もう少し書きたくなった。
住民運動の中で大切なのは、その考えをもっとたくさんの人に広めて浸透させていくことにある。
同じ意見の賛同者を増やしていくことは、重要なことだ。
その手段として、専門の講師を呼んで講演会を開くということがある。
講師は、名の通った方を呼ぶとそのチケットは売りやすい。
講師の講演料は、目が飛び出るくらい高い場合がある。
住民運動の団体は、自発的な集まりだから、たいていはお金をもっていない。
できるだけ費用は、安くおさえたいのだ。
講師の方の中には、住民運動に関心を持ち、その活動に賛成をしてくださる方もおられる。手弁当で来てくださるのだ。そんな場合でも交通費、宿泊費、食事代、会場費等捻出しなければならない。その費用は、住民運動をしている人達のチッケット売りにかかってくる。
運動を知ってもらうためとそうした費用捻出のために、必死でチッケットを売る。
やっとの思いで、当日を迎える。
そこには、記者たちが、何人かやってきている。
こういう活動をしていることを記事に書いて欲しい。書かれる事でまた多くの賛同者を得られる。記事は、書いて欲しい。記者の方々が、関心をもって取材してくださるのは、願ってもないことだ。
しかし、彼らは、取材と称して、その講演会場に入り、タダできこうとする。
会場に入るからには、チケットを購入して欲しい、と説明をするのだが、「個人的には、払うことは、やぶさかではない」と言う人もいた。しかし、他にいた記者と歩調をあわせて「一つの団体にお金をだしてしまうとほかの団体にもこれから出さなくてはいけませんから」等と理由をつけけた。結局、彼らは、講演を2時間タダで聴いて帰ったのだ。
些細なことではあるが。
もう、7,8年も前のできごとでもある。
ひょっとして、あの頃の記者たちの意識は、今では変化があるのかもしれないが、新聞の片隅に住民運動をしたり、講演を催したりしている記事を読むと、そんなエピソードを思い出すのである。
住民運動の中で大切なのは、その考えをもっとたくさんの人に広めて浸透させていくことにある。
同じ意見の賛同者を増やしていくことは、重要なことだ。
その手段として、専門の講師を呼んで講演会を開くということがある。
講師は、名の通った方を呼ぶとそのチケットは売りやすい。
講師の講演料は、目が飛び出るくらい高い場合がある。
住民運動の団体は、自発的な集まりだから、たいていはお金をもっていない。
できるだけ費用は、安くおさえたいのだ。
講師の方の中には、住民運動に関心を持ち、その活動に賛成をしてくださる方もおられる。手弁当で来てくださるのだ。そんな場合でも交通費、宿泊費、食事代、会場費等捻出しなければならない。その費用は、住民運動をしている人達のチッケット売りにかかってくる。
運動を知ってもらうためとそうした費用捻出のために、必死でチッケットを売る。
やっとの思いで、当日を迎える。
そこには、記者たちが、何人かやってきている。
こういう活動をしていることを記事に書いて欲しい。書かれる事でまた多くの賛同者を得られる。記事は、書いて欲しい。記者の方々が、関心をもって取材してくださるのは、願ってもないことだ。
しかし、彼らは、取材と称して、その講演会場に入り、タダできこうとする。
会場に入るからには、チケットを購入して欲しい、と説明をするのだが、「個人的には、払うことは、やぶさかではない」と言う人もいた。しかし、他にいた記者と歩調をあわせて「一つの団体にお金をだしてしまうとほかの団体にもこれから出さなくてはいけませんから」等と理由をつけけた。結局、彼らは、講演を2時間タダで聴いて帰ったのだ。
些細なことではあるが。
もう、7,8年も前のできごとでもある。
ひょっとして、あの頃の記者たちの意識は、今では変化があるのかもしれないが、新聞の片隅に住民運動をしたり、講演を催したりしている記事を読むと、そんなエピソードを思い出すのである。