ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

神様から叱られてしまった

2020-12-23 | ヨハネの福音書
礼拝の後、罪について、私に誤りを認めさせました。
 以前は、礼拝後に、牧師を囲んで分かち合う会に出ていたのですが、コロナ禍になって、信徒同士で分かち合うようになっていた。
 先日は、分かち合いの相手の都合で後日Zoomでやることになり、牧師との会に出席できるのに、あえて自宅に帰ってしまった。
 帰宅後、自分は牧師や最近救われた方の前に出ることを避けようとしていたのであって、それは神様から離れようとしていた罪であることが示されて、すぐに自宅を出て、教会に戻った。(教会と自宅はすぐ近く)
 これで、すぐにまた教会に戻って、始まっていた会に入って行きました。
 
聖霊は義について、私に誤りを認めさせました。
 早朝から受付奉仕をして、夕方からはキャロリングに行くのだから、少しくらい自宅でくつろぐ時間を取っても間違いはないでしょう。それに説教の後、応答の祈りを求められた時に、私も立って祈ったのだから、もういいでしょう。という思いがありました。
 それは、行動によって、自分を自分で義としている律法主義的な発想であって、信仰による義に生きる者としては間違っていたと、認めさせられました。
 飼葉おけで寝かされていたみどり子が象徴するように、みことばをガツガツと食べて、よく味わい消化して、生活に生かせるまで、みことばの深みを知って行きたいと思いました。
 
聖霊は、さばきについて、私に誤りを認めさせました
キリストが罪に裁いた者は、サタン、悪霊、その支配の中にいる者。
キリストに罪が赦されている者は、キリストとともにすでに勝利しており、サタン・悪霊を追い出すようになる。
 私は最近、夜中にユーチューブを見るようになり、睡眠不足になるほどにユーチューブから罪の誘惑に負けていたことを認めさせられました。
 このような生活を続けるなら、キリストから「サタンよ、下がれ!」と言われることになると恐れました。
 
ヨハネの福音書 16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
 
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