンに行って、本場のビールを思う存分呑んでみたい」
そのビアホールでほろ酔い気分になりながら、そう思ったものである。それから20年も経ってから念願のミュンヘンを訪れることになった。なぜミュンヘンに行ったのか。その理由を説明すると、涙が出てくる。
その数日前、私はローマで災難に遭った。以前、このエッセーでも書いたが、少年窃盗団に全財産をすられたのである。そこで誰かにお金を借りようと思った。えーっと、今、ヨーロッパに誰がいるのかな。頭に浮かんだのが、ミュンヘンにいるというTさんだ。私が赤坂で軍事専門誌の記者をしていたときに知り合った防衛庁のお役人である。
1年ほど前からミュンヘンの軍事研究所に出向していると聞いていた。喰うものも喰わずにミュンヘンにたどり着いた私である。藁をもすがる思いで、Tさんが席を置く研究所に電話をかけてみると、
「へえ、今日着いたの。晩飯でも喰おうよ」
と明るい声が返ってきた。で、待ち合わせしたのが、『ホーフブロイ』という名のビアホールである。
「知ってるでしょ。ヒトラーがナチス党の党大会を開いたビアホールだよ」
「ええ、有名なビアホールですね」
「じゃあ、3階で待ってるから」
さらにひときわ明るいTさんの声が耳元で響いた。よし、10万円ほど貸してもらおう。
約束の時間に『ホーフブロイ』に到着して3階に上がると、もうすでにTさんがジョッキを傾けていた。
「いやあ、久しぶり」
よほどドイツの生活が気に入ったのか、東京時代よりも恰幅がよくなったようである。まずは本場の生ビールで乾杯だ。
「うはーっ、やっぱり本場のビールは美味いですね」
あとはTさんが適当に注文した。しばらくして、ミュンヘン名物の白いソーセージとシュニッツェル(カツレツ)、それにピクルスが運ばれてきた。もちろん、パンも一緒に。大阪の『にゅー・ミュンヘン』も美味かったが、やはり本場は違う。すべてが美味すぎる。ビールをお代わりした。さあ、借金を申し込もう。そう思ったとき、Tさんが急に暗い表情になった。
「いやあ、参ったよ」
「……」
「つい先日、カネを盗まれたんだよ」
「えーっ!」
「家にドロボーが侵入してね。日本円で100万円ぐらいなんだけど、ほんと参ったよ」
参ったのは私のほうである。そんなことを先に言われたら、「お金を貸して」とは言えないではないか。もしかして、Tさんは人の心を読めるのか。ミュンヘンでそんな研究でもやっているのか。もうビールを楽しむどころではなくなった。がぶ飲みするしかない。
大ジョッキを5杯ほど呑むと、もう借金のことなど忘れ、再びビールとドイツ料理を楽しみ始めた。話題は東西ドイツの今後に移る。Tさんは預言者のごとく、こう言い切った。
「ここだけの話だけど、ドイツはね、もうすぐ統一するよ」
「えー、そうですか」
「ああ、確かな情報だ」
そのときは酔っぱらって適当なことを言っていると思ったのだが……。
4年後の1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは雪崩を打って再統一されることになった。Tさんの予言は見事的中したのである。今から思うと、彼はミュンヘンで読心術だけではなく、未来透視術でも研究していたのかも。