祝福の時だった・・・・・・・・・・・・・・・・
年末年始は教会で、祝福のうちに過ごすことができました。
31日までは、宿泊予定の宣教団体のためのお布団の準備などの奉仕。
大晦日は、23時から越年祈祷会。お風呂に入った後、暗い外に出て、明るい教会へ。
1日は、10時半から元旦礼拝では、応答の祈りの声を上げて。お雑煮と持ち寄りのお節とお菓子でランチ。残った兄姉と親しい新年交わり会。さらに、私の部屋に移って同年代の独り暮らしの姉妹の話を傾聴。
自分で自分に、よく奉仕ができたと、高慢になっていた。
サタンの惑わしが来た・・・・・・・・・・・・
ところが、2日の今朝は、もやもやと・・・独りのアパート生活の私の中に、サタンの攻撃がある。
私は、「サタンよ、退け。私は神のものである。」と宣言して、立ち上がらなくてはならない。聖霊に満たされることは、神からの命令であり、みこころにかなうこと。
色々と思い浮かぶこと、人と比べること、自己中心、自我、思い煩いを、告白して主に委ねました。心が砕かれて、明け渡して、謙遜に低くなれば、高いところの霊の風が、低いところに吹いて来ないだろう。
祝福の時・・・・・・・・・・・・・・・・
「御霊に満たされる」という受動態で表現されていることを、私はそれが実際どういうことであるのか、私の側ではよくわからないところがあります。
でも、神の側で、最善に「聖霊に満たす」ことをなしてくださるのだから、安心して委ねます。
私達は、私達を愛してくださった方によって、どんな問題・困難の中であっても、圧倒的勝利者になるのですから。
ローマ人への手紙
8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
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