チワワのハーデル君(はーちゃん)+豆柴のロン君

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木造のバラック

2010-05-30 20:09:00 | 旅行
sunadokei5月30日sunadokei

今日はブラッセルマラソン。
しかし、天気悪し。
最悪なのが、道路の通行止め。
<のすけ>のバスケの送迎が、普段なら15分あれば
下道で十分行けるのに、
今日は、高速の入り口を2つ前まで戻って、乗り、
やっとたどり着くといった感じ。
帰りがまた至難の業で。
高速入って、出て、ぐるっと回ってまた入って、
をしないと帰れない。


当時のままの囚人棟。
湿地の上に基礎なしで建てられています。
ほとんどのバラックには床がない・・・
地面は泥・・


バラックの中。当時のまま。


こちらのバラックは、囚人用のトイレ・シャワー室。
シャワー室といっても、使われたことなく、
一説には、画鋲のようなものが落ちてきたとか・・・


今回は、洪水のため見学できなかった
女性用のレンガ造りのバラック。
中は、3段ベッドだが、腐った藁が敷いてあり、
1段ごとに約8人が寝ていた。

『死の門』の最上階にある、
監視室の眺め
中央:

右側(男性用):
左側(女性用):

皆さんも一度考えてみてください。

PIERRE MARCOLINI

2010-05-30 01:29:00 | グルメ
sunadokei5月29日sunadokei

今日は、どういうわけか、
ストッケルにある、『ピエール・マルコリーニ』で
チョコのお買い上げ・・・


箱は超高級!!
マグネットが仕掛けてあります。


許せないくらい小さい。
34個入り。24.5€・・・日本で買うよりは安いけど、
こっちの感覚では、やっぱり高すぎ。

味は、やはりお子様向けではない。
きっと、ビターが好きで、
ワインと共に・・・という人向けのチョコだよ。

今日は、旅行編はお休みでーす。

アウシュビッツ収容所2号

2010-05-29 01:07:00 | 旅行
sunadokei5月28日sunadokei

3kmほど離れた、ブジェンカ村には
アウシュビッツ2号―ビルケナウ―が設立されました。
約53万坪・・・300棟以上のバラック(長屋)があった。
完全な形で残っているのは、45棟のレンガ造り囚人棟、
22棟の木造囚人棟。

ここは、水がなく、衛生面に特に問題が。
ナチスはほとんどの虐殺施設を、ここに設けた。
・・・4棟の焼却炉・ガス室・野外焼却場・・・


『死の門』

収容所内から見た、『死の門』
この写真だけ見れば、田舎の風景、だが・・・

『白い巨塔』ドラマでも映っていたと思うけど、
よく映画で使われる、『鉄道引込み線』
 
引き込み線の奥には、2等の焼却炉・ガス室があった。
今は、撤退する時に爆破されたので、
瓦礫となっています。
 

本来なら近くまで行けるのだが、
ポーランド南部の大洪水の影響があり、
規制があり、少し離れたところからの撮影。
この日は天気良かったけど、近くの川の堤防の決壊でかなりの被害あり。

近くに行くと、死刑になった人たちが裸になった地下の更衣室、
そして、ガス室がはっきり見えるそうです。
1階には5台の焼却炉がありました。


一番奥に、1967年に除幕されました、
『ナチス政権下犠牲者国際記念碑』があります。

次は、当時のままの囚人棟の中を・・・


『死のブロック』

2010-05-27 19:30:00 | 旅行
sunadokei5月27日sunadokei

 
10ブロックと11ブロックの中庭。
左は入り口から奥の写真。左の建物が10ブロック、右が11ブロック。
右は奥から入り口の写真。右の建物が10ブロック、左が11ブロック。


『死の壁』・・・右の写真の奥の壁。
ここで、主にポーランド人が銃殺されました。

10ブロックは昨日書いたひどい医師の断種実験棟。
11ブロックは収容所内の刑務所。ここは建物も、室内もすべてオリジナル。
ちょっとしたことでも、11ブロックに移送された。
地下には3種類の監房がある。
そのひとつに『立ち牢』があり、わずか90×90㎝にずっと立っているのです。


囚人達の厨房とあったので写真を撮ったのですが、
なにやら鉄棒のようなものが・・・
近づいて写真を撮ろうと思ったら、奥の壁の絵が・・・
よく見ると、人が吊るされている・・・
そう、集団絞首台でした。見せしめの死刑執行が行われた。


『焼却炉・ガス室』
1941~1942年にわたって、ソ連捕虜とユダヤ人が毒殺。
隣に焼却炉があり、1日350人の死体が焼かれました。

入り口。ズーンと重たい気分で中の見学。

厨房と書きましたが、食事らしい食事ではありません。
朝食として、500CCのコーヒーと呼ばれた液体。
昼食として、1Lのほとんど水のような腐った野菜で作られたスープ。
夕食として、300~350gの黒パン、3gのマーガリン、薬草の飲み物

重労働と飢えで体は完全に衰弱していきました。
そして、衛生面も悪く、鼠、虫、これらで伝染病の原因となった。

これはほんの一部の紹介です。

次からは、収容所2号ビルケウナ、ブジェンカ村。

Oswiecim・・・オシフィエンチム

2010-05-26 20:04:00 | 旅行
sunadokei5月26日sunadokei

タイトルは、ポーランド語。ドイツ語名は、Auschwitz…アウシュビッツ


景色・建物だけを見れば、のどかですが・・・

建物の中は、写真撮影禁止のため、
どのようになっているか、書いて説明します。

写真の建物は、見学できる最初の建物で、第4ブロック。
ここで衝撃的なことは、約1500人殺すのに6~7kgの
毒ガス、チクロンBが必要だが、その缶の山の展示。
そして、人間の髪で造られた生地。
大量の切ったままの髪。
何万個の靴・ブラシ・眼鏡・洋服の展示。
運ばれてきた人は、新しい土地に移住だけ、と信じてきているので、
生活に必要なもの、高価なものを持ってきていましたが、
電車から降りると、トランクは全て没収。
服は脱がされ、縞の囚人服に。靴も脱がされ、囚人用に。
髪は切られて。障害者の義手・義足までも・・・

高価なものは、本国に。
髪の毛も本国へ行き、マットレスや、布地にしました。
死体から金歯を抜き、金の延べ棒にしたり。

人間の灰は肥料としたり、近くの川やいけに投げ捨てました。

こうした、説明や展示です。
すべてが愕然としますが、
子供服の展示がなんといっても可愛そうです。
可愛い子供服が飾ってあるのです。
子供も全て同じ扱いなため、なんともいえないのです。



第6ブロックは開放された時の写真の展示。
やせ細った女性、子供・・・
大体女性は60kgが23~35kgに。

子供たちは悲劇。
妊婦、老人、子供、働けないものは最初から直接毒ガス行き。
後、子供だけ収容されたが、医学実験の材料にされました。
双子を使って、断種実験とか、どんなものか全く想像付きませんが、
最悪医師のアシスタントをしていた人の著書を
『I was doctor MENGELE's assistant』(英語版)
ニーナが買ったので、またいつか内容を載せます。

医者もいたけど、病気を見てもらえるのは、
軍人、管理人で、囚人となっている人の医者は
というか、病院は人体実験の場。

もう一回、アウシュビッツ収容所1号での内容。
後は、映像でみることのある、ビルケナウに移動して。