ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

断食して祈る人に 祈られた経験

2025-02-06 | 旧約聖書

マタイ 6:16 断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

断食するときには----反復して断食をしているときは、いつも、 

断食はイエスが40日間の断食をされた時、使徒13:3のように伝道旅行に送り出す時などにように、必要な時に限定して断食する例と、
今回のパリサイ人のように週に2回などと自分たちで決めたルールに従って、習慣的に断食をしている例があった。(ルカ18:12)
ここでは後者の継続的に断食をしている時のことが語られています。 

 

20年くらい前だったでしょうか。香港人の友人宅に泊めてもらっていた時のこと、
毎週水曜日の朝は、夜に神学校に学びに行くので朝は断食をして祈っていると言いました。
そして私が泊っているからと、私のためだけに時間をかけてお粥を作ってくれました。

神の前に定期的に断食をし、私のために断食に断食をして祈ってくれる人を目の前にしたのは初めてでした。
おかゆをいいただいた後には、彼は短いメッセージをしてくれました。その後神学校に進学して牧師になられました。そんな若い青年を尊敬しました。

 

私は夫が末期癌で私の介護が必要な時には、断食という意識はなくても、夫のために自分は食事を撮らずに祈り心で過ごしていた時がありました。

食事を抜くほどに真剣に祈る、また祈られることは、素晴らしいことです。報いはあとになって、必ずありますから。機会が与えられたら、私も断食をして祈りましょう

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