◆罪を犯して流した血が頭に注ぎ返されて死ぬという表現が2章には4回も出て来た。
イエス・キリストがいばらの冠によって頭から流れた血は、罪を犯したためにさばかれて頭から血を流すべき人の身代わりの血となっていたのだろうかと思った。
Ⅰ列王 2:9彼のしらが頭を血に染めてよみに下らせる
Ⅰ列王 2:32 【主】は、彼が流した血を彼の頭に注ぎ返されるであろう。
Ⅰ列王 2:33 ふたりの血は永遠にヨアブの頭と彼の子孫の頭とに注ぎ返されよう。
Ⅰ列王 2:37あなたの血はあなた自身の頭に帰するのだ。」
◆結果が祝福の例が二人あった。
7 ギルアデ人たちは、過去に近くにいてくれたことに対して、恵みが施こされた。食事の席に連ならることになる (キリスト者は天国の祝宴にあずかる)
26祭司エブヤタルは死に値するが過去の行為により、罷免されて出身地に帰った1:53のアドニヤと同じ。その後エブヤタルは祭司として忠実に仕えたマルコ2:26 (キリスト者は、この世から神の国に移って、万人祭司として仕える)
◆結果が滅び例が三人あった。
25 アドニヤは、かつて祭壇の角から降ろされて罷免され家に帰っていたのだから、祭司エブヤタルのように、そのまま家にいれは良かったのに、わざわざ出て来てバテ・シェバをそそのかした結果、殺されて死んだ。
6,9 ヨアブは、過去の虐殺行為に対して、しらが頭を安らかによみに下れないと処罰を予言されたが処刑は保留のままだった。その後、アドニヤの処刑とエブヤタルの罷免のニュースを聞いて、処罰を恐れて逃げて、天幕に入って行って祭壇の角をつかんだ。しかし、アドニヤの時のように赦されることなく、彼は自らその場で死を選んで殺された。
8シムイは、かつて近くに来たので、一度赦して「剣で殺さない」と誓ったが、その後命令に従わなったので、しらが頭を血に染めてよみに下ると予言されていた。命令どおりにエルサレムにとどまっていないで、3年後、逃げた奴隷を追ってガテまで出て行ったので予言どおりに処罰された。
◆新約聖書から列王記2章を考える
イエス・キリストの贖いを受け入れて永遠の死から永遠のいのちに入れられた人は、神の家である教会にとどまっているなら、約束どおりに御国に入れられる。
しかし、サタンの支配するこの世に出て行ってしまって、救いを失う人がいる。
内住する聖霊によって与えられる戒め、諭しに、あえて反対して聞き従わないでいる者は、自殺行為をしているのと同じと言える。
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