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インド門の芋虫男 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑪

2023-07-01 05:03:40 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道⑪

インド門の芋虫男

ムンバイ(インド)

 


 
 今から二十数年前のムンバイでの体験を書いてみよう。書きたいことは山ほどある。
 街の真ん中の空の一点を覆い隠すほどの鳥の群れで知る鳥葬、全会一致が原則だからなかなか結論が出ないインドのビジネス、毎日食べても飽きないカレーの魅力、朝のスラム街を車で通り抜けると目にする一列に並んで連れウ○コをする男たち、そして正視することが躊躇われる物乞いの群れ……。
 
 考えを巡らせていて、最後に残ったのは、物乞いのことだ。しかし、このテーマはあまりに重すぎる。視覚的な悲惨さに胸を痛めていても、物乞いの存在を許しているのは、それが社会が存続するのに不可欠な仕組みの一つだからだ。
 試しにネットで次のような言葉を検索してみると、瞬時には信じがたい画像や記事が目に飛び込んでくる。「インド物乞い、カースト、ダリット、Indian beggar、不可触民、Indian beggar without limbs…」。興味本位のクズのような記事もあれば、深い洞察に裏付けられた心を抉るようなものもある。一度検索してもらいたい。日本に生まれた幸せを噛みしめることだろう。


▲ムンバイのインド門


 今回は、あくまで自分自身が見聞したことに限定したい。
 その男の四肢は、付け根からない。ツルンとした小さな薄い胴体にボロを纏い、アタマには、ボロとは少し不釣り合いな白いターバンが巻かれている。
 男は毎朝決まった時間、ムンバイのインド門の広場に「出勤」するのが日課だ。その小さな胴体の大きさに合わせて作られた板にうつ伏せに寝転がっていて、その板を二人の「召使」が恭しく捧げ持ち、そっと地面に降ろす。
 板の底面には四隅にキャスター(小さな車輪)が取り付けられており、彼は器用に身体をくねらせて反動をつけ、板を少しずつ移動させていく。人々の注意を引くため、彼は頭を激しく上下に打ち振る。ああ、そういえば蘇州(中国)の物乞いも同じようにアタマを赤べこ(会津地方の郷土玩具)のように振っていたな、とふと思った。
 男は終始無言だ。中空に向けられた焦点の定まらないその目は、まるで空洞の様で、虚無以外の何物も映していない。彼こそ、The caterpillar man of Gateway of India (インド門の芋虫男)と呼ばれる有名な物乞いである。身の回りの世話をする何人もの召使いを抱え、数件のアパートや何台かのタクシーまで所有する相当の金持ちだという。
 そんな彼を物珍しそうに取り巻く「見物人たち」は、板に取り付けられたパイナップルほどの大きさの缶に、小銭、時にはお札を投げ入れていく。それは、施しと言うより、むしろ大道芸人にチップをあげているような不思議な光景である。
 日が沈むころ、召使がお迎えに現れ、男は豪邸に帰っていく。日中、トイレにも行きたくなるだろうし、腹も減るだろうが、どうやって凌いでいるのだろうか。

 現代の日本には、約3500人のホームレスがいるという。貧困問題も深刻ではあるが、かつて「乞食」と呼ばれていた人たちを街で見かけることはほぼない。
 しかし、目を海外に目を転じれば、今でも多くの国に物乞いはいる。そういう人たちは、予期せぬ人生での失敗や躓き、不慮の事故での身体機能や身体の一部の喪失などの不運により、やむにやまれぬ事情で乞食に身をやつしてしまう場合がほとんどだろう。
 だが、インドでは、少々事情が異なる。物乞いは立派な職業の一つなのだ。実の親や物乞いの元締めのような組織によって、物乞いとして育てられる場合も多い。
 物乞いには、人々の同情を引く視覚的要素が求められる。象皮病や先天性の奇形もあれば、少なくない数の小さな子供たちが、手足を切断されたり、目にドロドロに熱した水銀を流し入れて失明させられたり、舌を切られて会話能力を奪われたりして悲惨な人生に突き落とされ、搾取される。

 2008年の英国映画『スラムドッグ$ミリオネア- Slumdog Millionaire』(ダニー・ボイル監督)は、スラム街育ちの無学の青年が主人公だ。青年はクイズ番組に出場して難問を次々に突破するが、不正を疑われる。しかし、そんな凄絶で過酷な運命に翻弄されながらも、青年は健気に、そして懸命に生き抜いていく。
 この映画は、トロント国際映画祭観客賞、ゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)、英国アカデミー賞作品賞などを受賞、アカデミー賞では作品賞をはじめ8部門で受賞した。もし未だご覧になっていないのであれば、是非お勧めしたい。日本で暮らしている我々には想像できない世界に絶句されるだろう。
  この映画のストーリーは、実話ではない。インド人外交官であるヴィカス・スワラップの『ぼくと1ルピーの神様』という小説を原作としたフィクションである。
 フィクションと言っても、作品に描かれている物乞いにまつわる多くのエピソードは、事実に基づいているのだそうだ。

▲『スラムドッグ$ミリオネア』のポスター

 

 ムンバイの朝――。まだ朝靄の立ちこめる中、物乞いの少年少女たちを満載したトラックが繁華街や寺院などの「職場」に彼らを「配達」していく。そして夕方になると「回収」され、集団生活しているねぐらに戻る。
 物乞いをしているときには、この世の不幸を一人で背負っているような悲しい表情の彼らだが、夕方の「退勤時」のトラックの荷台では、普通の子供のようにはしゃいでいる。そういう光景をどのように受け入れれば良いのか、私は感情の整理ができぬまま、思わず立ち尽くしてしまった。
 
 当時のムンバイのタクシーにエアコンはついていなかった。暑いので窓を開けて走行する。すると、赤信号や交通渋滞で停車する度に子供たちがわらわらと押し寄せ、窓に手を突っ込んできて金をせがむ。
 オンボロタクシーの窓開閉ハンドルを回して窓を閉めようにも、彼らは窓ガラスの縁を掴んで手を引かない。手を挟んだままでは、車は発車できないので仕方なく小銭をいくつかの手の平に握らせるとやっと窓を閉めることができる。

 そんなことを繰り返す内に、タクシーに乗っているときは、いつも開閉ハンドルに手を掛けておくのが習慣になった。窓を閉じていても子供たちは、車に群がって来、悲しげな目で金をくれと叫ぶ。私は、心を鬼にしてきっと前方を睨み、決して彼らと目を合わせない。車が動き出すと窓を開ける。交通渋滞の激しいムンバイの街で窓の開け閉めを繰り返していると、手だけではなく本当に心が疲れてしまう。

 

 

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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