変温動物のほんとうはあったかはーと

冷たくないよ、ちょっと心が暖かくなる話を書きます。

気になってしょうがない、別件

2008-10-28 16:46:04 | Weblog
このところ、役場に行くことが多い。

その入り口に外国人が、暗い顔をして立っている。

気になる、、、

何か訴えたいことがあるのだ。それは、労働に対する相応の賃金をもらっていないので、なんとかしてほしいというものだ。そうした内容を、大きなたて看板に書いて訴えている。だだ立っているので、話しかけてみた。

たどたどしい日本語で話してくれたが、「社長は行方不明で、困っている」という。

こうした外国人労働者の支援をする団体もあるので、それをいうと、「行きましたけれど、どうしようもないという答えをもらった」という。寄付を募るための箱がおいてあり、その中には、1000円札と小銭が入っていた。

冷たい手をしていたので、なんだか気の毒になって、私も箱に小銭を入れた。

でも、気になる、、、、

そうした外国人を支援する団体に、思い切って電話してみた。事情が聞きたかった。

「日本の法治国家にあって、出来うる限りのことはして、納得したものは、国に帰っていったが、納得のいかない、数人がそうした行動をしている。支援したこちらも困っている」というものだった。

そうだったのか、、、

思い切って、電話してみて、良かった。事情が解かって、良かった。

私は、すっきりした。

でも、また、その人たちを見かけたとき、無視するしかないのかな、、それとも、そんなこと、やめさせて、国に帰るように言ってあげたほうがいいのかしら、、



水泳、私のうしろに、、、

2008-10-24 20:31:05 | Weblog
一日おき位に通っているスイミングクラブ。

今日は、幼稚園の教室と重なったので、自由泳ぎの時間になった。

私は、空いてるコースを見つけて、ひとりで泳ごうと思っていた。一人で泳ぐ時間を楽しもうと思っていた。

ところが、私の「(後ろに)ついて泳ぐからね」という人が次々と増えていった。
私を含めて、5人になった。
「何でもメニューを決めてね」といわれた。
とりあえず、500メートル。ゆっくりと泳ぐ。
そして、強弱をつけた泳ぎ、、などなど、とりまぜて、300メートル。

「大丈夫ですか」と声をかけながら、泳ぎ続けた。みんな、顔が真っ赤になってきた。

「泳いだら、夜がよく眠れるから、いいのよ」ともいってくれたり、よくついてきてくださった。

私のような、細い人の後ろなら、なんとかついて泳げると思って、くださったのだろうけど、先々週もそう思って、私のあとをついて泳いでくださった。

同じように泳ぎたいと思っている人たちが、同じ時間を共有できて、いい時間だった。

私も今夜は、よく眠れそう。


悔しく思う、、、つづきのつづき

2008-10-23 21:05:21 | Weblog
泣いてる私をみていて、夫は、厳しく言う。

「もっと空気を読め!一本調子でどうする。企業が求めているそれを読まないでどうする。」

もう、、わかってるよ、、本当は肉親に対する思いを書けば良いっていうのは、、

でもあの時は、これを書きたかったのよ、、

また、夫は、「お前に頼んできたその人が喜んでくれたんだから、それでいいじゃないか、、」

そう、それでよかったのよ、、でも私はいい子ぶりっ子をしたくて、期待に応えたい自分がいたのよ、、応えることが出来なかった自分が情けない、、、

私は、もう、、ここでこうしてさらけたから、自分をさらけ出したから、きっぱりと卒業します。





悔しく思う、、、つづき

2008-10-22 04:45:57 | Weblog
応募して、落選した、、日の目をみなかった文章をここに書いてみる。

天国の河島英五さま

作詞家の阿久悠さんが亡くなられました。作詞した曲を集めたCDを買い、聴いておりました。
一曲づつきいていくうち、河島さんの「時代おくれ」という歌で止まってしまいました。

何度も聴きました。次第に大声で歌いたくなりました。近所に聞こえてもかまいません。お腹の底から、湧きでてくるような何かを、全部吐き出してしまうかのように歌いました。

涙があふれてきました。

私は、どこへ行こうとも何をしようとも自分が感じられないおりました。自分の居場所が感じられないのです。楽しそうにしている人を妬ましくも思いました。何かしなければならない焦りを思い、どこか、いつも追い立てられているような自分を感じている時でした。

