自分の一瞬一瞬思ったことが、本当は自分以外の他の誰かの思いだったとしたら信じますか?
潜在意識に出会ったころ、「潜在意識って、自分以外の誰かの意識の方が多いんだ」と、にわかに信じられず驚いたことがあります。
書籍に書いてある文章を、そのまま読んで知識にすることは簡単です。
それが、本当かどうかを検証してみようと思ったのです。
知識を実体験すると認識に変わります。
そこから、「自分の潜在意識を知る」、自分探しの探究がはじまりました。
自分の価値観で判断すると、人の行動や言葉で嬉しくなったりムカついたりします。
人から褒められると嬉しくなったり、厳しいことばを言われるとイラッとしたり悲しんだり。
承認欲求が満たされれば嬉しく、満たされなければ悩んだり苦しくなります。
なぜ、自分に喜怒哀楽が存在するのだろうと探究していくと、自分以外の意識に翻弄されていたのです。
潜在意識は「心」ですから、頭で考えても答えがでません。
私は、セラピストなので、仕事で使っているオステオパシーの治療哲学を元に自分自身を探究していきました。
治療哲学の基本原則に、「肉体、心、霊性」の全てが健全なら健康に近づくというものがあります。
一番着目したものが「心と霊性」でした。
潜在意識の「心」と同じです。
霊性は魂です。
こころで自分自身を探究していくと、幼少期の不平不満に辿り着き、その不満の種類を分類し、なぜそのように思ったかを探究して行きました。
その時、自分以外の不満の意識と出会いました。
「自分以外の他の誰かの思い」を体験したので、いい方向に行っている気がして更に探究を進めました。
潜在意識の探究をスタートしてから、20年の歳月がかかりましたが、やっと自分の中にいる別な意識を発見することができました。
喜怒哀楽の「怒哀」は判りやすく、だれかの言葉で怒ったり哀しんだりする時は、ほぼ他者の意識が反応していました。
自分が怒ると、他から怒りの意識とつながり、哀しむと哀しい意識とつながるのです。
これを、「類は友を呼ぶ」といわれるものです。
その他者の意識にコンタクトし、どのような生涯だったかを理解し共感しました。
共感すると、自分の潜在意識から、他者が自然に離れて行きます。
「怒哀」以外ですと、かなり難しいです。
休みの日に、ゆっくり過ごしている時も、他者の意識で生活している事実。
自分以外の意識を探すため、「今、思っていることは誰の意識なのか?」を、心で感じとります。
一週間もすれば、自分以外の意識が表れてきます。
その正体を言語化できるまで続けます。
どこの誰かも判らないと、自己変革もできない。
その意識体が、本当のことを話しているか、ウソをついているか2年ほど調べます。
ウソをついていると、通信の途中で話しのつじつまが合わなくなります。
今の思いが、自分自身なのか、それとも他の誰かが思っているかを見極めるわけです。
また、その意識が、1個体なのか2個体なのか判るまで3年以上かかります。
直ぐに、できる人もいるかもしれませんが、到底1~2週間ではできません。
趣味や興味程度でできるものではなく、毎日のことですから根気がいります。
本当に、潜在意識の霊域は奥が深いと思います。
潜在意識に出会ったころ、「潜在意識って、自分以外の誰かの意識の方が多いんだ」と、にわかに信じられず驚いたことがあります。
書籍に書いてある文章を、そのまま読んで知識にすることは簡単です。
それが、本当かどうかを検証してみようと思ったのです。
知識を実体験すると認識に変わります。
そこから、「自分の潜在意識を知る」、自分探しの探究がはじまりました。
自分の価値観で判断すると、人の行動や言葉で嬉しくなったりムカついたりします。
人から褒められると嬉しくなったり、厳しいことばを言われるとイラッとしたり悲しんだり。
承認欲求が満たされれば嬉しく、満たされなければ悩んだり苦しくなります。
なぜ、自分に喜怒哀楽が存在するのだろうと探究していくと、自分以外の意識に翻弄されていたのです。
潜在意識は「心」ですから、頭で考えても答えがでません。
私は、セラピストなので、仕事で使っているオステオパシーの治療哲学を元に自分自身を探究していきました。
治療哲学の基本原則に、「肉体、心、霊性」の全てが健全なら健康に近づくというものがあります。
一番着目したものが「心と霊性」でした。
潜在意識の「心」と同じです。
霊性は魂です。
こころで自分自身を探究していくと、幼少期の不平不満に辿り着き、その不満の種類を分類し、なぜそのように思ったかを探究して行きました。
その時、自分以外の不満の意識と出会いました。
「自分以外の他の誰かの思い」を体験したので、いい方向に行っている気がして更に探究を進めました。
潜在意識の探究をスタートしてから、20年の歳月がかかりましたが、やっと自分の中にいる別な意識を発見することができました。
喜怒哀楽の「怒哀」は判りやすく、だれかの言葉で怒ったり哀しんだりする時は、ほぼ他者の意識が反応していました。
自分が怒ると、他から怒りの意識とつながり、哀しむと哀しい意識とつながるのです。
これを、「類は友を呼ぶ」といわれるものです。
その他者の意識にコンタクトし、どのような生涯だったかを理解し共感しました。
共感すると、自分の潜在意識から、他者が自然に離れて行きます。
「怒哀」以外ですと、かなり難しいです。
休みの日に、ゆっくり過ごしている時も、他者の意識で生活している事実。
自分以外の意識を探すため、「今、思っていることは誰の意識なのか?」を、心で感じとります。
一週間もすれば、自分以外の意識が表れてきます。
その正体を言語化できるまで続けます。
どこの誰かも判らないと、自己変革もできない。
その意識体が、本当のことを話しているか、ウソをついているか2年ほど調べます。
ウソをついていると、通信の途中で話しのつじつまが合わなくなります。
今の思いが、自分自身なのか、それとも他の誰かが思っているかを見極めるわけです。
また、その意識が、1個体なのか2個体なのか判るまで3年以上かかります。
直ぐに、できる人もいるかもしれませんが、到底1~2週間ではできません。
趣味や興味程度でできるものではなく、毎日のことですから根気がいります。
本当に、潜在意識の霊域は奥が深いと思います。
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