はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

浪々歳々 2

2020年05月01日 10時41分18秒 | 浪々歳々



翌日、馬良は、簡素な門構えの屋敷の前を、犬のようにぐるぐると回っていた。
人通りのすくない、閑静な一角に、その屋敷はある。
市場のにぎわいとも遠く離れ、子供たちの遊ぶ声にまじって、どこぞの趣味人がかき鳴らす琴の音、それに合わせて唄うように、ほおじろ鳥の、のんびりした鳴き声が聞こえてくる。
よいところに居を構えたな、と馬良は感心した。

いや、感心している場合ではないのだ。
孔明は、今朝早くに起き出すと
…馬良は、孔明がほとんど眠っていない、と睨んでいた…
身づくろいをして、出仕した。
馬良はそれを止めることができなかった。
休みたまえ、という忠告を、ほとんど無視して行ってしまった孔明の姿に、馬良は、もう自分だけでは孔明をどうにもできない、ということを悟ったのだった。
そうして、この屋敷へやってきたのである。

門を叩き、家人を呼んで、取次ぎを願う、そうして主を呼び、事情を話し…
やらなければならないことは判っているのに、馬良は迷っている。
馬良は聡明な男であるが、欠点は、押しが弱い、というところであった。
人の機微を観察することにかけては上手なのであるが、それを利用する、ということに向いていない。
性格が良すぎて、思いやりをかけすぎてしまい、良心の呵責に悩まされてしまうのだ。
まして、自らが主体になって行動する、ということは、ほとんどしたことがない。
襄陽時代には、孔明が主導権をがっちり握って、馬良は横から補佐をするだけであったし、家においても、弟の馬謖が口八丁手八丁なので、その言に従っているだけである。
だから、一人でなにかをしなくてはいけない、という状況が苦手だ。

馬良は、おのれを叱咤しつつ、昨夜の孔明の姿を思い出し、気を奮い立たせた。
あんな孔明は、孔明ではない。
以前のような、燦々と輝く陽のような孔明に戻ってもらいたい。
悩みがあるならば、それを解決できるように、脇からそっと手を差し伸べるのも友の役目ではないか。

馬良は、心ならずも、孔明を裏切ったことを、どうしても忘れることが出来なかった。
あの罪をつぐなうためにも、孔明を助けなければならない。
おのれの都合のよいときにだけ親しくし、都合が悪くなると、なんやかやと理由をつけて切り捨てる。
世にあまたあるニセの友情とは、われらの友情はちがうのだから。

よし。
馬良は、意を決し、ぐるぐる回っていた足を止め、門の前に立った。
門を叩こうとしたとたん、門が消えた。
ちょうど、内側から、だれかが門を開けたのである。

「ぎゃあ!」
思いもよらぬ相手が出たので、思わず馬良は悲鳴をあげる。
門をあけて、いきなり悲鳴を浴びせられたほうは、さすがにムッとして眉をしかめている。
「これは、従事どの。わが屋敷の前で、如何なされましたかな」
いきなり自分の家から出てきたとたんに、ぎゃあ、と言われたら、誰だってムッとする。
これがもし張飛や関羽だったら、無礼なやつ、の、ひと言で、バッサリだ。

馬良は気を取り直しつつ、屋敷の主…趙雲に礼を取った。
「これは大変失礼をいたしました。まさか趙将軍みずからがすぐお出ましになるとは思っておりませんでしたので、どうぞご無礼をお許しくださいませ」
「許すのは構いませぬが、お珍しいですな」
馬良は、頭の中で何度も考えた段取りが狂ってしまったので、うろたえていた。

正直なところ、馬良は趙雲が苦手である。
趙雲は、わかりにくい。
張飛や関羽らのほうが、感情をはっきり表に出してくれるぶん、応対の仕様がある。
だが、趙雲はそうではない。
孔明に聞いたのだが、常山真定の趙家といえば、なかなかの名家で、趙雲はかなりきびしく育てられており、本人もその気になれば、ありとあらゆる話題について、かなりの知識を披露できるらしい。
たしかに…と、馬良は孔明のことばを思い出す。
趙雲を前にすると、猪武者を相手にするときとは、次元のちがう緊張感をおぼえる。
言動や功績、その容姿から立ち居振る舞いに至るまで、まるで隙というものがない。
それでいて目立たないのは、趙雲の全体が、あまりに端正に過ぎるからである。
どこかに癖やほころびがあったほうが、衆目は集まる。
端正に過ぎる、ということは、きわめて非凡であるのだが、それがあたりまえに見えてしまうあたり、趙雲のすごさと、損がある。

それに、趙雲とは、新野城で、不本意な再会をしている。
弟の馬謖に誘われるまま、ふらふらと夜の街へ遊びに行ってしまい、そのとき、町を巡回していた趙雲に出くわしてしまったのだ。
趙雲は、孔明には黙っている、と約束をしてくれたが、馬良は、愚かなことを言ったものだと、過去の自分を責めている。
この潔癖で律儀な武人は、きっと自分を軽蔑しているにちがいない。

「軍師に、何事か?」
と、おそろしく勘の良いところで、趙雲はずばりと言った。
「よくおわかりになりますな」
「そうでなければ、貴殿が拙宅の門を叩くことはございますまい。何事です」
いつも寡黙で冷静、という印象があるのだが、趙雲は、めずらしく急いて馬良にたずねる。
作法の観点から見れば、客人を門の中に招きもせずに門前で話をする、などと無礼きわまりないのであるが、そんなことも気にしていられない様子だ。
その勢いに気圧される形で、馬良は昨夜のことを語った。

趙雲は、じっ、と目の前に立っているのが、孔明そのひとであるかのようなきびしい眼差しを注いで黙っていたが、馬良の話が終わると、
「わかった」
とだけ言って、馬を自ら引き出して、飛び出そうとする。
あわてて馬良はそれを追って、趙雲にたずねた。
「お待ちを、どこへ行かれる!」
「軍師のところへ」
短く答えると、趙雲は馬の腹を蹴って、砂埃を巻き上げながら、走り出した。
馬良も、あわててそのあとを追った。

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馬良が、はじめて外の世界とはっきり向き合ったのは、司馬徳操の私塾に入ったときであった。

それまで、襄陽きっての名家の一員として、なんの不自由もなく暮らしてきた。
父母の仲もよく、兄弟仲もわるくなかったので、家のなかは退屈なほどに平和であった。
さらに加えて、馬良の場合、元来おっとりした性格であったから、だれかと争う、ということがめったになかった。
仲の良い家族であるから、互いの気性を知り尽くしており、利害がぶつかった場合には、自然とどちらかが相手に譲った。

そんな環境で暮らしてきた馬良にとって、私塾の生徒たちの、丁々発止の議論の交わし合いには、すっかり呑まれてしまった。彼らは、自分の主張を相手に認めさせるためならば、示威行為も辞さず、根回しも絶やさず、ときには連合したり、あるいは裏切ったりと、さまざまな手を駆使して、しかも容赦なかった。
いきなりノンビリした世界から、生き馬の目を抜く…と言ってしまったら、本物の修羅場が泣くかもしれないが…世界に放り込まれた馬良は、愕然とした。
自分の身の処し方がわからなかったからである。
おとなしく、消極的な馬良は、なかなか友人もできず、議論の場に赴いても、いつもほとんど主張らしい主張ができない。
対策を練っているうちに、ガツリと殴られるような形でやり込められてしまう。
焦って努力をすればするほどに、その姿は滑稽にうつり、物笑いの種になった。

つづく……

(サイト「はさみの世界」 初掲載年月日・2005/08/03)


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