変温動物のほんとうはあったかはーと

冷たくないよ、ちょっと心が暖かくなる話を書きます。

ぎっくり腰

2007-03-29 16:23:02 | Weblog
体調が良くなってきた。

このところ、ウォーキングにでている。
国道沿いの神社を目指して、歩き始めた。
暖かいので、とても気持ちがいい。

角のお宅の庭先のチューリップの赤が、とても鮮やかだ。
造船所の敷地内の桜のつぼみは、まだまだかたい様子だ。

細い道を小さな軽自動車がスピードを出して、私を追い越していく。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」等とつぶやいてしまった。健康な時は、私もそんな一人だったのだろうか。

神社の境内にたどり着いた。ながーい階段を前にひと息つく。
無理せず、一段一段上がっていく。84段。
旅行に行く前は、事故もなく帰って来られることを祈願した。
帰ってきて、やっとの思いで、無事な報告をすることができた。
帰り際、うぐいすの鳴き声がきこえてきた。とてもさわやかな気分だった。
こうして元気になってきたきたことが、素直にうれしかった。

帰りには、スーパーに寄って、桜もちを買ってきた。

帰宅して、早速、ちょっと濃い目にお茶をいれて、2ついただいた。
桜もちを食べるとき、いつも迷う。「葉っぱは、食べるべきか、どうか」

今回は、食べてみた。ちょっとしょっぱい感覚が口の中に広がった。
こういう繊細な和菓子は、日本人の文化だなとそう思う。

書こうとしていることの本題からそれてしまった。

ぎっくり腰で寝ているとき、もうひとつ思い出していたことがあった。

父が亡くなった時、自分の気持ちを何か形にしたい、形にすることで自分を解放したい、と思いついたのが、「文章教室に通ってみよう」だった。

車で往復2時間はかかるが、必死に求めるような気持ちで通い始めた。

自分の気持ちを表現することの原点をみつめ、整理していくことを学んでいった。
それを実行した。自分を文章でさらけだすのには、勇気がいった。
「どこまで自分をだしたらいいのかと迷います」と
講師のI先生に尋ねた。すると
「段取りよく文章を書く。60点くらいでいい。読み手があって文章は完成する。裸になったら、全て理解してもらえるなんて大間違い。隠すところはしっかり隠す」
とこたえてくださった。

私は、目の覚める思いだった。

そんな言葉をきいて、自分のあせった気持ちのあったことに気がついたのだった。

そんなI先生には、まだまだ教えていただきたかった。先生は、突然に逝ってしまわれた。もう1年になる。寝込んでいたから、お墓参りに行きそびれてしまった。そのことが、少し気がかりだ。

「でも、先生、こうして教えてくださったことを思い出し、原点に返ることの大切さを思っています」

自分で勝手にそうおもって、納得している。

そういえば、教室の皆さんといった公園の桜満開になる時期がくる。












オーストラリアの話、

2007-03-26 13:36:24 | Weblog
クロワッサンの大きかったこと。

両方の手で握りこぶしを作り、あわせてみて欲しい。
その外回りの大きさのクロワッサンにハム、チーズをはさんで、1人前。
当然、フォークとナイフがついている。その大きなクロワッサンに驚きながら、娘と仲良く食べた。あわせて頼んだ野菜サラダも大きかった。ラーメンのどんぶり鉢より大きいサラダボール。デザートに持ち帰るケーキも一切れが大きかった、日本のサイズのゆうに2倍はある。

大地も大きいけど、食べ物も大きかった。そして、人柄もおおらかだった。

対岸の動物園に行こうと思って、乗った船は、ほんの10分程。頻繁にでているのだが、なんとものんびりしている。船長さんは、私たちがゆっくり歩いて船に向かっているにもかかわらず、急がせようとはしなかった。私たちが乗ったとたん、船はゆっくりと動き出した。私たちをじっと待っていてくれたのだ。

日曜日の朝、ホテルの前の何もない大きな大きな公園にテントが並んでいる。ジョギングをする人、自転車に乗る人が行き交っていた。紫外線などなんのその、気にする様子もなく、休日を楽しんでいる。

パースでのホテルは、郊外にあった。とても静かだった。
天井、ドアノブの位置、洗面台、全てが高いのだ。
ドアノブは、私の肩の位置くらいのところにあった。小さい日本人の「おばちゃん」としては、肩がこりそうだった。
街ですれ違う人達はみんな、腰の位置が高くて、、、ちょっとショック。

夜は、さえぎるものが少ないので、夜空がきれいだった。
エアーズ・ロックの夜空は、本当に真っ暗だったので、すばらしかった。南十字星は、もちろん、マゼラン星雲、土星などなど。夜空も大きかった。

大きくて、高くて、そしてゆったりとした時間を味わった。

2007-03-25 23:22:57 | Weblog
水道水がおいしい、と感じられる。

いつの頃からなのか忘れてしまったが、名水とよばれる水を汲みに行く習慣がついている。
車で4、50分のところに名水といわれる水がある。飲むと確かにおいしい。天然のミネラルウォーターだ。その水でいれたコーヒー・お茶は確かにおいしい。

と、今まではそう思っていた。

ところが、オーストラリアから帰ってきて、感じたのは、なんと我が家の水道水でもおいしいことだった。

オーストラリアのあの広ーい大地には、山がない。
水は、雨期にたまった地下水をくみ上げる。硬質でカルシウムが多いのだ。まあ、そのまま飲んでもさしつかえはないのだが、おいしくはない。だから、ほとんどペットボトルの水を買う。乾燥しているので、水は、貴重なのだ。街中では、いたるところで、水を売っていて、人は皆、手にペットボトルの水を持っていた。