「妬まぬように焦らぬように、飾った世界に流されず、人のこころをみつめ続ける、時代おくれの男になりたい」

むかしむかしのこと、私が女子大生の頃のことです。貴方さまをお見かけしたことがあります。

駅のプラットホームのベンチに座って、電車を待っておられました。お仲間とおぼしき方とご一緒のようでしたが、物静かな方という印象でした。

あの時の情景が、はっきりと浮かんできます。

あの時の貴方が、今の私にメッセージを送ってくださったのです。三十数年もの年月を経て、送られてきました。

四十六歳の若さでなくなられてしまったのですね。今、お元気なら、どんな歌い方をされたのでしょう。あの歌が似合う年齢になってきました。

ひょっとして阿久悠さんと一緒に歌を作っておられるのでしょうか。

世の中そんな捨てたものではありません。

歌は作る人から歌う人によって、長い年月を経ても、こうして伝わってくるのです。

あのプラットホームでの出会いから、今の世の中につながっているのです。

とても不思議な気がします。

貴方の歌声に出会えたことに感謝します。ありがとうございました。

こんな文章だ。
こうして、改めて、同じように書いてみると、ここに書いてみると、、、
うーん、、自分で自分の文章に酔ってしまっているのではなかろうか、、、
自分は上手だ、上手に書けているだろう、なんて自分が見え隠れしている、そんな私自身を見ることが出来た。
こんなこと、ここに載せるのが恥ずかしくなってきたが、そんな自分を卒業するためにも、あえて恥をさらそう。

もう、人から認められよう、地位や名誉や名声を求めるなんて、止そう。
そんな思いは、捨ててしまおう。思い上がろうとする自分、思い上がってしまっている自分自身にやっと気がついた。


悔しく思う、でも、、、

2008-10-21 17:05:53 | Weblog
この夏、ある人に頼まれて、私の書いた文章を応募してみた。

面白そうだったし、そのコンクールの審査員が普段から気になってた方だったので、その方の目に触れたら、、なんて淡い期待もあって、応募してみた。

結構、楽しい時間だった、その内容を考えてる時間は。

自分でも楽しめたし、いいんじゃない、、、なんて悦にいっていた。1000字ほどの内容だから、読まれやすいように、書き方も工夫して、色々努力してみた。

コンクールの応募は、まずは目に留まり読んでもらえる事、なんて、でも心のどこかでは、肉親のことをかいたほうがよかったか、とも思っていた。

そんなことを思いつつも、私は、今このことを書きたい、自分の中でそのほうがしっくりくる、とそう信じて、応募した。

全国から、いったい何篇の応募があったのかは、わからないが、、、

その選に、、落ちていた、、、、

31篇もの入選があったのに、それにもれていた、、、

そのことが、少し悔しい、いったい私の書いた文章のどこが、、、、

昨年も、応募した先は、違うけれど、自分の書いた文章が認められなかったのは、悔しかった。

ずっと、ずっと、ひきずっていた。

今回も引きずりそうだ。

夕ご飯の支度をしながら、そんなことを考えていたら、涙がぽろぽろこぼれてきた。今も、涙がにじんで、ボードがよく見えない。

気になってしょうがない、つづき

2008-10-17 09:02:52 | Weblog
国道沿いにある歯科医院。

10数年前に通っていた歯科医院だ。

当時、私は、詰めものがとれたので、通い始めた。まだ、開院したばかりで、雰囲気もよかった。その際に、親知らずもしょっちゅう痛くて、うづいていたので、思い切って、抜いた。思ったより、痛くもなくすっきりしたので、よかった。

