変温動物のほんとうはあったかはーと

冷たくないよ、ちょっと心が暖かくなる話を書きます。

タイ・バンコクその2

2009-03-31 08:57:18 | Weblog
タイには、いわゆるニューハーフ系の人が多いという。

確かに、、、

街を歩いていても、そういう人をみかけることが多かった。

そのニューハーフの人達のショーを観た。

ホテルでそのショーがあった。

華やかな音楽と共に真っ白なドレスをまとった黒髪の女性がスポットライトに照らされて、登場した。

その美しさには、圧倒されるものがあった。

観客に訴えかけるその迫力が、すばらしかった。でも、よく観ると、その歌声は、音楽にあわせた口パクで、いまひとつ迫力に欠けた。

やがて、次々と整形をした元男性達が現れ、飽きることなくそれらショーは展開されていった。寸劇には、文化感の違いで、うーんと納得できない表現もあったが、一生懸命さが伝わってきた。

でも、、でもだ、、、

30人位のその人達は、中には、どこかぎこちない動きをする人もいた。
本当に、楽しんで、私達観客をも楽しませようとしている人は、数が少ないようにその動きからみてとれた。

そんな動きをする人をみつけたら、なんか複雑な気持ちになってきた。

楽しむことはできたけれども、どこか複雑な気持ちが残った。

母の病気

2009-03-30 09:05:22 | Weblog
旅の続きを書きたいところだ。
旅の余韻に浸りたい、、
まだまだ、たくさんかきたいことがある。

現実は、そうはいかないようだ。

突然、ふってわいたような話なのだけれど、、、

ここにこうして書こうとしているけれど、未だ現実のものとして、迫ってきてはいるのだけれど、どうして、どうしてという思いが募るばかりだ。

旅に出る寸前のことだ。もう後、数日という日。
荷物もトランクに詰め込むだけ、後は、旅行に出ることを、母に話して、心配のないようにと告げるだけ、と準備をすすめていた。

と、ところが、、、

その母の病気が分かったその日。
遠くに住む娘が、誕生日だったので、帰省をしていた。
母も孫に会えるから、その日を楽しみにしていた。

くしくもその日は、複雑なその日になってしまった。

娘の自立できたといえるその年齢になったことをお祝いしようと、記念品も購入し、手渡した。娘は、それを喜び、私達も嬉しかった。

しかし、心中は複雑だった。

母の病気が、気管支の精密な写真をとったことで、判ってしまった。
左胸に小さなしこりが写っているという。
それが、まさか、がんとは。

なんの自覚症状もない母は、信じられない思いだ。
そのことをきいた私達もそうだ。

今もそう思っている。

旅行も断念せざるをえないかと、覚悟もしていたが、、、

無事、出発することができた。

このことを、この現実をしっかりと捉えなければ、という思いで、ここに書いた。
そして、旅の思いを今後も書き綴りたい。

タイ・バンコク

2009-03-27 08:17:31 | Weblog
「わぁぁ!すごい!生命力!こんな感じ忘れとった」

もの凄いまでの交通渋滞と排気ガス、その中を車と車の間を縫うように人が次々と横断していく。

トラックの荷台、バスは、人、人がまるで荷物のように乗っている。

こういう感じ、、今の日本人は、忘れてしまった感覚だ。

空港から市内に入り、そう感じた。

ホテルの15階の部屋に入る。窓から見える景色は、大都会だ。

高いビルがそびえたたち、これから建設されるビルもある。

目の前は、電車も走っている。

空は、薄ぼんやりとしている。排気ガスのせいだろう。

夜の街を散策すべく、移動の疲れもそこそこに、出かける。

日本からのガイドを頼りに動こうとしたが、さっぱり分からない。

制服を着た女性に声をかけ、道を尋ねる。

タイ語で話されて、さっぱり要を得ないで、困っていると、「何かお困りですか?」と日本語が聞こえてきた。

「えっ!」と振り返ると、ワンピース姿の若い女性が近づいてきた。

「あら、日本の方ですか?」
「はい、お困りでしたら、道案内しますよ」
「えっ、いいのですか!」
「どちらへ行かれますか」

カオサン通りに行きたいので、その道順を教えてもらって、電車の乗り方まで、教えてもらった。

バンコクに来て、2年目の彼女は、日本人学校で英語を教えているという。

その横顔は、外国で生きていくしっかりとした信念を持っているように感じた。

なんとか電車を乗り継ぎ、歩いて目的地に着く。それまでの道のりで、様々な人を見た。
地雷で足をなくした人、細い足を折り曲げて手を合わしている人、排気ガスだらけ、誇りだらけの道に寝そべっている人、皆んな物乞いの人達だった。

