はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
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甘いゆめ、深いねむり その1

2013年07月01日 09時16分26秒 | 習作・甘いゆめ、深いねむり
かれは夢をみていた。
夢に深度があるならば、それまでは浅い夢を。

戦場で生き残る、敵の首をとり、出世し、袁紹軍の数ある武将のなかでもだれに勝るとも劣らない人材として確固たる地位を築く。
そして戦が終わったあとは、だれよりも富貴をきわめた安楽な生活を謳歌するのだ。
ふるさとの徐州からつれてきて、いまは鄴にて帰りを待ってくれている古女房とだいじな一人息子。それから徐州に置いてきた両親や一族も呼び寄せよう。そうしてみんなでおもしろおかしく暮らすのだ。世の中の苦労とはいっさい縁を切って。

それがかれ、顔良の夢だった。
ありきたりであるが、想像のしやすい、そしてかれの実力ならば、じゅうぶんに手の届がとどくであろう夢だった。
かれは自分の、熊さえ素手で倒せる腕力と、場数を踏んで磨かれ抜いている武術にかなうものは、この天下では、兄弟分の文醜しかいないとおもっている。
顔良はあまりあれこれと複雑にものを考える性質の男ではなかったので、夢が自分を裏切ることはないだろうと固く信じていた。

じっさいに、夢は現実のものとなりそうである。
建安五年、いよいよ北方の英雄袁紹は、小癪にも帝を擁立して許都でふんぞり返っている曹操を討伐するために動き出す。
そして顔良は、おぼえめでたくも、その先陣にえらばれたのであった。
出陣は三日後。

世人の、顔良を見る目もちがう。
かれが歩くたびに、ひとびとがこうささやいているのが聞こえてきそうだ。
ほら、あれが袁紹自慢の勇将顔良だよ。かれがあらわれると戦場に道ができるらしい。道というのは、かれが目の前の敵を片っ端からやっつけてしまうので、ちょうどその行った後というのがきれいな道に見えるのさ。そして、敵も顔良がこわくて、かれの行く手を阻まず、ちょうどその先に海が割れたような感じになる。行ったあとも道、行く手にも道。すごい男だろう。

顔良は長く戦場に暮らし続けて、しかも確実に生き残っていたから、たしかに実力もあった。
だから、逆にひとびとのそんな賛辞にはまったく無頓着で、むしろ当然の言葉としてそれらを受け止めていた。
あたりまえとおもってしまうと、どんなものでも色褪せるもので、たとえそれが顔良の尊敬する高官から出たことばでも、あるいは、袁紹の抱える美女たちがささやいたことばでも、うれしいにはうれしいが、あまり価値のあることばとはおもえなくなっていた。
かれのいまのいちばんの関心ごとといったら、やはり曹操の首をとることであった。
兵力の差、軍備の差、兵糧の差、どれをとっても袁紹は圧倒的な象で、弱小といってもいい曹操は蟻だった。
曹操は目端のきくねずみのような小男にすぎず、かれの部下もたいしたことはないということは、主君の袁紹みずからが、毎日のように言っている。
なんでも袁紹と曹操は幼なじみで、若いころはよくいっしょにつるんで、悪いこともしたらしい。それが袂をわかって、さまざまに関係がこじれにこじれていまにいたる。
世人は天下をとるに足るのは曹操か、あるいは袁紹かと目しており、あまりむずかしいことを考えない顔良にも、袁紹が、今度こそ曹操を踏み潰さんと本気になっていることは理解していた。

つづく…


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