でも、何回か通ううち、その先生のマスクをした顔にかけたメガネが、曇って汚れているのが、気になり始めた。

私の歯の治療も終わり、通わなくなっていた。

その後、その医院が少しづつ、患者さんが減っているのではないかと感じられるようになってきた。通りに面した階段や玄関の掃除が行き届いていない様子なのだ。

気になる。

そのうち、人気がなくなってきた。うーん、、ますます気になる。

やっと、その医院の前に車を止め、階段を上がっていった。「何回かここを上がったかしら」と思いながら、、、

玄関のガラス戸を見る。

小さな張り紙がある。この張り紙が、通りから見えて、それが気になって気になってしかたがなかったのだ。

「午後から、休診させていただきます」

ガラス越しに見える中は、
マガジンラックの雑誌をさしたままだった。
切羽つまった事態がおきて、いうならば「夜逃げ」状態のようだ。

この医院に何が起こったのだろうか。

いろいろ想像してしまう。

でもまあ、ここはとりあえず、気になってしょうがないは、解決したから。


気になってしょうがない

2008-10-15 08:32:40 | Weblog
日常生活のなかで、気になってしょうがないってことはないだろうか。

私は、そんな思いをひとつ解決した。

いわゆる胸のつかえをとったのだ。

すっきりするし、こだわらなくなる。

どんな小さな、些細なことでも気持ちのなかにこだわりを持っていることは、いけない。

証明写真

2008-10-14 08:46:38 | Weblog
パスポートが切れているのが判って、また作るために、いろいろ揃えている。

気になるのが、証明写真。

どこで写そうかと思いつつ、車を走らせているとき、目に付いたカメラ屋さんに入った。店舗の片隅で、「はい」といわれて撮る。

出来上がりを見て、、、ショック、、、、

私って、こんな顔してたの、、、

運転免許証の写真が出来上がって、見てみたら「えっっ!!!」とそっくり返りそうになるくらい、その変な雰囲気に写っているのに驚くのだけれど、それと同じ位に、、ショッキンングゥ~なのだ(笑)

この顔写真を、10年間保存し続けるのだから、もう少し自分で納得できるものがいい。

う~ん、、これは、自分で選択のできるボックス写真で撮ると決めた。

普段より入念に厚化粧(?)をした。向かうは、本屋さんの前にある証明写真ボックス。

機械的な声に誘導されて、3ポーズ撮る。その3枚の中から、納得のいく顔を選択する。今、それをみて、、、、うーんどうしようかと思っているのだけれど、、、

期限の切れたパスポートの10年前の顔をみて「あの時、君は若かったぁあ」なんて、歌を思い出した。

近所の方と話をする

2008-10-13 20:39:19 | Weblog
近所付き合いをするというのは、なかなか難しい。

筋向かいに住んでいるので、話をしたいと思う。
やさしそうな雰囲気を持っている方なので、話をしたいと思う。

散歩などで、見かけるので、声をかけるのだが、なかなか気軽に話をするのは難しい。世間話をしたいと思って、声をかけるのだが、思うように話は進んでくれない。すぐ途切れてしまう。どこか壁を感じるのだ。

地区清掃があった。
ちょうどいいチャンスだと思って、声をかけた。
ごみの収集ボックスをいつも気にして、きれいにしてくれているので、その労をねぎらおうと思って、話をした。

すると、たまった思いがあるのか、一気に色々と話してくださった。
私の知らないところでの苦労が伺えた。

「まあ、そんなことがあったのですか、、知りませんでした」というと、
「ほかの方も気になさってくださってるから、、でもルールを守ってくれないのは、ほんとうに困ります」

そんな会話をすることができ、うれしかった。

そして、翌日、私はウォーキングをしていたのだが、犬の散歩をしているその方と会うことができた。
その方の様子は、少し変化していた。
柔らかく、なじもうとする雰囲気を感じることができた。
私は、なんだか嬉しくなった。

ひとつ壁を越えた気がした。

点字ブロック

2008-10-09 21:21:31 | Weblog
歩道にある点字ブロック。

目の不自由な若い女性が、点字ブロックをたどって歩いていた。

白い杖を使って、歩道を歩いている。点字ブロックを読んでいる様子だ。交差点で立ち止まった。やがて青信号になった。周りの様子で判断したのだろうか、ゆっくりと横断歩道を歩き出した。やがて、わたり切ると、歩道を守るためのブロックにぶつかりそうになったが、杖でそれをよみとり、避けた。再び安全な歩道を歩き始めた。

その女性が気になりつつも、私は、車で通りすごしていった。

健常者の私は、こうした不自由な人たちのことを忘れている。

ヒールの高めの靴をはいていると、点字ブロックに躓きそうになったり、バランスを崩しそうになったりするのだが、こうして、歩く目の不自由な人をみると、そんなわがままをいうことは、できない。

その女性の姿から自立して生活しようとしている、そんな意思を感じた。「気をつけて」とエールを送った。

生活している周りを見渡すと、こうした体の不自由な人たちが安全に暮らすようには、出来ていない。

ずっと以前、車椅子を押したことがあるが、交差点など、ほんの少しの段差にも、苦労したのを思い出す。