【連載】呑んで喰って、また呑んで㉑
上海料理にはブランデーが合う
●穏やかな時代の香港
「では、これから伺います」
そう言うと電話の相手は、丁寧だが、きっぱりと私に言い放った。
「いや、こちらから迎えの者を差し向けるので、ホテルで待っていてください」
私と友人のライターK君が泊まっていたのは、あの有名なペニンシュラ・ホテルの隣に立っているYMCAである。見栄を張ってペニンシュラに泊まっていると言おうと思ったが、すぐにバレそうなので思いとどまった。
迎えの青年がベンツに乗ってやって来たのは、それから30分もかからなかった。短髪の青年は直立不動で私と友人に挨拶すると、車の後部座席に座らせ、静かに車を走らせた。私たちと青年も無口である。開通したばかりの海底トンネルで香港島に向かうようだ。
ちなみに、1972年に完成した海底トンネルは現在、香港騒乱の影響で封鎖されている。いつ再開通するのかわからないという。よもや、こんな騒乱状態になるとは……。
さて、私たちを乗せたベンツが着いたところは、いかにも高級そうな上海料理の店。品の良い中年紳士が私たちを立って出迎えた。私たちの緊張をほぐすかのように穏やかな笑顔で、
「さ、さ、座ってください」
「は、はい」
とコチコチの状態で着席した。なにせ、相手はあの伊達準之助の次男坊の伊達政之さんである。「伊達準之助って誰?」と言う人もいるだろうから、簡単に説明しよう。
伊達政宗の末裔で、貴族院議員の伊達宗敦の息子として生まれた準之助は、幼少のころから拳銃で遊び、馬を自分の手足のように乗り回す。立教中学在学中に不良学生を射殺する事件を起こした。懲役6年を宣告されたが、大審院の差し戻しによる宮城控訴院判決で執行猶予を得て釈放。
早大中退後、朝鮮に渡って金日成(金正恩の爺さんは、同じ名前を名乗ったが、全くのニセモノ)率いるゲリラと戦う。満州では、日中の混成部隊率いて馬賊討伐を行った。また自らも馬賊の頭目となり、「張宗援」という名で満洲を駆け巡った。部下の数は1万人とも3万人とも言われている。そんな快男児をモデルに作家の檀一雄が小説『夕日と拳銃』を発表した。この小説をもとに連続テレビ・ドラマや映画も数多くつくられたものである。
上海料理屋に話を戻す。当時、伊達政之さんは香港で日本語学校を経営し、自らも校長を務めていた。席に着いた私たちに政之さんはブランデーのレミー・マタンをすすめた。
「上海料理にはブランデーが合うんですよ」と私たちのグラスに琥珀色の液体を注ぐ。「で、この炭酸水で割る。さ、さ、呑みましょう」
美味い。緊張感が徐々に薄れてくる。ブランデーのソーダ割を呑むのは、このときが初めてだった。ブランデー1に炭酸水3が伊達政之流のようだ。
上海料理は酒、醤油、黒酢、砂糖をよく使う。だから甘めで、味が濃い。上海蟹が有名だが、残念ながらその季節ではなかった。その代わりに美味い料理が次々に運ばれてくる。小籠包もこのときに初めて食べた。あとは八宝菜のようなものや鶏の蒸し物、揚げた麩を甘辛く煮たものとかがテーブル狭しと並ぶ。
政之さんが言うように、とにかくブランデー・ソーダによく合う。おかげさまで、食がすすむ。もちろん、酒もすすむ。1時間もしないうちに、政之さんとは、すっかり打ち解けた。その政之さんが鬼籍に入って久しい。昨今の香港騒乱をニュースで見ていると、あの京劇役者のような風貌の伊達政之校長を思い出す。