このような光景を目にしました。
30歳ほどの男性が、赤ん坊を抱きながら歩いてます。
顔には立派な髭があり、これから「父親」になる幸せが顔に出ています。
けれでも、片手に持っていた空き缶を投げ捨てたのです。
それを見ていた近所のおじさんが注意をしています。
するとその若き父親が、「こんな小さな事をワザワザ注意して頂き有難うございます!」と皮肉たっぷりに言い、その場から離れていきます。
大きい小さいを、考え違いしている事は誰でも判ります。
また、彼の言葉を借りて表現する「小さな行為」ですが、その小さな行為を悪気無しに行えるという「心」の危険性を感じ取れます。
今、多くの食品偽装が毎日のように報道されます。
最初は「ネギや海老位なら誰も判らないだろう!」という小さな気持ちから始ったのでしょう。
それが積もり積もって大きな事件へと変わって行ったのです。
心の病、身体の病は、全て「小さな事」の見落としから始ります。
その小さな事の間違いを、間違いと気づかない今の社会は、大変病んでいるとしか言えません。
ルーキーパパさんに注意をした初老の男性の側に居た私は、腕の中に抱かれた赤ん坊が、私達にお礼を言っているように感じられました。
大人になると「会社」以外で叱られる事がありません。
謝る事の出来ない大人が増えています。
「逆ギレ」なんて言葉があるようでは、成熟した社会とは言えないのではないでしょうか!?。