先ほどまで、生命力の強さを感じたが、そうした人達を見て、非常に複雑な気持ちになってきた。

私達は、少々お金を持っているから、居心地のいいホテルに寝泊りできるが、そのホテル下では、こうした物乞いをしている人達がたくさんいるのだ。

これがバンコクの本当の姿だと思えてきた。

現実に返ってきた

2009-03-22 15:12:14 | Weblog
この1週間、、、

ちょっと旅行に出かけていた。

準備に1ヶ月程かけて、個人旅行をしてきた。

旅行の出発寸前に、色々なことが起こってきて、断念せざるをえないかと思っていたが、行くことができた。
こうして、無事帰ってくることができたことに感謝している。

行き先は、、、

タイ・バンコクとカンボジア・アンコールワット。

なかなかの珍道中だったが、楽しめた。

最大の難関は、バンコクからカンボジアに入国する際にビザの手続きがいるのだが、その書き方に手間取った。同じ飛行機で入国した外国人たちは、すでにいなくなってきて、気がつけば、私達ともう一人の日本人と3人だけが取り残されていた。なんとか25ドルを払って、ビザを作れたときには、万歳をしたい思いだった。

そして、もうひとつの難関は、旅の後半、アンコールワットから帰り、再びバンコクのホテルに戻った時、夫の具合が悪くなってきた時のことだった。
昼間は、市内で買い物をしていたのだが、夜になってきて、我慢ができなくなってきた。部屋から、フロントに様子を伝える。こういう時は、火事場の底力で、私のつたない英語でも通じるものだ。インターナショナル病院に連れて行ってもらい、診察を受けた。ホテルの手配で、日本語通訳をしてもらって、タイ人の優しそうな女医の先生に、丁寧に診察を受けることができた。
原因は、辛い料理と暑い中を歩き回り、ビールをつい飲みすぎてしまったこと。気をつけてはいたが、旅にでると、気持ちがゆるんでしまうので、それがいけなかった。


言葉が十分話せないのが、もどかしかった。
言葉が話せるのは、旅行を楽しむための十分な要素であることを改めて思った。

バンコク市内の車が行き交うあの喧騒と屋台の物売りの様子に日本人の忘れている生命力のようなものを感じたが、一日二日といるうちに、街中の様子を見知ってくると、それは、次第に変わってきた。

アンコールワットでも世界遺産になっている寺院の跡を次々と見て回った。初めは、その規模の大きさに圧倒される思いだったが、それは、次第に変わってきた。

このことは、次回に書きたい。

今は、山ほどの洗濯物を片付け、トランクの中を整理して、これから待っているだろう現実をなんとか乗り越えていかなければ、ならないと思って、覚悟を決めている。

貝母の花

2009-03-09 08:44:38 | Weblog
「ばいものはな」と読む。

お茶花として親しまれている。

あまり目立たないけれど、私は、この花が好きだ。

我が家の庭にその花が咲き始めた。

この花が咲くと春の訪れを感じる。

近所の花の好きな方にお分けした。

珍しいといって喜んでくださった。喜んでいる姿をみるのは、私も嬉しくなる。

その方のこと、、、

ずっと気になっていたのだけれど、、、

ご主人の看病のために、病院に通う姿をみるようになった。普段は、あまり話さないけれど、その機会もないのだけれど、ずっと気になっていた。

やっと、その方と貝母の花を通して、お話する機会を得た。

看病は大変だったそうで、聞いていて少し辛かった。
外見は、元気そうに見えるけれど、その病状は重そうだ。

もうそこに暖かい季節が待っている。
花を愛して、夫婦ともに元気にがんばって欲しい。




黄色い花

2009-03-07 16:01:36 | Weblog
黄色い花が、いま真っ盛りだ。

菜の花、ミモザ、チューリップ、パンジーなどなど。

その中でも、ミモザの花が満開を迎えている。

車を走らせていても、ウォーキングをしていても、黄色のミモザが目に飛び込んでくる。
2年位前、我が家の庭にそのミモザの苗木を植えたはずなのに、何故か、夫が植え替えたため、枯れてしまった。
そのことは、ちょっと残念だけど、見知らぬお宅の庭で咲いているミモザを楽しんでいる。

