白井健康元気村

千葉県白井市での健康教室をはじめ、旅行、グルメ、パークゴルフ、パーティーなどの情報や各種コラムを満載。

出版社で鍛えられた酒④ 【連載】呑んで喰って、また呑んで(56)

2020-07-29 07:45:49 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで(56

出版社で鍛えられた酒④

●日本・東京

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 


 私が月刊誌の編集部に移って1カ月ほど経ってからだろうか、新入社員がやってきた。見るからに実直そうな男である。慶応を出たばかりのS君が配置されたのが、私のいた営業部だった。
 はたして彼が「優秀な私」の穴を埋めることができるのか。ま、そんな心配はまったく無用だった。悲しいかな、私よりも営業成績が劣ることなぞ、微塵とも考えられなかったからである。
 来る日も来る日もS君は書店回りを繰り返した。がっしりした体格で、いかにも健康そうな彼だったが、夏が過ぎて秋を迎えた頃、日に日に変化が。顔色が良くないし、表情にも覇気がない。
 ある日、私は彼を呑みに誘った。はっきり覚えてはいないが、恵比寿の焼き鳥屋だったと思う。大阪から東京に出てきて初めてホッピーを呑んだ店だ。ホッピーはアルコ―ルのないビールのような液体に焼酎を加えた飲み物だが、呑みやすいので気に入っていた。そもそも大阪では焼酎を呑ませる呑み屋はなかったので、物珍しさもあったのだろう。
 ところで、焼き鳥もどきの焼きトンも大阪ではお目にかかったことがなかった。当初は匂いも形も焼き鳥に似ているので、東京では焼き鳥のことを「焼きトン」と呼ぶのかと思って食べていたが、どうも味が違う。後で鶏ではなく豚だと知って、騙された自分自身に腹が立ったものである。
 当時、大阪で焼きトンを提供する店があったら、客は「インチキだ!」「詐欺だ!」と怒り狂って、その店を焼き討ちにしたに違いない。だから、今ではメニューに「焼きトン」があるだけで、何も注文せずにその店を出ることにしている。
 さて、話を戻そう。
 私はホッピーをグイッとあおってから、
「最近、元気がないけど、どうしたの?」
 とS君に尋ねた。
 しばし沈黙していたS君だったが、重い口を開く。
「今の仕事が辛いんです」
「そうか、編集に移りたいんだ」
「ええ」
 そりゃ、そうだ。最初から出版社の営業を目指して入社しようという人物は、よほどの変わり者である。誰もが編集を目指す。私もそうだったし、S君も同じだろう。いずれにしても、彼の不調の原因が分かった。
「まあ、元気出してよ。そのうち、僕みたいに編集に移動できるから」
 二人の呑む酒は、ホッピーから芋焼酎のロックに。アルコールが入ったせいで、S君は上機嫌になった。店を何件かハシゴしたのは言うまでもないだろう。
 翌朝、S君はさわやかな顔で出社した。呑みに誘って、少しは役に立てたのかも。イスラム教徒なら「アッラーアクバル(神は偉大なり)!」と感謝の言葉を口走るところである。が、私のような罰当たりは「酒は偉大なり」と心の中で叫んだ。
 ところが、酒の効用は長続きしなかったようである。数日もすると、S君の表情から活気が失せ、再び落ち込んだ様子に。また呑みに誘いたかったが、編集の仕事が多忙を極めた。それに作家たちや副編集長のKさんとの酒の付き合いが連日のようにあった。
 そうこうするうちに、師走がやってきた。仕事納めの日、社内の一室で軽く呑み会が開かれることになり、社長が全員に訓示した。
「みんな、よく頑張ってくれた。社内で申し訳ないが、遠慮なく呑んでね。さあ、今日は無礼講だ!」
 ビール瓶の栓が一斉に抜かれた。あちこちで歓談の輪ができる。みんな穏やかに盛り上がったのだが、社長が最後に発した「無礼講」を真に受けた人物が一人だけいた。あの生真面目なS君である。
 日頃の地位や身分の上下関係を取り払って楽しむ宴会を「無礼講」と呼ぶ。ただ、いくら社長や上司から「無礼講」を宣言されても、文字通りに実践するバカはいない。言葉遣いや態度で礼を失すると、致命傷を負うこと間違いなし。S君がまさにそうだった。
 宴もたけなわになった頃である。S君がよたよたと社長の前に歩み寄った。日本酒の入ったグラスを片手に持って。もう顔は真っ赤である。何やら思いつめた表情だ。不吉な予感がした。その予感は見事に当たることになる。目の前にふらふらと現れたS君に、社長は日本酒の一升瓶を差し出した。
「まあまあ、呑みたまえ」 
 すると、S君はグラスを傍らのテーブルにドンっと置くではないか。
「しゃ、社長~!」とS君は声を振り絞った。「今日は、今日は言わせてくださ~い」
「ああ、いいよ。今日は無礼講なんだから」
 社長はニコニコとS君に応じた。好々爺のごとく。が、その直後だった。S君がズボンのチャックを下ろし始め、イチモツを取り出したのである。女子社員の間から悲鳴が上がった。男性社員はというと、へらへらと笑うしかない。
 が、次の瞬間、惨劇が。なんと、S君が床に放尿を始めるではないか。社長の衣服に尿のしぶきが跳ね返った。
「ひえーっ、な、何をするんだ!」
 思ってもいなかった災難に社長は狼狽した。
 私も含めて数人がかりでS君を取り押さえたのだが、びしょびしょになった床を拭くのに苦労した。とんだ仕事納めである。
 その事件があってから、S君は飯田橋にあった倉庫に勤務することを命じられた。もちろん、編集に移る夢も途絶えた。まもなくS君は退社したのだが、風の便りで地方の警察署に勤務したという。数年後、再び風の便りが。なんとS君は警察で大出世を遂げたそうな。目出度し、めでたし。(つづく)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« トゥー博士「産経抄」に登場 ... | トップ | 速報■李登輝氏死す  台湾の... »
最新の画像もっと見る

【連載】呑んで喰って、また呑んで」カテゴリの最新記事