そうそう、乾燥した空気というのは、半端ではなかった。
夜、汗をかいたTシャツを洗って、手で絞っただけで、部屋に干していたら、なんと、翌朝には、すっかり乾いていた。

そんな毎日だったから、水は欠かせなかった。

私は、日本でありがたく水道水を飲んでいる。

小さなことにこだわって

2007-03-24 10:54:14 | Weblog
このところ、ぎっくり腰で寝込んでいたにもかかわらず、改善されたものがある。

それは、便秘。

ビロウな話で申し訳ないのだが、便がころころとしたものしかでず、困っていた。
こうしたコロコロ便は、ストレスによるものだときいた。
5年位前、こうした便が出て困っていた。その原因は、一人娘の進学による自立が、心配で心配で、毎日涙を流していた。

今回は、詳しい事情は書けないのだが、自分の中でこだわってしまって、自分自身で相当なストレスをかかえていたようだ。

ところが、今回、オーストラリアで、雄大な景色ばかりを見てきた私は、そのことから、解放されたのかもしれない。

自分の中で、なるようにしかならないと思えてきたのだろう。
小さなひっかかりにこだわって、大局を見ていなかったのだ。

そのことを大地からおそわり、そして、私は、解放されたのだ。

そのことにようやく、気づきはじめている。

思い浮かべていた光景がある

2007-03-23 09:22:05 | Weblog
ぎっくり腰でずーっと寝るしかない生活をしていた。
やっと、靴下がなんとかはけるまでになってきた。
昨夜は、晩御飯を作りたくなってきた。
休み、休み、コロッケを作った。ちょっと柔らかくなったけどおいしかった。

ずっと、半分寝たきりの状態で、思い出していた光景がある。

それは、オーストラリアの大地だ。

西オーストラリアのパースから東の大都市シドニーまで3000キロを走る列車がある。
インディアン・パシフィク号という。19両の長ーい車両に乗り込んだ。
三泊四日の旅だ。途中、2駅しか止まらない。ずーっと走りぱなしである。

一晩何とか夜が明けてきた。

そこからは、永遠480キロ!まっすぐな走りだ。

右側の窓も左側の窓も空の雲が地平線と交差しそうな光景がつづく。
雲が水平線に向かって少しづつ下がっている。オーストラリアの赤い大地に交わりそうだ。赤い大地のそのずーっと向こうには、何日か前に見たエアーズ・ロック、カタジュタの大きな岩があるのだろう。
うーん、、上手く表現できないのだが、
地球は丸いのだ、と感じる光景だ。
高い山々がなにもないので、さえぎるものがない。

「こんな光景があったのだ」
私は、飽きずにずーっとみていた。

こんな雄大な光景を思い出すと、日常の小さなことは、何でもないように思える。

きめ細かくて繊細な光景もいいけれど、こうした大味な光景は、ずっと印象に残る。

そんな光景を思い浮かべていた。

雄大な光景を堪能した

2007-03-19 09:09:32 | Weblog
2週間のオーストラリア半周の旅を堪能した。

往復6000キロだ。

シドニー、エァーズロック、パース、そして、インディアンパシフィク号2泊3日の列車3000キロ、アデレードからシドニーに戻ってきた。
雄大で、ゆとりがあった。

すっかり、便秘もなおってしまった。
よく身体がもった、と思ってたら、、、、
やはり、帰りの関空での1泊のホテルでぎっくり腰をしてしまい、やっとの思いで帰ってきた。

なんとか、パソコンの前に座ってはいるが、腰に限界がきている。

もっと書きたいのだが、今は、これが限界だ。
うーん、、、充分に書ききれないのが、くやしい、、、

落ち着いてきたかな

2007-03-05 04:13:00 | Weblog
大きなトランクにやっと荷物を詰め込んでみた。
20キロまで、大丈夫だから、、、っとはかってみると、14キロ、うーんこの位にしておかないと、帰りは、お土産とかもあるからね、、

そんな忙しい気分のときでも、映画をみた。
「ドリームガールズ」
感想を一言でいうと、「ううーん、言葉そのものが感情で、感情そのものが言葉になる。少し間をおいて考えるということがない。やはり、この感覚には、私はついていけない。もう少し、オブラートに包む表現というのはないのか」というところかな。そういえば、館内でいびきがきこえてきていた。なんか分かる気もした。

でも、アカデミー賞に輝いたジェニファーハドソンの演技は、やはりよかった。歌と表情が周りを圧倒していた。私にはないあの豊満な身体と歌。若いだけではないすばらしさを思った。
しかし、アメリカは、こうした黒人のハングリーな精神に根本は支えられているのではなかろうか。


日本では、親の私たちは映画を見てたが、かの地いるわが娘は、海にもぐって海中でのすばらしい「まるで龍宮城のような世界」にいたようだ。
お互い、しばし現実を離れていたようだ。
娘にきいた。「こっちからもって行くものある?」即、答えがかえってきた。「お味噌汁!お味噌汁が欲しい!」
日本人だね!

現実にもどって、また最後の荷物点検をしようか。「忘れ物はないか」と夫が心配するが、それはきりがない。

今夜の便で行く。
どんな旅が待っているのか、楽しみだ。