そう、このあいだ、標高の高い町に住んでいる方に会った。
その方がマスクをして、鼻声の様子だ。
「花粉症ですか?」
「そうなのよ。もうひどくてね。うちの町は、木が多いでしょう。だから、この季節、お布団を干すと、黄緑色になるのよ」
「えっ!花粉ですか」
「杉花粉が飛んできてねぇ、、もうたいへんなの」
「うわ!もうきいてるだけで、鼻がむずむずしてきました、、」

いやはや、同じ黄色でもこの黄色はたいへん、たいへん。

デパート

2009-03-06 15:30:06 | Weblog
久しぶりにデパートを歩いた。

バーゲンのダイレクトメールが来たので、それが目当てだった。
あれ、どうやら食の催し物をしている様子。
七階まで上がってみる。
エレベーターであがってくると、その様子が垣間見えてきた。

大勢の人がいる様子だ。
一瞬、ひきそうになった。
その会場に集まった人の熱気は、どこか異状に感じられた。その空間だけ、不況なんてどこ吹く風だった。
私のお目当てのバーゲンセールは、なんとなく肩身が狭そう。

しばらくいたら、私も、その熱気につられて、ひとつの行列に並ぶ気になってきた。前の人に「ここの鶏肉おいしいのですか?」ときいた。すると「さあ、はじめてだから」と答えが返ってきた。そこにいる人達は、美味しさを知っていて、並んでいるのかと思っていたけど、その場の雰囲気で並んでいるんだ、そうなのか。と納得しながら、振り向くと、誰もいない。私につづく行列ができなかった。

ん?、、、、なんかいやな予感、、、

まあ、ここまで並んだんだから、、、その予感を信じて?できるだけ少なめに注文した。500円也(笑)。私の前の人は、1000円を支払っていた。

その鶏肉からにおってくる香辛料を感じながら、隣り合わせにあるバーゲンに向かう。

傍らの熱気を感じつつ、流されないようにバーゲンをみて歩く。

3万円のスカートが1万円!

買おう!としっかり手に握ったけど、、やぁーめた、、

このタイプのスカートよーく考えたら、持ってる。確か、箪笥の中にあるはずだ。

やぁめた、やぁめた、、、そんなひとりごとを言ってると、顔を赤くした若いお母さん達とすれ違った。ベビーカーの赤ちゃんが窮屈そうだった。大丈夫かなあ、と思いながら下まで降りていく。

あの異状な熱気から、だんだん正常な空気になってくる。

手に持った鶏肉から、また香辛料の臭いがしてきた。

夕飯の一品に並べたけど、案の定、予感は当たった。肉の臭みがとれていなかった。





元気なさそうにみえたけど

2009-03-02 20:48:18 | Weblog
そんな言葉をかけられた。ちょっと、いやいやすっごく嬉しかった。

このところ
贅沢な悩みかもしれないけれど、、
メリハリのない生活が続いている。

自分の家以外に、どこか行く場所、いくことのできる場所があるというのは、生活に張りを与えてくれる。

そのことを実感している。

例えば、水泳に通っていた。
その水泳に、体調が悪く、通えなくなった。
スイミングクラブに行けば、いつも見かける顔があって、会話を楽しむ。元気なころは、そんなことを当たり前のように思っていたのだ。

ところが、それができなくなった。
一人家にいて、張りのなさに、孤独を感じたりもした。私、ひょっとして、皆から忘れられてるかもしれん、、

そんなことを思っていただけに、優しい言葉かけには素直に嬉しかった。

孤独といえば、
先ごろ亡くなったタレントの飯島愛ちゃんがいる。
ひとりっきりで亡くなっていたのが、1週間もたって見つけられた。
そのお別れ会なるものがあった、とテレビでみたが、、、
お友達といわれる人たちが、弔辞を述べていたが、
私は、その弔辞を白々しくみていた。
そんなにお別れが辛いって言うんなら、なんで生きてるうちにもっと、声をかけなかったったの、、、、(涙)

体調をなんとか、戻そうと、マッサージに通っているのだけれど。
そのお店に行った時、
水泳に通っている人に出会った。
その人に、積極的に声がかけられなかった。
身体は、マッサージで元気にはなってきてはいるけれど、どこか張りのない生活にもひとつ元気が出ないのが、原因でもある。

心も身体も元気でいて、本当の健康だということがいえるのだろう。

私は、そういう意味では、アンバランスで、健康だとは言い切れない。